プロとアマ

浅井 孝郎*
日曜日の朝食の後片付けを終えたひと時、いつも妻が楽しみにしているゴルフのテレビ番組がある。シニアプロとアマの9ホールのマッチプレーである。八時からの一時間を、映像に夢中になっている。
シニアプロと言っても五十歳以上からで、年齢体力ともにまだ若く見える。各ゴルフ場のクラブチャンピオンといえども容易に歯が立たない。番組通算の対戦成績はプロの大差圧勝となって、プロの精神的な厳しさと技術の違いを、つくづくと味わっている。
妻がゴルフに興味を持ち始めたのは、子育てが一段落した五十歳の時だった。なんでも取り組むと夢中になる性格はゴルフでも早速に練習場、教室に通い始め、スイングの基本から、ルール、マナーに至るまで熱心に学んだようである。
先月のプレーで、通算1200回を数えたらしい。本人の健康はもとより、一緒して貰った皆さんの厚い友情のお蔭だと思われる。当然の事ながら支払いはすべて自己負担。現在に至る各ゴルフ場の記録したスコアカードと、領収書のファイルが、ずらりとボックスに収められているのは壮観である。
先ほどのテレビ番組を見て感じたのだが、プロとアマの差は何だろうかと思う。
私流に次のような勝手な解釈をしてみた。
◎プロは試合において、遊び心はなく、普段どおりの力量を発揮できるが、アマは緊張興奮などで実力が充分に発揮できない。
◎プロは試合として臨み、勝敗と順位で賞金を競う。アマはゲームとしてプレーを楽しみ、スコアを喜ぶ。
ゴルフの他に、プロとアマの実力差の大きいもう一つのスポーツは、何かなと考えた。これも独断であるが、日本の国技と称せられる相撲ではないだろうかと思う。
現在六場所制となって、幕内だけでも十数人の外国籍の力士が活躍している。ここで、あえて申しあげたいのは、協会と力士全体が国技として、プロとして、更なる自覚と精進を積んで貰いたい点である。
落ち着きのない仕切り、役力士が頻発する張り手、取組み後の挨拶など、品格と基本に欠ける場面が、目について仕方がない。土俵に上がる心の教育を徹底して欲しい。
アマスポーツには、別な意味でプロと異なる素晴らしい個性や良さがあると思う。それぞれの特性の中で、私が最も心躍るのは夏の全国高校野球大会である。各地方予選から、ドラマを勝ち抜いてきた代表の表情を見るだけで、良くぞ甲子園にやって来たと、拍手を送っている。春の選抜大会とは、ひと味違った感激と興奮を覚えるのである。
スポーツの他でプロとアマの格差の大きさを考える時に、すぐ思い浮かぶのは、囲碁と将棋だ。私も初歩の入口をかじった時には、専門棋士たちの頭は、一体どのような構造なんだろうと考え、対局中は、何手先まで読み切っているのだろうかと驚嘆した事だった。全ての定石をそらんじ、多くの棋譜を並べて努力する様は、コンピューターと見紛う一面もあった。プロは凄いの一語である。
「プロとは如何なる人を呼ぶか」
と問われれば、私は次のように答えよう。
「その道に励んで、その道で生きる人」
本来ならば、この事は全ての職業に通じる考えではないだろうか。生きていくためには、教師だって、会社員だって、誰だって、各々の進む道でプロにならなければだめである。そうでなければ、恥ずかしいと思わなければいけない。
徹底したプロ意識に充ちた専門職としての自覚。純粋なアマチュアリズムに立つ社会人としての行動。一人一人が目標のある日々を過ごしたいものである。
テーマ 自由題
* 八期生浅井伸子さんのご主人です。(HP管理者)
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