ナマの舞台は面白い

浅井 孝郎*
四月から入会した「都民劇場会員」の六月の観劇は新橋演舞場と決めた。毎月数か所の劇場の演目から一つを選んで申し込むシステムなので、目移りすること夥しいが、各劇場をひと回りするのも一興かと思っている。日生劇場に始まり明治座、今回と続きこれからも楽しみである。
新橋演舞場は舟木一夫芸能生活五十周年と銘打ち、前半は里見浩太朗の友情出演を得て大河ドラマ「花の生涯」の上演、後半は舟木一夫の「シェアターコンサート」であった。 主役は既に峠を過ぎた過去のスターだと決め込んだ私の勝手な考えは、会場到着早々に大きな驚きに変わった。入り口そばの弁当売場には長蛇の列が並び、入館して見れば一階席は満員、二階席は八分の盛況であった。
十一時開演、休憩四十分を挟んで十五時前の終演である。前半の舞台では開国か攘夷かと揺れる幕末期のさなか、井伊直弼(里見)と長野主膳(舟木)の固い信頼で結ばれた人間模様の熱演に観客は酔っていた。その時まさかの珍事が起きたのである。
井伊直弼が水戸藩浪士の凶刃に倒れ、駆けつけた長野主膳の腕に抱かれて息を引き取る寸前、主膳の鬘がずり落ちそうになりアッと声を発して素早く直した舟木の仕草に観客はどっと沸いた。しかし、二人の熱演ですぐに劇中に引き戻されて無事に涙の終幕を迎えることが出来た。後半コンサートでの、舟木のお笑い解説によると、舞い落ちる雪の紙片を避けようとして彼の顔が相手役の裃に当り、それが動いて鬘に及んだそうである。舟木にとって、長い舞台生活で初めてと言う珍事を見ることが出来た一幕であった。
四十分の休憩時間は大勢の観客が一斉に自席で食事をとり始める。まさに壮観であり、学芸会気分でもある。目算九割五分と読んだ婦人客、1944年生まれの舟木と同世代層は懐かしい歌に託して自らの思い出を辿ろうとしているようだった。過去のスターに何時までも沢山の根強いフアンが存在することを学んだのである。
十数名のバンド演奏で開幕した歌謡ショーで私にとって更なる驚きの光景が始まった。舞台に通じる客席の三本の通路には熱烈な女性フアンがそれぞれ花束、紙包み、熨斗袋などを持って舞台下に詰めかけていた。舟木も先刻承知の面持で歌いながら彼女らの待ち受ける箇所を訪れ、マイク片手に器用に握手を交わしながらプレゼントを受け取り、舞台に並べてある六台のテーブルに置いていくのである。特に五十名を超えるフアンからの花束は、客席に向けて並べて積み上げ、まるでステージに美しい花壇が出来たようで、舟木の手慣れた心憎い演出かと思わせた。
番組も進んでヒット曲のなかの「学園ソング」二曲(高校三年生・学園広場)の熱唱の時は、私の想像をはるかに超えた場面を迎えた。一階席総立ちで一斉に両手を上にあげ、リズムに乗って、体を揺らしながら頭上での手拍子が始まった。二階席も半数以上が立ち上がっての大コーラスである。同窓会の楽しい輪の中に参加できない疎外感すら覚えた凄い雰囲気であった。
一時間を超えるワンマンショーは持ち歌と懐メロを織り交ぜ20曲の熱演だった。汗を拭き、数回の水分補給しながらも明るい声で多くの観客を酔わせてくれた。年齢を感じさせないスリムな長身と豊かな声量の蔭には、たゆまぬ努力と節制が偲ばれて、真の芸人根性を垣間見たような気持ちであった。単純にも一日ですっかりフアンの仲間入りをさせて貰った。
来月以降もどんな素晴らしいシーンが見れるやら。やはり舞台はナマに限るなぁ。
 
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* 八期生浅井伸子さんのご主人です。(HP管理者)
 
 
 
 
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