紅白雑感

浅井 孝郎*
年末年始に良く目にする紅白と言えば、お雑煮やお節料理で存在感を示す蒲鉾と、かっては国民的行事とまで言われた紅白歌合戦の二つかも知れない。
お雑煮については全国各地の醤油味、白味噌仕立てのお椀をはじめ、お餅も丸・角・焼く・煮るなど実に多様である。地方色豊かな具に至っては、野菜・魚介類から肉類まで多彩な種類がある。しかし何んと言っても、私には、代々伝わるわが家の味が一番だと信じている。
かたや、昨年暮れの紅白歌合戦は第六十二回とか、NHKもかなり前宣伝に力を入れていたように思った。前日の某新聞コラム欄に次のサラリーマン川柳の一句が載っていた。
〈こりゃ誰だ この歌なんだ おおみそか〉
初めての顔、初めての歌に年齢を感じながらも最後まで楽しむ事が出来た。かっての応援団と称する馬鹿騒ぎと悪ふざけが姿を消したためかも知れない。勿論、絢爛な舞台と見事な歌唱力、好感の持てた司会者などによることも大であった。
ただ朝ドラ番組の話題が少し多いように感じたのは止むを得ないとして、何人かの歌手の歌詞・発音が私にとっては意味不明であった。画面の字幕を見て理解できたことに時代遅れになった自分を痛感した。
私がこの番組を知ったのは、昭和三十二年の暮である。たまたま仕事の上で知己を得たベテラン歌手の渡辺はま子さんから、ぜひ聴いて欲しいと言われ、横浜の小さな店での、名曲“夜来香”との出会いが最初だった。
舞台を直で見たのは、二十五年ほど前に招待券で並んだ唯一度で、広すぎる会場よりもテレビ桟敷のほうが楽しめたかなと思いながら家路に着いた。当時の事、山手線の巣鴨駅で乗り換える都営三田線は既に終電の時間を過ぎていて、好況時の年の瀬とあってタクシーを拾うのに一苦労した事も、時代の流れかと今は懐かしい思い出となっている。
一月二日、テレビで皇居一般参賀の映像が報じられた。午前と午後の計五回、延べ七万人が打ち振る日の丸の小旗と万歳の光景を見ながら、ふと小学生の頃に思いを馳せた。
戦中の当時、紀元節・天長節・明治節という記念日には、全校児童に紅白饅頭が配られたものだった。講堂での式典は退屈であったが、菓子類が少なくなっていた時代だけに、子供たちにとって大変嬉しい贈りものであった。やがて戦火たけなわとなってこの夢も消えてしまった。
平和な時代の紅白は、私たちの世代にとって本当に素晴しい色彩である。好天に恵まれた東京の年末年始、柄にもなく人々の幸せを祈る三日間であった。
 
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* 八期生浅井伸子さんのご主人です。(HP管理者)
 
 
 
 
 
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夜来香
石井俊雄
渡辺はま子は横浜生まれで横浜育ちの、文字通りハマっ子の渡辺は美貌で知られた歌手であった。祖父がアメリカ人のクォーターであった。 その歌声は素晴しく小生もファンです。その舞台をご覧になったことがあるとは羨ましい限り。 それで、その音源を捜してみましたところ、やっと見つけたのがこのサイトです。 1986年の録画のようだから、当にこんな感じだったのではないかと思いますがどうでしょうか。 (2012/1/7 9:52")