平凡な日々の喜び

浅井 孝郎*
まだ這い這いの赤ん坊や、よちよち歩きの幼な児を、両手で抱えて頭上に差し上げ
「ほらっ! 高い高いバアー」
とやると、大概の子供はキャッキャッと声をあげて喜んでくれる。なかには、もみじのような手を叩いて大はしゃぎする子もいる。
人は生まれながらにして、高所を望み、高さを競うのであろうか。優越感は人間本来の性なんだろうかと、ふと思うことがある。
私は歳の離れた三人兄弟の末っ子として育った。父に抱っこされたり、肩車をしてもらった記憶はない。そのためではないだろうがかなりの高所恐怖症で、ある時期まで空の旅とは全く無縁だった。
福岡勤務の折、宮崎の親もとに家族連れで帰るのに、僅か四十分の飛行機を利用せず、延々六時間もの汽車の旅をしていた。家族は呆れはて、やがて空と陸の別行動となった。「VIPは同じ機には搭乗しない」と陸路の私は精一杯の負け惜しみを言った。
私が四十五歳で大阪に単身赴任をした頃から、宮崎で独り暮らしをしていた母が、特養ホームにお世話になることになった。月二回の週末の見舞いには、さすがに、十数時間を要する陸路の旅とはいかず、一時間の空路を選ばざるを得なかった。
しかし、これをきっかけに航空機を利用できるようになり、私の人生は一変した。特に、勤務終盤の十年は全国に出張の機会が増えたが、なんとか大過なく務めることが出来た。
そして、退職後の十数年は、毎月のように帰郷して、小・中学の旧友諸氏と交歓の機会を持った。我が老春に悔いはないと懐古している。
高所嫌いのもう一つ余談として、三十五年前、マンション購入の際、先着順だったのでアルバイトにお願いして三日間並んで貰い、低い四階の現住居を求めた経緯がある。
更に、十年前に、同じ敷地内の一室に長女一家が越して来た。僅か百五十メートルの距離なのに、その間訪れたのは一、二回のみ。十六階の高層なるがゆえである。
子供たちが独立した後は妻と二人の生活となった。日本は戦後六十九年、素晴らしい復興と高い経済成長を遂げ、世界に誇る治安を維持する平和国家となった。天災さえなければ、本当に幸せだと感謝の日々である。
ただ一つ、後期高齢者健康保険料と介護保険料の高いのには、いささか閉口している。妻の分と合わせ年に四十九万円弱とは困ったものだ。
毎日曜日に最寄りの赤羽市場に、楽しんで買い出しに出かけるのだが、これも家計自衛のための方策とこじつけている。
シルバーパス利用で交通費ゼロ、五百円の海鮮丼を求め、発泡酒でお昼の乾杯となる。家訓ではないが、誇りは高く、支出は低くをモットーに楽しくやっている。
そんな日々、妻が笑いながらの夢物語に
「あたしが、もう三センチ背が高ければ、貴方と一緒になっていなかったかもね」
「うん、きっとそうだろうね」
私も笑いながら相槌を打っている。
テーマ 高い
二〇一四年夏
 
* 八期生浅井伸子さんのご主人です。(HP管理者)
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