或る早春の午後

浅井 孝郎*
第一火曜日は板橋区大山の都立健康長寿医療センターに月一度の診療で通院している。二年ほど前までは老人医療センターと呼称していたが、名称を変えたのはイメージの都合なのかも知れない。受診は整形外科に腰痛と右足の痺れの相談のためである。数年前に年一回の板橋区老人健診で紹介されて以来の縁が続いている。 
連日どの待合室も大賑わいのようで、昔の病院名の名残だろうか、高齢者の患者が多く、老夫婦いずれかの手押し車、娘と思しき婦人の付添姿を見ると、まさに人生の縮図のようで物悲しく感じる事もある。         
三月五日、第一火曜日は暦の上で「啓蟄」であった。昨年の同日、私は自宅近くのガーデンで一匹のカエルが跳んでいるのを見て感動した思い出が有る。今年は殊のほか寒さが厳しいためか姿を見せなかった。              
当日の午後三時頃、診察を終えて医療センターの正門から大山駅前商店街の方に向かった。すぐ傍に板橋区文化会館の大きな建物が有る。その周りに振袖はかま姿の若い女性の集団を見た。そうか今日は卒業式だったのかと、三十年前の長女の晴れ姿を思い出しながら彼女たちに「おめでとう」と声を掛けたい気持ちだった。              
その時、わが目を疑うような光景に出会った。ホール出口の四つ角で、はかま姿の四人組が煙草を吸いながら楽しげに立ち話の最中ではないか。エッと驚いて血の気が引いたような気分になった私は、時代遅れの爺さまなのかも知れない。「おめでとうございます。どちらの大学ですか」と余程尋ねてみようかと思ったが、折角の門出の日に嫌味でもあるまいと我慢した。
帰宅のため最寄りの板橋区役所前バス停から乗って志村坂上で途中下車した。乗り換えのためともう一つの理由があった。三日前にテレビ番組7チャンネル「アド街ック天国」でこの界隈のベスト30が紹介され、その中で一度食してみたい菓子司があった。探し訪ねたその店の余りに小さく質素な佇まいと、店の丁寧な応対に感激した。単純な私は嬉しくなって名物のあんみつと豆かん計四個を買い求めた。   
満面の笑みを浮かべて、志村坂上から再度バスに乗った。四つ目のバス停がわが家の前である。次の停留所で老婦人が一人乗って来た。アップアップしながら急いで優先席に座ろうとした時に、買い物袋を床に落とした。ガシャンと大きな音がしたので、慌て拾おうとする老婦人の手元を何気なく見て驚いた。両手の指先は真っ赤なマニキュアで輝いているではないか。私と同じほどの年齢かなとお見受けした。次の停留所でよたよたと降りて行かれたが、このような一区間での乗降は、孤独な老人のシルバーパスの活用と楽しみ方なんだろうなと、勝手読みをしている。
見掛けによらずのお洒落だったと言えば失礼になるかも知れないが、私も大いに元気を頂戴した気分になり、久し振りに自身の造語「老春」を思い出した。そう言えば、今日は啓蟄。私も春に目覚めて新しい息吹を求め、よっしゃ若返るぞと拳を固く握りしめた。                
                     
 
(二〇一三年三月)   テーマ 自由題         '
 
 
 
 
* 八期生浅井伸子さんのご主人です。(HP管理者)
 
 
 
 
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或る雨の午後
石井俊雄
「或る雨の午後」は、昭和14年に日本で作られたタンゴの名曲。
そして、この歌を歌ったのがディック・ミネ。
作曲は、ディック・ミネが指名したジャズ・サックス奏者の大久保徳二郎だ。
この曲は一言で言えば洒落ている。老いしご婦人の真っ赤なマニキアのように。
ジャズミュージシャンたからこそ、このバタ臭い曲が書けたのだろう。
同じジャズミュージシャンから作曲に転じて数々の名曲を書いた服部良一と同じ経歴だ。
古賀政男も天才だが、バタ臭い曲は書けなかったことを思うと、ジャズが流行歌に新しいの世界をもたらしたことになると思う。
浅井さんはその名曲を思い出させて下さった。 ありがとう。
(2013/4/6 21:58)