懐メロ熱唱・唇に歌を

浅井 孝郎*
「ああ東海の君子国
文運月に進めども
名教日々に廃れ行く
世の風塵を他所に見て
秀麗の象 淳素の気
千古変わらぬ古帝州」(日高重孝 詞)
これは、私が昭和十九年に入学した県立宮崎中学校校歌である。五節に及ぶ漢文調の歌詞は、当時十三歳の少年にとって、やや難解であった。以来七十年、毎春の在京同期の集いでは、殆どの者が諳んじて合唱している。
前後するが、昭和十三年から六年間の小学校では、多くの勇壮な軍歌「同期の桜」(西条八十 詞)「月月火水木金金」(高橋駿策 詞)**などに併せて、美しい風景を描いた童謡「春が来た」「故郷」(どちらも高野辰之 詞)「村の鍛冶屋(作詞不詳)」などの名曲で育てられたような気がする。躍動感溢れる軍歌と、情緒豊かなわらべ唄は、今も二次会では、私たちの思い出の愛唱歌なのである。
昭和二十年、敗戦で打ちひしがれた日本人の心に明るい希望の灯りを点したのは「リンゴの唄(サトーハチロー 詞)」であった。ラジオから流れてくる弾んだ並木路子の歌声は全国民に光を与えてくれた。戦災で焼かれた瓦礫の街を裸足で通学していた私たちも、元気に歌って歩いたのである。
戦後はあらゆる面で自由社会となり、新しい時代に合った数多くの歌謡曲が生まれた。「憧れのハワイ航路(石本美由紀 詞)「湯の町エレジー(折村信夫 詞)」「かえり船(清水みのる 詞)」などが大ヒットして、岡晴夫、近江敏郎、田端義夫はじめ大勢のスター歌手が誕生した。
しかし如何に時代が変わったとはいえ、学生の私たちは流行歌を大っぴらに歌うわけにはいかなかった。幸いNHKのラジオ歌謡で「白い花の咲く頃」(寺尾智沙 詞)**「山小屋の灯」(米山正夫 詞)などの名曲が放ぜられた。岡本敦郎、藤山一郎などの清純派歌手が素晴らしいお師匠さんであった。
昭和二十四年、学制改革により小・中・高校に6・3・3年制が施行され、旧制高校の歴史は幕を閉じた。全寮制の、友情に充ちた学び舎への郷愁と伝統に思いを馳せて、弊衣破帽を纏い、全国的に寮歌祭が始まり数十年の盛会が続いた。なかでも私の好きな曲は 「人を恋うる歌」(三高寮歌)である。
「妻を娶らば才長けて
みめ麗しく情けあり
友を選ばば書を読みて
六分の侠気四分の熱 (与謝野寛 詞)
今なお旧友諸兄と肩を組んで放吟するとき、純真無垢な若者の世界に戻るのである。
高校を卒業して六十余年となる。毎年開催の在京同期会も四十回を数える。フィナーレには来期の再会を約して全員で歌う「高校三年生」(丘灯至夫 詞)がある。
「赤い夕陽が校舎を染めて
ニレの木陰に弾む声
ああ高校三年生
ぼくら離れ離れになろうとも
クラス仲間はいつまでも(昭和三十八年)
私たちの卒業年次からは、少し離れて出来た曲であるが、皆で輪になって歌えば、紅顔のにきび少年と可憐なお下げ髪の少女姿にタイムスリップするのである。
もう一曲、フィナーレに声を揃える歌がある。毎月第四火曜日の在京同期会に有志八名が集まる。私の在職時からの馴染みの店の好意で始まり十数年が過ぎた、 その間に二名の友が不帰の人となった。次月の再会を約してお開きの時に、皆で歌うのが「なあ友よ」(石本美由紀 詞)**である。
「緑したたる山峡の
川の流れに光る水
幼馴染のあの女は
嫁いで母になってるだろうか
今の暮らしは幸せか
あぁ故郷は なあ友よ
風に思い出 唄うもの」(坂上二郎 唄)
その昔、ある司会者の歌番組開会の言葉に「歌は世につれ 世は歌につれ」とあった。まさに名科白だと思う。
私流の造語に置き換えると、
「人生は、懐メロとともに歩んで来たドラマである」と言える。
老境の今、ささやかな自分史を振り返りながら、節目節目の心に残る歌を、懐かしい思い出として口ずさんでいる。
 
テーマ 「歌う」           '
平成二十五年六月        '
 
 
 
 
* 八期生浅井伸子さんのご主人です。(HP管理者)
**「月月火水木金金」はここをクリックしてください。 「白い花の咲く頃」はここをクリックしてください。 また、「なあ友よ」はここをクリックしてください。但し、歌手は別の人のようです。ご参考まで。 (HP管理者)
 
 
 
 
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懐メロ満載のエッセイ
桑原峰征
偶々、田端義夫のお別れ会のニュースのBGMに「かえり船」が流れていた。
浅井孝郎さんは、私たちより数年先輩とお見受けしますが、戦争を挟んでの成長時の数年違いは、懐メロを見る限り余り変わりないようです。
その多くの曲は、私が戦後佐賀にいた子供時代に聞き覚えたもの。それも、松原マーケットなど街角を通りがけにどこからともなく聞こえてくるラジオの流行歌。
そう当時はラジオが媒体の主役。「かえり船」「上海帰りのリル」「星の流れに」「夏の思いで」「笛吹童子」などなど、懐かしい!
それにしても「大利根月夜」「赤城の子守唄」「勘太郎月夜唄」などの股たびものなど、 私はどこで覚えたのだろう?親父が口ずさんでいたには「丘を越えて行こうよ」とか「影を慕いて」などの古賀メロディだったのに。 (2013/7/7 11:22)