新春雑感

浅井 孝郎*
平成二十七年の新春を迎えた。最近は時の過ぎるのがやけに早く感じるようになった。 仲間にこの事を話すと「全くだ!」の声が、即刻返ってくる。やはり後期高齢者の峠を越えたからだろうか。
それはさておき、正月休みのひと時、誰しも体験する二、三の事を振り返ってみた。
最初に年賀状である。自分と同じく相手方も高齢となって、本人若しくは周りの事情で、年ごとに頂く枚数が少なくなっている。 逆に年末に受ける喪中挨拶が、このところ三十通を数える。わかっていても、気分的に寂しく感じているのは確かである。
最近はパソコンのお蔭で、宛名書きが簡略化されて、とても楽させて貰っている。 表も裏も印刷だけでは相手に失礼だし、味気ないと思い、せめて余白に添え書きだけはと悪筆を走らせている。
嬉しい賀状は、お年玉抽選が終わってからアルバムに綴じる。親族、同窓、友人知人。 社友の四グループに区分して保存している。昨年と今年の分を二冊のアルバムに。せめて二年間はと、大切に書棚に収めてある。
正月と言えば、すぐに連想するのが「お年玉」であろう。私自身、小学五年の春に大連市に満鉄勤務の父を置いて、郷里宮崎に母と二人で引き揚げてきた。
戦火激化してその四年後に終戦を迎えた。当時の状況から国中が食べるのが精いっぱいで、子供たちにとって、とてもお年玉どころの話ではなかった。
周囲の支援を頂いて、何とか成人し、社会人となり、縁あって結婚して、二人の子供に恵まれた。振り返ってみて、 果たして何歳の時分からお年玉を与えたかどうか、また如何ほどの額だったろうかと記憶を辿っても思い出せない。 薄給の身だったとは言え、恥ずかしい次第だ。
その分、せめて三人の孫たちにと思い、ささやかな金額を準備して、爺と婆の真似事を楽しんでいる。
今年の干支は「未」であり、私は七回目の「年男」の春を迎えた。平均寿命を超えて、良くぞまあと感慨ひとしおの心境である。
昔々の軍国時代に生まれ育って、戦中戦後の波乱の時代を生きてきた。 現在の日本を見つめる時、本当に自由で、物心に恵まれた世界有数の幸せな国であると確信している。
時に、自国に対する批判を自慢げに語り、何かと反対を叫ぶ自称文化人を見掛ける事がある。 しかし、七十年前の廃墟から、見事な成長を遂げ、社会のルールを守って、隣人に優しい日本人を、お互いしっかり見つめて、讃え合いたいと思う。
私も余生幾年か、神のみぞ知ると思うが、折角の年男、夢は大きく「前途羊羊」と羽ばたきたいものである。
二〇一五年一月
 
* 八期生浅井伸子さんのご主人です。(HP管理者)
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