爺さん寄れば

浅井 孝郎*
退職して十九年が過ぎた。他人から見れば結構な高齢者と思われているだろうが、まだ気分は若く、 毎月、或いは隔月開催の幾つかの例会に参加させてもらい、若さとパワーを頂戴している。いずれも昼間の会合である。
毎月の会のなかで、特に楽しいのは、次の二つであるが、それぞれの雰囲気と話題は、全く異なっている。
一つは、在職時のスタッフ諸氏9名との会である。第二土曜に開かれ、二十年を超える。 皆さん私よりも十歳ほど若く、株式と不動産投資の知識が豊富で、かなり実績も上げているようだ。 うち一人は株式運用で得た利潤を中古のワンルームマンションに投じている。マンモス大学の最寄駅近くに求め、既に八室保有と聞いた。 思い切った理論と実践の体験を、いつも感心しながら傾聴している。
もう一つは、宮崎中学同期の在京有志8名の集いで、第四火曜に催し、これも十数年続いている。 入学より数えて、家族以上七十年に及ぶお付き合いには、我ながら驚いている。 かって侃々諤々だった議論も、いつしか可愛い孫から嫁の悪口へと変わっている。
友人の一人が、まあ聞いてくれよと前置きして語り出した。
「初夏のある日、息子宅を訪れたら留守だったが、合鍵を持っていたので中に入り、 冷蔵庫に持参した果物を入れて帰ったんだ」、
次第に感情の高まるのを抑えながら
「夜分、息子から電話が有った。礼を言うどころか、家に入って、冷蔵庫なんか勝手に開けてもらっては困るんだよ。 てね。君たち一体どう思うかい」
二人ほど、実にけしからんが、嫁も悪いねと同調していた。残りは盃を手にしたまま、しばし沈黙のひと時だった。
今、振り返ってみると、私たちが通ってきた夢多き青春時代、走り続けた壮年期、花を咲かせた熟年期、そして、穏やかに過ごしている老年期。 それぞれの自分史は、我々世代が持つ最高の達成感ではないだろうか。
反面、横浜に集まる8人のうち、三人が、愛妻に先立たれた寂しい立場にある。余談であるが、関西に二人、宮崎に三人の同じ立場の親しい友がいる。 どちらが先でも、老いてからの独り身は、本当に大変だろうと思う。お互い声を掛け励まし合い続けることこそ、真の友情ではないだろうか。
三年前に妻に先立たれた横浜の友がいる。三人の娘のうち、二人が嫁ぎ、ОLの三女と同居している。 三女の東京大手町の勤務先からの帰宅は、午後8時を過ぎるため、夕餉の支度は父親の役割だそうである。
献立を考えて、あれこれ作るのも、今ではすっかり楽しくなり、父娘での晩酌は格別らしい。 妻の生前は、時折親子のいさかいもあったが、今では親しい戦友の様で、朝の出掛けと夕べの帰宅時はハイタッチをするようになったそうである。 微笑ましい情景に、先程の少し暗く感じた話も忘れてしまう。
ふと落首を思い出した。
「父に逆らう子供あり
国を悪く言う親もいる」
「褒めれば保守派
反対すれば文化人」
何でも物が言える自由な国に住み、優しい家族に恵まれている平凡な幸せに、感謝する年齢となった。 日本の永久に無事な航海を祈っている。
二〇一四年八月
自由題
 
* 八期生浅井伸子さんのご主人です。(HP管理者)
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