見る 聞く 思う

2017・2・10
浅井 孝郎*
二〇一七年一月、第45代アメリカ大統領が就任した。その早々から連日のように思いつくままの発言と、要請を受けての大統領令を連発している。 最重要人物の言葉だけに、世界各国での反響は大きい。
メキシコ国境との壁建設や、中東・アフリカ七?国を対象にした入国制限に関しては、「移民が能力を発揮してきた国なのに移民排斥問題だ」などの指摘が相次いでいる。
我が国にとっても、環太平洋経済連携協定から永久離脱する大統領令署名に関しては、「輸出産業への影響は避けられない」との受け止めや、 日本国内での米国車販売の実情を問題視していることについては、「自動車の関税について、的外れなことを言っている」など批判の声も大きい。
その他、主要国の首長に対する電話会談を見ても、実に言いたい放題のような気がしてならない。
二月中旬からの安倍首相とのゴルフを交えての、破格の応接ともいえる二度目の会談の内容結果が注目される。
就任間もない大統領に対して、私のような門外漢の言葉は的はずれで、誠に失礼かなと思うが、企業人ならともかく、 世界に冠たる国の大統領の適性としては、いささか不適格であるように思える。
就任早々先ずは、周囲の声に耳を傾けることに専念すべきで、自身自らがあれもこれも盛り沢山の主張を並べるのでは、首をかしげざるを得ない。
いづれにしても、大国の長としては、誠に独断的で珍しい人物と言えよう。我が国との政治経済面はもとより、世界全般にどのような影響を及ぼすか、 これからの成り行きを見守りたい。
同じ一国のリーダーでありながら、極端な独裁ワンマンぶりを発揮している人物がほかにも存在する。国家体力の規模は別として、 北朝鮮の大統領がその一人である。私からは、自己顕示欲に駆られて、猜疑心に富む、我儘な男にしか見えない。
意見具申する者は遠ざけ、イエスマンのみ近くに侍らせる国の舵取りは、進むべき方向を見誤り、時として、自国のみならず、 周辺諸国にも影響を及ぼさないと限らない。
決してゆとりがあるとは言えない国家予算を費やして、何回もの失敗を重ねながら、ミサイル弾の試射を、楽しむかのような、自己アピールでは、 飢えに苦しむ多くの人民は、たまったものではない。
テレビの映像で見る限りではあるが、まだ若い彼の周囲は、老齢の軍人ばかり。そして本人一人だけが、満ち足りて丸々とした体型の服装である。
人民の生活レベルの向上を二次的にして、限られた階級だけの栄華と、ミサイルの増強にうつつを抜かすのでは、 一般の国民は不幸そのものである。生を受けた国や場所によって、人の運命が左右される現実の厳しさを、つくづくと感じる次第だ。
自由主義と共産主義の相反する二つの国であるが、周囲の意見を採択しない、あるいは軽視する共通の感覚を持った二人のリーダーが、 それぞれの国の舵取りをしている事に、大きな関心と懸念すら抱いている。
ワンマンの是非論は、過去の歴史と人物論から、そして、私自身の未熟な体験を通して、その是非を語ってみたい。
日本の歴史を振り返ると、徳川幕府三百年の代が築かれるまでの、リーダーの多くは、 ワンマンあるいは独裁者的な人物が多かったように思える。昭和ひと桁世代の私たちが学んだ、 信長、秀吉、義元などをはじめ諸々の小国の領主に至るまで、枚挙にいとまのないほどの名前が浮かんでくる。
世が徳川に代わると、諸国の大名を統治して中央集権の時代に移ってきたようである。そして、明治から大正、昭和と歴史の変遷に伴って、 民意を基軸とした風土に変わって来ていると思う。
国家の近代化と大型化、さらに世界の変化の多様化、スピード化につれて、すべての面で大衆を基盤とする時代背景が、訪れたのではないだろうか。
私自身、四十年の職場人生で、支店を含む十数年の経営サイドにあったが、振り返ってみると、新任の頃と、組織が小規模の頃は、 単なるワンマンだった様に思う。それでも、規模的に通用した事と、もうひとつ、他人の意見に耳を傾ける余裕がなかったのではと、反省している。
その後、私にもささやかな経験であるが、幾分なりとも組織力を結集するため、機能性を発揮すべく周囲の意見集約に努力した思いがある。
極端な規模の二国を、新聞テレビで学びながら感じたことである。
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