モノクロへの郷愁

浅井 孝郎*
私が中学二年の夏、第二次大戦の終戦を迎えた。日常生活は一層の食糧難と物不足の苦難の道となったが、戦火が治まり連日の空襲の恐怖から解放された安堵の気持ちで、人々には笑顔が戻り、平和と自由と言う最大の宝を手にすることが出来たのである。
戦時中の映画は作品によっては、何よりの娯楽であり文化であった。小学生・中学生は一人だけで映画館に出入りする事は許されず、教師に引率されるか、或いは学校講堂での合同見学であった。その折、上映されたのは「風の又三郎」「綴り方教室」など文芸作。「民族の祭典」「或る日の干潟」など記録物。 「ハワイマレー沖海戦」「燃ゆる大空」など戦記物の数々で、勿論黒白の画面であった。
終戦一か月ほど過ぎたある日の午後、ジープに乗り通訳を伴ったアメリカ進駐軍の民政官が来校して、先生と生徒全員が校庭に集合させられた。 彼はマイクを通して開口一番 「君たちは全てに自由だ、学問、恋愛、もちろん映画鑑賞もOKだ」と呼び掛けた。
日頃の校則が重石となっていた生徒たちは、単純な解放感に一斉に歓声を挙げて、戦火を免れていた一軒の映画館へ走ったのである。先生方の茫然自失の表情は、今も、はっきりと脳裏に残っている。
このようにして現在では理解し難い発端で映画鑑賞が自由となったのであった。その時初めて自費で見たのは、当時一世を風靡した川口松太郎原作のメロドラマ「愛染かつら」だったのを憶えている。
間もなく三軒の小屋が再建されて、週替わりで邦画・洋画が上映され、市民最大の娯楽の殿堂となった。特に洋画に映る欧米の生活様式はじめ物質文明のレベルとスケールに目を見張り、私たちなりに田舎の片隅から、世界の大きさの一端を知ったのも事実である。
間もなく私は進学を控えて映画鑑賞は一時封印して、晴れて角帽を被る日まで我慢することにした。お蔭で何とか難関を抜けて再びスクリーンへの憧れの火が燃え上ってきた。昭和二十五年当時はアメリカのカラー、音響などの技術進歩によって、映画産業は発展の一途にあり、後年カラーテレビ実用化の到来まで長期に亘ってシネマ黄金時代が続いた。
私が鑑賞を待ち望んでいたのは、二人の兄から影響を受けたフランス映画の話題作であった。旧制高校在学中で、十歳と八歳違いの兄たちの話は、当時小学生だった私の記憶として今もはっきり残っている。『スクリーンに登場する人物の会話が実に素晴らしい。時として哲学的、或いは軽妙洒脱、そしてペーソスを滲ませて、味わいがある』と思い出の場面を語りあっていた。
私も大学三年になって気分的にゆとりの出来た頃から、フランスとアメリカ名画のアンコール上映館を訪ねてみようと思い立った。 五回以上も通った映画は下記の四本である。
『舞踏会の手帖』(仏)日本公開1938年
美貌のマリー・ベル演じる未亡人がコモ湖畔の邸宅から旅立ち、二十年前に舞踏会で愛を囁いた男たちをアルプス、マルセイユなどに訪ねる物語。 ルイジューべ他の男優に拍手。
『望郷』    (仏) 公開1939年
アルジェリアの暗黒街カスバに咲いた灼熱の恋を描いたジュヴィヴィエ監督会心作。ぺぺ役のジャンギャバンがミレーユ・バラン演ずるギャビーを波止場で見送るラストが凄い。
『天井桟敷の人々』(仏)公開1952年
十九世紀パリの歓楽街、ジャンルイ・バロウ演じるパントマイム役者とアルレッティ扮する見世物小屋の美女ガランスとの悲恋物語。 祭りの人混みに消える女心が切なく哀しい。
『カサブランカ』 (米)公開1946年
一九四〇年モロッコ首都カサブランカでカフェを経営するリックと反ナチ大物ラズロの妻イルサの恋。ボガードとバーグマンが見事。 ラズロ夫妻を見送る霧の空港シーンは秀逸。
その他に、三回ほど数を重ねた『自由を我らに』『外人部隊』(仏)『駅馬車』(米)などがある。勿論全てモノクロであった。 私もその頃はロマンを求める多感な青春の熱い血が脈打っていたのだろうか。      
昨年NHKのテレビ番組で何回か懐かしい名画が放映された事がある。早速飛びついて録画し、大切なシネマ・ライブラリとして保存している。
退職後は有り余るほどの時間がありながら何故か映画館と縁遠くなっている。
「シルバー料金一〇〇〇円で、冷暖房完備の快適な数時間を楽しんでおいで」妻から厄介払い半分に、やいのやいのと奨められている。 遅ればせながら神輿を上げて、カラーのワイドスクリーンに馴染もうかと考えているが、通い始めると、また病みつきになりそうである。 映画は私にとってやっぱり愛すべき魔物なのかも知れない。
テーマ 映画
 
 
 
 
 
* 八期生浅井伸子さんのご主人です。(HP管理者)
 
 
 
 
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思い出、いい時代のころ、懐かしい人たちのこと
石井俊雄
戦前から戦後に掛けての映画の話ですが、小生の記憶でも、戦争に負けて暫くたった頃、お袋や祖母、叔母たちが、 「今まで見れなかった洋画が一杯見れるようになった」と興奮していたのを憶えています。
叔母たちと言っても、未だ、娘盛りのが4人もいたし、姉もいたし、母も、祖母も、元気でした。 それが、不幸なことに皆、映画ファンだったのです。
だから、映画見に行くときは連れて行ってくれました。勉強したかったのに。
その結果、見たのが確か「天井桟敷の人々」だったと思います。天井桟敷という言葉の意味も解らないまま、 パントマイムの映画という記憶しかありませんが。
それから、「美女と野獣」も。「未完成交響楽」を見たのもその頃だったと思います。
あと、「ジェニーの肖像」というのが印象に残ってます。あれは、不思議な映画で、ジェニファー・ジョンズとジェセフ・コットンでしたが変な映画でした。 今思うと、一種のSF映画だったようです。
そんな風に思い出を辿っていくと、だんだん思い出します。いい時代のころ、懐かしい人たちのこと、を。
浅井さんのお陰です。ありがとう。(2013/12/7 10:40)