小気味よい芸に酔う

浅井 孝郎*
今月の都民劇場は明治座「石川さゆり特別公演」と決めた。演歌界第一人者として活躍する明るい人柄に以前から魅力を感じていたのだが、手にした案内に思わず“エッ!”と叫んでしまった。
演歌歌手の座長公演といえば、一部が芝居で二部がオンステージという通常の認識だったが、今回の特別公演は『落語に挑戦』と言う粋な趣向を試みた初の取り組みであった。
高座名は「石川亭さゆの輔」とつけ、出囃子の三味線の軽快なメロデイ「津軽海峡・冬景色」にのって登場し、高座に設えた座布に正座し扇子を前に客席に深々とお辞儀するという、なかなかの遊び心がうかがわれた。
NHKの「ためしてガッテン」収録日の楽屋で、立川志の輔師匠に直にお願いして教わったと言う落語は、実にテンポ良く、真打と見紛うほどの出来栄えだった。特に人物を演じ分ける話芸は素晴らしかった。
小噺で笑いを取った後に、古典「芝浜」の導入部を落語で語り、芝居場面にスムーズに移行させる演出も大変興味深く感じた。
因みに、演題の「芝浜」とは、芝の金杉に住む、腕もいいし人間も良いのだが、金が入ると片っ端から呑んでしまう怠け者の魚屋の亭主勝五郎を支えて共に頑張り、やがて押しも押されぬ江戸一番の大店の主人に仕立てるという、可愛い女房お浜のサクセス・ストーリーである。
笑いと涙の一時間半、お浜の大役を見事に演じ切った石川さゆりに、満席の観客から惜しみないない拍手と掛け声が送られた。
続いて二部の歌のステージは『日本を訪ねる』がテーマだった。皮切りは唱歌「ふじの山」を抑揚を排して真っすぐに歌ったが、実に新鮮な歌唱であった。「トンコ節」「ヤットン節」などの俗曲では、こぶしが自然に回って小気味よく聴いた。次の民謡「ソーラン節」と続くにつれて、日本の歌の文化の多様さを教えられた気持ちだった。それにしても数々の伝統的な楽曲を巧みに歌い分ける力はお見事の一語である。
更に、盛り上がりを見せたオンステージでは、代表曲として「ウイスキーが、お好きでしょ」を囁くように、「転がる石」ではドスを利かせて荒々しくと、あまりにも多彩な延べ四時間近い公演は、終演まで感動が絶える事はなかった。
客席は男女ほぼ半々の割合で埋まり、男性は中高年の紳士フアンが多く占めていたように見えた。当日偶々だったのかも知れないが、ステージへのプレゼントは、意外にも花束は皆無で、殆どが食べ物の包だった。
受け取るたびに彼女が有名店の一つ一つの品名を観客に披露して
「有難うございます。後ほど共演者やバンドの皆さんと一緒に頂きます」
と笑顔で礼をのべていた。
その折、一人の頭髪の薄い紳士が差し出した包を恭しく押し頂くや、
「有名な○○店のおはげですね」
とやった。満場は爆笑の渦。
「あらーっ!御免なさい。おはぎと一字違いで大変な事件です。お口にチャック!」。
咄嗟のウイットに又も場内は大きく揺れた。
カーテンコールは一度もなく、フィナーレ「天城越え」への盛大な拍手が、文字通りの終演であった。
さゆりフアンの熱気に満ちた劇場から解放されて、地下鉄乗り場入り口に通じる並木道を歩きながら、身も心も軽やかに、爽やかな初秋の風を感じていた。
(テーマ 自由題)
 
 
* 八期生浅井伸子さんのご主人です。(HP管理者)
 
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