思い出ふたつ

浅井 孝郎*
幼い頃、父の勤務していた満鉄本社のあった満州大連市に住んでいた。今想えば、昭和十年頃のある日、母に連れられて、 社宅群の中央部にある『消費組合』に買い物に行った時の事である。この『消費組合』とは満鉄が母体の、言わば従業員専用の小型百貨店で、 全てサインで購入し、代金は給与から天引きする方式だったようである。
ついでながら、一世を風靡した往年の人気歌手・東海林太郎が当組合の売場主任として勤務していたと、母から何度も聞かされた事を子供心に憶えている。
その台所用品の売り場で、母が職員に
「そちらにあるフライパンを一つ下さい」   
と買い物をした。FRYING―PANである。
背丈の小さい私は、品物が見えないままに大きな期待感を抱いてルンルン気分だった。帰宅早々手を洗ってお利口ぶった私は、母に
「ねえ、早くフライパンを頂戴!」
と言っておねだりをした。母は何のことか分からなかったが、暫くして、駄々をこねている目的の品が、食品のパンだと思い込んでいることに気づいて大笑いとなったとのこと。末っ子の私を、からかう折の絶好の話題として、いつまでも家族の語り草となった幼年期の鍋物語である。
五十歳を過ぎ、子会社に出向した頃から、おろそかにしていた旧友諸氏との友情を取り戻したい一心で努力した。小学、中学、高校の仲間が本当に温かく迎え入れてくれた事に心から感謝している。
宮崎中学の東京同期会の一人に、夕刊F社の文芸部長だったK君がいた。遠藤周作氏をはじめ文壇に幅広い人脈を持ち、コラム欄を担当しながら執筆に励み、何冊かの出版もしてなかなかの活躍ぶりだった。
ただ晩年、家庭的に恵まれず別居して一人での生活だったようである。彼と一杯やる時は決まって魚、野菜類の煮物を頼んでいた。
「日頃は自炊の関係で、煮つけの類をあまり食えないもんでね」
と照れ気味だった。普段の食事はどうしてるのかと尋ねたら、即座に返ってきた答えは
「朝はバナナ一本と牛乳の紙パック一個。夜は缶ビール一本。スーパーでおにぎり一個と、ちゃんこ・魚ちり・牛・豚・寄せ鍋などのアルミホイル鍋物を日替わりで食べているよ。朝晩とも洗い物が無くて楽ちんだよ」
と笑っていた。
その彼も三年前、静かにこの世を去った。毎月の同期会で鍋物が出た時など、ふと思い出す言葉である。
『鍋』と言えば多くの話題がある筈だが、時代のかけ離れたこの二つの話が、妙に記憶に残っているのはなぜだろうか。
(テーマ  鍋)
 
* 八期生浅井伸子さんのご主人です。(HP管理者)
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