秋の近まり

浅井 孝郎*
およそ三万坪の緑地を囲む十四棟の高層マンション。約千八百戸のなかの一室に、私の住居がある。春から秋にかけては、二万本を超す大小の樹々が、緑一色となって人々の目を楽しませている。
四季の草花と樹々の手入れに、三十年以上の毎土曜に励んでいるグリーンボランティアの人たちの努力のお蔭である。
人工の滝と小川のせせらぎは、夏には涼しさと安らぎの音を奏でてくれる。起伏に富んだ通路はすてきな遊歩道となり、小さな池のほとりは幼児を抱えたママたちの交歓の場となっている。
小高い木立の一角にはバーベキューの場所もあって、管理センターから器具を借りて、緑あふれる木陰で団欒を楽しむ風景も、微笑ましい眺めである。
六月の雨季の夕刻になると、雨乞いの蛙の合唱が始まる。何処でこんなに沢山のオタマジャクシが育ったのかと思うほど、賑やかな声である。
七月に入ると、蝉の声が聞こえ始める。私の住まいは四階なので本当に身近に感じる。最初は嬉しく聞いているが、次第に数が増えて、蝉しぐれとなり、今度はうるさく思ってしまう。勝手なものである。
NHKの二つの朝ドラを楽しんでいるが、夏の三十分間は、テラスの網戸がガラス戸への交代となる。蝉たちには申し訳ないが騒音対策の自衛手段である。
暑い日中になると、時折、勢いよく飛んで来てガラス戸にぶつかって目を回し、テラスで、ばたついているのを見掛ける事がある。何処の世界にも慌て者、そそつかしい手合いがいるもんだなと苦笑している。
八月の盆過ぎる頃から、夕方の合唱の音色に変化が起きる。「みーんみーん」の音声が「つくつくぼうし」との混声合唱へと変わってくる。人々は秋の訪れを口にし始める。
最近、温暖化現象で予期せぬ気象の変化が見られるようになった。東京地方でも、八月二十七日、最低気温20度、最高気温23度の十月上旬を思わせる突然異変を示し、異常気温は数日続いた。
当日、私の部屋の寒暖計を見た妻が驚いて
「あらっ。毎日30度から下がらなくて、こわれたのかしらと思ったのに、24度だわ。タオルケットだけで寒くなかった?」
「朝になってからではもう遅いよ」
妻に任せっきりの日常を反省もせず、思わず出てしまった憎まれ口だ。
朝食時に、ガラス戸を開けた妻が、またも慌ただしく叫んだ。
「蝉の声が全然聞こえないわ!」
小雨が降っていたためか?。冷え込みのせいだったのか?。一時間ほどして雨が止んで、まもなく合唱が再開した。なぜかホッと安堵の気持ちが蘇ったのは我ながら不思議だった。
そのとき、私に新たな疑問が湧いてきた。鳴き止んでいた蝉たちが、今度は一斉に鳴き始めたのは、若しかして、リーダー的な役割の蝉がいるのか、それとも仲間の羽音を聞き分ける聴力機能を持っているのだろうか?。暇な老人の他愛ない探究心である。
「つくつくぼうし」と時を同じくして、盆過ぎの夕方になると、草むらから松虫、鈴虫の声が聞こえ始める。もののあわれを感じて感傷に浸る秋近しである。
秋きぬと 合点させたる 蜩の声
照る日、曇る日。時に雨の日にも、勝手な夢を描き楽しんだ夏だった。
二〇一四年 九月
テーマ  自由題
 
* 八期生浅井伸子さんのご主人です。(HP管理者)
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