スローリー・アンド・シュアー*

浅井 孝郎**
昭和二十三年の秋、私はふるさと宮崎で高校球児としてグランドを走り回っていた。当時は、食糧事情の乏しい時代であったが、全員めげずに、バット・グローブ・スパイクなどの球具一式を自己調達しながら、プレーを楽しんでいた。
春の選抜高校野球大会の選考基準として、地区大会が始ったのもその年であった。長崎の第一回九州大会に出場の機会を得た私たちのチームは、その前夜、旅館でミーティングを開いた。その席でキャプテンのS君が、 
「明日は、スローリー・アンド・シュア(SLOWLY・AND・SURE)で落ち着いていこう」
と、チームメートに声を掛けた。
間髪いれず監督から、厳しい声が飛んだ。
「甘すぎる。スピーディ・アンド・シュアー(SPEEDY・AND・SURE)だ」 
あれから六十余年を経た現在も、はっきりと記憶に残っている光景である。
どちらも尤もであるが、私の性格に合っているのは、キャプテンS君の言葉である。彼とは小学校時代を含めて永年の交友を続けており、今も帰郷の都度、焼酎を酌み交わしながら語り合う仲である。戦中戦後の混乱期を無事に過してこれたのも、二人とも田舎の町の純朴な青春時代に、明日を夢見て、おおらかに生きてきたからかも知れない。   
最近の私は、三十年来の腰痛が因で右足に痺れを生じ、歩行に難儀するようになった。学生時代の陸上トラックや野球ダイヤモンドを思い出すと、懐かしさと寂しさが交々の心境である。しかし幸い持って生まれた、のんびりした性格のためか、悲しむことはない。 
昼間限定であるが、雨天荒天の日を除いて出掛ける事にしている。七十歳からのシルバーパスを活用しての楽しい遊覧である。横断歩道は急がず慌てずをモットーに、ゆとりをもって渡るように心掛けている。 
最近、会合では他人様に気遣いをさせたくないのでなるべく会場で落ち合い、行き帰りは独りで動くようにしている。お蔭で気兼ねなく仲間との約束を楽しんでいる。 
少し早めに家を出て、電車は鈍行で坐ってゆったりと、外の景色を眺めたり、文庫本に目を通したり、飽きたら軽く目を閉じる。急ぐことも無く、自分なりに年齢に応じて、スロウリー・アンド・シュアーで生きたいと願っている。              
 
 
 
* 『「解説」先月から夫のエッセイを投稿するようになりました。これは80歳の爺様と私の日常生活をつれづれなるままにエッセイ教室に通いながら、 書いている夫を見ながら、又これからの励みになればと投稿しているものです。お暇があったら、お読みください。(浅井伸子)』とのメールを頂いていますのでご紹介します。(HP管理者)
** 八期生浅井伸子さんのご主人です。(HP管理者)
 
 
 
 
 
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