シワづくり

浅井 孝郎*
西岡ハル。亡き義母で、妻の母にあたる。彼女は南米アルゼンチンで生まれた。十歳の春に、レストラン経営で成功を見た両親に伴われ、 二人の兄と一緒に、出身地の佐賀県神埼町に帰国したと聞く。
私は、福岡で勤務していた昭和三十五年の夏、或る医師の紹介で見合いをした。縁あって、翌年春に結婚して五十余年となる。
義母ハルと初めて会ったのは、彼女が五十歳、妻は二十一歳だった。私の錯覚だったのかも知れないが、当時の妻は、 新東宝女優の久保菜穂子に似ていたように思えた。そのふっくらとした顔立ちに較べて、母親の細面の顔には少しばかり小皺が見えていた。
私には妙な冷静さがあって、若く美しく見える妻も、年齢と共に、やがてはこのように変わって来るのだろうかと、考えていた。
それから五十余年、陽光うららな先日、外出先から帰ってきた妻が、興奮気味に語りだした。
「ねえ!ちょっと聞いてよ。さっきHさんの奥さんと一緒にお茶してたんだけど、近くで見たら、お口の周りに小皺がいっぱいなの。同じ齢なのにビックリだわー」
「へえーそうだたの?。悪いけど、君だってかなり出て来てるよ」
「えっ!嘘でしょう」
妻は飛び上がらんばかりに驚いて、洗面所の三面鏡に顔を押しつけて見入っていた。
「あらっ。本当だわ!。これ自惚れ鏡だったのね。良く見たら梅干し婆さん。厭になっちゃうなあ」
「まあ良いじゃないか。皺なんて人生の年輪みたいなもんさ。それより、歳とると、心の持ち方が顔に出るから気を付けようよ」
「うん、わかった!」
実に他愛ないやり取りだったが、気分転換の早い妻は、すぐに持ち前の明るい表情を取り戻した。
年齢差に関係なく、日頃は妻の圧力と庇護の下にある私だが、いつまでも飽きのこない明るい性格に支えられている。 長い間、苦労を掛けたなと、殊勝な気持ちを抱くようになった自分に驚いている。
義母ハルは、人生の後半は、夫よりも一女二男の三人の子供に、甘えて頼っていたように思う。 母親の愚痴の聞き役だった妻は、その生き方を反面教師として、自分なりに老後の在り方を実践している。
楽しい話題は目じりにシワを畳み、悲しい話題は眉根にシワを寄せるともいう。
折角生きているのだったら、素直にもっと泣き虫になったり、もっと笑ったり怒ったりして、シワづくりの技を磨きながら、 賑やかな日々を過ごしたいものだ。
老いてこそ言える「皺は夫々の人生の年輪である」と。
テーマ 自由題
二〇一五年五月
* 八期生浅井伸子さんのご主人です。(HP管理者)
コメントはこちらへメールして下さい。その際、文中冒頭に「HPコメント」と記して下さい。 Email
 

<コメント欄>   当欄は上記のメールをコメントとして掲示するものです。