白いマスク

浅井 孝郎*
自宅が地下鉄三田線の沿線にあるため普段からよく利用しているが、昨年の暮れから今年の初めにかけて、車内でややびっくりする光景に出会っている。それは携帯電話を扱う人に負けないほどに、白いマスクを付けた人が増えた事である。
寒さのため出不精になっている私なので、はっきりとは言えないが、東京の街なかでマスクをした外国人を見受けることは、極めて少ないのではないだろうか。そして今の時期に初めて来日した異国の人たちにとって、異様な文化に映るのではと考えている。
今のところ大小の差はあっても殆どが白色で、余りカラフルなものや、昔あったようなとんびタイプは殆ど見受けない。老若男女を問わず大きさと厚みの差はともかく、比較的単一な色と形のようである。
お正月明けから三回ほど、最寄りのバス停で大きなマスクをした婦人から、麗しい笑みを浮かべて会釈をされた事がある。誰か分からぬままに脱帽して丁重に挨拶したが、通り過ぎてから「はてさて何処のどなたかな」と自問自答した。顔を隠すほどのマスクの下で麗しいもへちまもあったものではないが「お主、いつまでも甘いな」と独り赤面している次第である。
また二月上旬のある日、近くの整形外科医院に検査に出掛けた。診察を終えて混み合う待合室に出た時に「浅井さん」と名前を呼ばれた。ご夫婦と思しきその顔を見たが大きなマスクで誰やら分からなかった。するとマスクを外した男性が「A棟の近藤です」と挨拶された。何処にもご一緒されるおしどり夫婦のお二人であった。お付き合いのある男性の場合でも、やはり判別が難しいなと思った。 元宝塚ジェンヌの奥さまはマスクはそのままであったが、多分スッピンだったのではと、私は秘かな推理を楽しませて貰った。
実は寒がりのくせに汗かきの私にとって、マスクは全く苦手で、外出時は専ら紙コップ持参でうがいを励行している。ところが灯台下暗しとはよく言ったもので、この流行に便乗した者が一番身近に現れた。わが家の女房である。成人の日あたりから急に思いついて使い捨てマスクを買い込んで来た。週二回のプール通いと週一回の赤羽市場に買い出しにスッピン、サングラス、ひさし帽を目深くの格好でバス利用のためである。
化粧落としが省けるし、他人様に分からないからと言うのが理由のようだ。「折角の美貌が勿体ない」とからかっても全く動ぜずの初志貫徹は、年の功としか言いようがない。寒い季節の中、女性の特権かなと思い、好きにして貰っている。
私の多感な少年時代には、マスクに対して衛生的なイメージの他に神秘的、活劇的、英雄的、浪漫的な思い出が一杯詰まっていた。初恋のお相手は小学五年の冬に肋膜炎で入院した時、毎日巡回してくれた看護婦さんであった。淡い片思いは白いマスクの下の顔を知らぬうち三週間後の退院で幕を閉じた。
そして戦後間もない頃、心に灯をともしてくれた映画のヒーローは、嵐寛寿郎が演じる鞍馬天狗とタイロン・パワー主演の怪傑ゾロの颯爽とした覆面仮面の英姿であった。時は移りテレビ時代となり、主役は月光仮面、仮面ライダー、タイガーマスクへと変化変貌した。懐かしい思い出は尽きない。
この冬は、全国的に異常なほどの厳しい冷え込みが続き、史上稀な積雪のため、北国の皆さんは大変なご苦労の日々と報じられている。 インフルエンザの蔓延も非常に懸念され一日も早く暖かい春の訪れを心待ちしている。 その時は白いマスクとのお別れかも知れないが、喜んで有難うとサヨナラを言うつもりである。          (二月下旬に)
 
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* 八期生浅井伸子さんのご主人です。(HP管理者)
 
 
 
 
 
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