楽しい予定を埋めたいものだ

浅井 孝郎*
どの家庭にも、一部以上は備わっていて、日常生活の必需品として存在している物の一つにカレンダーがあると思う。
勝手読みかも知れないが、美術品、世界遺産、芸能、スポーツなど特殊な図柄を求めるフアン、愛好家は別として、自前で購入している人は比較的少ないようだ。
その昔、年末になると、勤務先や関係先、出入り業者などのPR用・贈答用を含めて、二、三部ほどの余禄に預かったものである。今でも仕事納めを終えたサラリーマンらしき人物が、カレンダーを抱えて家路を急ぐ姿を見掛ける事が有る。
退職してからは、かっての勤務先から年末の挨拶として送られてくる場合もあろうし、家庭に出入りする米や酒など日用雑貨を扱う商店からの頂きものを重宝する事も多いように思う。
私の住居はMグループが造成した千八百戸ほどのニュータウンのため、全ての口座扱いはMS銀行である。十二月になると自宅棟のピロティ一階にある店舗に出掛けて、一枚物カレンダー二部を貰ってくるのが、この十年ほどの習わしとなっている。因みに一部は電話機の前の壁に、もう一部はトイレのドアの内側に、それぞれ画鋲で留めてあり、何かと重宝している。
この二部に加えて、わが家には、計四部のカレンダーが存在する。一つはリビングの壁に、一つは私の書斎の壁に貼られている。
リビングの方は妻が通っているゴルフ教室から頂いた二か月分が記載された六枚物であり、赤と青のペンで私たち夫婦の予定が記入されている。近くに住む長女が週一来宅しては、じっとのぞき込んでいくのも一つの生活習慣である。
書斎の分は新聞配達店からの一か月単位の十二枚物である。どちらも一日一日の余白がタップリで、予定などの記入がし易く、文字通り日常の必需品として役立っている。
一方、時代の移り変わりだろうか、俗に、日めくりと称した一日一枚の壁掛け用の暦を余り見掛けなくなったようである。潮の満ち引きから、その日その日の運勢、そして旧暦まで記載されていた。世間一般では過去の遺産のように思われているが、今でも建築、土木関係や慶事、不祝儀などは暦記載の古式に則って行事が執り行われることが良く見受けられる。
日本人には「超近代性」を吸収する感性があるのに対し「何で今もなの」と言うような、古い慣習を尊ぶ二面性があるようだ。これは全て暦による決め事に起因していると考えられる。
私自身、先日理髪店での待ち時間にテーブルにあった「誕生月日による運勢大鑑」なる一冊を手にして、何気なく自身の該当ページを開いてみた。実に多岐にわたって記載されていたが、相性の良い異性の生年月日の項に『一月二日生まれ』の文字を見た。帰宅して妻に笑いながら話したら、即刻明るい声で「やっぱりそうでしょう。あなたは幸せよ」と返ってきた。カレンダー・暦の幅広い意味での功徳効用を身近に感じたことだった。
これから先、どれだけカレンダーと一緒に生きれるか。叶う事であれば、笑顔の予定で多くの日々を埋めたいものである。
(テーマ カレンダー)
 
 
 
 
 
* 八期生浅井伸子さんのご主人です。(HP管理者)
 
 
 
 
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