蘇る感動

浅井 孝郎*
私が世紀のオリンピック大会を知ったのは小学三年の春頃だった。何年前の思い出になるだろうか。
一九三六年開催のベルリンオリンピックの記録映画「民族の祭典」と「美の祭典」の二部作が二年後にドイツで制作され、最初にして最高のオリンピック映画と称された。当時の独裁者ヒトラー率いるナチスドイツの国威発揚の意図は別として、この作品は今も高い評価を受けている。
わが国でも各地で上映され、小・中学生も学校の講堂などで見学、鑑賞した。子供心に感動した幾つかのシーンがあるが、この齢まで鮮明に記憶しているのは、我ながら実に嬉しくまた懐かしく思っている。
映画「民族の祭典」は陸上競技に焦点を置き、「美の祭典」は水泳競技の躍動を伝えた作品であるが、私の脳裏に強く焼き着いているのは主に前者である。
陸上部門の特に棒高跳び決勝で西田修平、大江季雄両選手の五時間に及ぶ熱戦に深い感銘を受けた。惜しくも優勝は逸したが、見事二位と三位に入賞し、夜空にはためく二本の日章旗を見た時の熱い感激は、つい先日のようである。後日、両選手はお互いの健闘と友情を称え合い、銀と銅のメダルを半分に切断して、それぞれを一つに合わせて友情のメダルとしたそうである。
もう一つの感動は一万メートル競走に出場した村社講平選手の英姿である。一六〇センチの小兵ながら、世界の強豪相手に先頭切って周回し、終盤はフィンランドの三選手にペースを乱されながらも、健闘良く四位に入賞した。場内の観衆が総立ちとなって声援を送った場面は忘れられない。
その村社選手が私と全く同郷の宮崎市赤江の出身で、しかも宮崎中学の先輩であったと知ったのは数年後の事である。熱い記憶が再び蘇った少年時代の思い出である。同氏は卒寿過ぎるまで地元の後輩の育成に尽力されたと聞いている。
オリンピックでは開催地ごとに数々の名場面で感激を覚えたが、競技とは別に私にとって忘れられない出来事もあった。
それは一九六四年、東京オリンピック開催の年であった。私は入社九年目、結婚三年目の春、岡山に赴任した。長女が満一歳であった。社宅は倉敷市の古い街並みにあり、道を挟んで信用金庫の店舗があった。
オリンピック開催が近づき、全国の銀行など金融機関の店頭で、記念の千円硬貨が発行発売された。嬉しい事にわが家も一枚だけ求めることが出来た。各金融機関の店頭には何度も並んで購入した人もいたようである。私もその気になれば数枚は入手出来たかも知れない。ただ悲しいかな先立つものがない当時の厳しい日々の家計であった。
しかし結婚して初めて叶った夢の貯金であり、文字通りの記念として、今も大切にアルバムに収められている。
各国のアスリートたちが名誉を賭けて記録を競うオリンピックであるが、これからは単なるメダル獲得競争に奔走するのではなく、一堂に会した未来を担う若人たちが、ぜひとも手を取り合って、真の世界平和を誓う集いであって欲しいと願っている。
 
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* 八期生浅井伸子さんのご主人です。(HP管理者)
 
 
 
 
 
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