のむ二題
浅井 孝郎*
私が受け継いだ遺伝体質のひとつに下戸がある。両親ともアルコール類は全く駄目で、母は僅か一切れの奈良漬けに酔い、
父は正月の屠蘇一杯で真っ赤になり、すぐ横になってしまうほどだった。
その代わりと言っては何だが、父は大変なヘビースモーカーで、両切りタバコ十本入りを日に三箱以上が常であった。
当時はタバコの害について今ほど神経質でなく、専売公社のコマーシャルにも
「タバコは動くアクセサリー」
「タバコは生活の句読点」
などがあった。
かって人気絶頂だった日活の青春スター、石原裕次郎、赤木圭一郎、
小林旭などが指先で弾き飛ばすポイ捨てタバコの映像シーンに観客は大きな拍手を送ったものである。
その頃、酒とタバコを嗜むことを、どちらも同じ表現で「のむ」と言っていた。
私自身、社会に出て暫くは、殆ど盃を口にしたことはなかった。安サラリーだったこともあるが、
やはり遺伝体質が大きな理由だったのだろう。
やがて入社十年を過ぎて、京都の店を担当することになり、多くの顧客や所属員と接する日々に、
いつしかアルコールを媒介とする機会が増えた。しかし相手に対する気配りと、隙を見せまいと酔いを殺して飲む酒は、
決して美味いと思わなかった。懐古第一のほろ苦い「のむ」である。
六十数年前、中学生だった私たちは戦後の混乱期の中、夢を失わず勉学とあわせ運動にも励んでいた。
古い言葉ながら、文武両道をモットーに青春の血が燃えていた。
私は野球部に籍を置き、放課後にひたすら白球を追っていた。
その時のチームメイトをはじめ、旧友諸兄とは半世紀を過ぎた今も、熱い友情で結ばれている。
生涯の友を持つことは、人生最高の喜びと感謝している。
勝って泣き負けて泣き、共に涙した事が、走馬灯のように浮かんで来る。
時に悔しさをバネにして次を誓ったからこそ、成長が有ったと信じている。
今もなお諸兄と会えば年齢を忘れての談論風発がとまらない。
変化に富んだ時代を生きた互いの歴史を振り返りながら、友と飲む酒は本当に美味い。
これぞ、懐古第二の喜びの「のむ」である。
テーマ 「のむ」
* 八期生浅井伸子さんのご主人です。(HP管理者)
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