明るい再出発

浅井 孝郎*
去る十月二日と九日の二回、加齢性白内障手術のため、板橋中央病院に一泊入院した。右目に次いで左目の順であった。
年齢と共に、視力の低下が急速に早まり、一年前あたりから新聞を読むのも難儀して、眼鏡を三度も作り換えた。
掛かりつけの眼科医には、再三足を運んで診療と手当ての相談をしていた。三件ほどの紹介先のなかから、バスで数分の交通の便の良さと、担当のK医師の評判の素晴らしさに惹かれて、先述の病院に決めたのだった。
八月末日、初めてお会いしたK医師は、すらりとした清楚な婦人であった。どの患者に接する場合も明るい挨拶で始まり、別れる際は立ちあがって激励されているようである。紹介者の医師とは同性のよしみからも、極めて昵懇の間柄だと笑顔で話された。診察を終えた後、はっきりとした口調で述べられた。
「症状から見て手術をお勧めします。術後のケアーと、翌朝の検査のため眼帯を付けての来院を考えると一泊入院がベターでしょう。万事100%とは限りませんが、私を信頼なさって下さい」
喜んで予定を尋ねたところ、ひと月先の十月二日以降の毎火曜日なら可との事であった。
日程を決めてからの一か月は期待と不安の気持ちが交錯するなかで、先約のお断りとお詫びやら、慌ただしい日が続いた。
十月二日、十時に手続きを終えて、病室に案内され、外来診察室で体調の検査。病室に戻って午後一時より二〇分間隔で点眼投薬。手術着に着替えて、午後三時に車椅子に乗せられて手術室に入った。毎週七名ほど手術を受けていると聞いた。室には十数名の看護師と男性スタッフが忙しく動いていた。手術を終えて眼帯をした患者の車椅子と行き交う様は、大手病院ならではの光景かなと緊張を憶えながらも少し可笑しかった。
薄いブルーの手術着のK医師に優しい笑顔で迎えられ、電動椅子に掛けて横になった。器具で瞼を開けられ、消毒の後、冷たい霧状の液体で眼を洗われるような感じだった。
「痛くありませんか。気分は大丈夫ですか。赤い三つの小さな球が見えますね。それを追いかけて下さい。上に・右に・今度は下に・次は左上です。そうです。そうです。もう少しの辛抱ですよ。ハイ終わりました。お疲れ様でした。眼の中にこりこり感はありませんか。ゆっくり椅子から降りましょうね」
その間、十五分ぐらいだったろうか。終始、明るい声で励まして貰い、車椅子に移るときは自らスリッパまで履かせて頂き恐縮してしまった。
午後六時に病室でK医師の回診を受けた。
「明日私は午後の勤務です。浅井さんも退院が早いほうが良いでしょうから、明朝九時に、別のドクターの診察を受けて下さい。OKであれば帰宅。次は6日午前に来院して、私の検査を受けて頂き、来週9日の手術の打合わせをしましょう」
抗生剤を点滴中の私は、寝たままで、お礼を述べた。
翌朝再び車椅子で外来診療室へ。眼帯を外され色々な検査の後、若い女性ドクターから
「視力も回復し、眼はとても綺麗になってますよ」
と言われ、素直に嬉しさを味わった。
病室に戻り、妻の笑顔を見て私のまばたきが止まった。いつの間に、そんなに小じわが出来てたのというショックと、えらい苦労を掛けていたんだなという自責の念が、心を過ぎった。妻が笑いながら差し出す手鏡のなか、シミの多い自分の顔に唖然とした。見えすぎても困る、幸せな男の勝手な理屈である。
その後、薬剤師から抗生剤と点眼薬の説明を受け、当分着用するようにとサングラスも手渡された。洗髪洗顔は六日の検査後に許可を得たうえでと注意を受けた。
翌週九日の再入院後の経過は、初回の経緯と全く同じであった。
二回の一泊入院治療は、労わりの心に充ちたK医師と、優しい看護師さんたちに出会えた嬉しい体験であった。
時折サングラスを外して、澄んだ秋空を見上げ、綺麗だなぁと独り悦に入っている。
 
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* 八期生浅井伸子さんのご主人です。(HP管理者)
 
 
 
 
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