喜びも思い出も幾年月

浅井 孝郎*
去る五月下旬の吉日、私たち夫婦は福岡近郊の二日市温泉に一泊した。実は昨年の春に金婚式を迎え、子供たちからささやかな祝いを受けていたが、東北地方の震災を考えて、自粛の意味で延期していた。  
二人一緒に旅するのは全く久し振りだったが往路は別々に動いた。妻は前日に郷里佐賀に帰り、墓参と旧友や小学校恩師との食事会を済ませ、翌日夕刻に私と二日市の宿で落ち合った。博多からJR快速で二〇分、佐賀からJR特急で三〇分ほどの中間点である。
その昔、昭和三十六年四月、私たちは福岡市内のI百貨店で挙式した。貧乏を絵に描いたような私に、仲間たちは式服、ネクタイ、手袋など一式を揃えてくれたうえに、予算を気遣って一泊の宿まで手配してくれた。昭和天皇はじめ多くの皇族方の定宿として名高い二日市温泉の大丸別荘である。宿泊代も諸兄の心遣いがあったのか、僅かな支払いで済んだように記憶している。
振り返れば半世紀ぶりだったが、広い優雅な庭園は昔の儘の面影を残して出迎えてくれた。従業員の皆さんからは笑顔の祝辞を頂き夕食時にはシャンパンの差し入れがあった。
二階の部屋からの緑の木々は、まさに眺望絶佳であった。しかしベッドでしか休めない私は、妻とは別室の憂き目となり旅先でも、自宅と同じ様式となった。館内散策の折は備え付けの草履を履くのに手助けが要る始末、大浴場では係員に安全を託した妻が入り口で待っていて、照れくさいやら可笑しいやら、年齢を感じる事の繰り返しであった。また朝食時には部屋に入れ歯を忘れて、妻が取りに行くというおまけつきもあった。
出立前に庭園の築山に特別の配慮で入れて貰い、記念写真を撮った。良い思い出が増え、改めて生きている事に感謝した。
十時半にチェックアウト、福岡在住の旧友K君夫妻と約束の食事処T店に向かった。昼は予約を受けない店なので、少し早目の十一時半頃に着いた。妻たちは初対面であったが、十年の知己のようにすぐ打ち解けてくれた。
K君は中学高校の同期で、薬学を専攻して大学教授を歴任、今も週二日の講義を受け持つ現職である。二年振りとあって楽しい歓談の三時間であった。
K君夫妻と再会を約して福岡空港に向かった。幸い十六時発の便に空席が有り、格安なシルバー料金で帰京の途に就いた。
帰宅して一服後、改めて乾杯した。暫くして妻が笑いながら語りかけた。
「久し振りに一緒に旅して、腰の容態が良く解ったわ。大事にして下さいね。でもお互い手も触れないなんて、これが金婚旅行なんでしょうね。オッホッホ!」
一年遅れの行事を終えて、素直に感謝する私である。      (平成十四年七月)
 
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* 八期生浅井伸子さんのご主人です。(HP管理者)
 
 
 
 
 
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