まあるく過ごそう

浅井 孝郎*
その昔「人生五十年」と言われた頃があった。織田信長が本能寺での最後の句として
「人間五十年 下天の内に較べれば 夢幻の如くなり」
と詠んだ幸若舞『敦盛』の一節で、多くの人の耳に深く馴染んでいるのかも知れない。
古来、国の内外を問わず、戦いに明け暮れた頃は、自然死を迎える前に、殺伐な死への旅立ちが先に訪れたのだろう。
悠久の歴史のなかの、僅かな一コマに現存する私たち日本人は、たまたま安全な国の、しかも良き時代に生を受け、育まれている幸せに、心から感謝しなければと考える。机の上の丸い地球儀を見つめながら、その僅かな一点に過ぎない東洋のこの国に、生を受けたことを素直に喜んでいる。
せっかくこの時、この国に生まれているからには、お互い楽しく穏やかな日々を過ごしたいと思うのは、誰しも同じ願いであろう。このような簡単なことすら分からず、戦いを止めない人類の歴史に、虚しさと寂しさを感じる年齢となった。
物の本によると、人との付き合いが円滑にいかないような性格を、角のある人柄と言うらしい。また、物も言いようで角が立つとの言葉も聞く。
逆の場合には、円満、円熟などの、丸いと言う表現を用いるとある。また時として、人相骨相の域にまで入り、丸顔の人物像が、角ばった人に比して、明朗快活に見られることもあるようだ。
このほど、老いて初めて「丸い・円い」を辞書で引いてみた。
「外縁のどの部分も、そのものの中心から、等距離にある形。円や球の形」とあった。
「角ばっていない。ふっくらしている。穏やかだ。円満だ。円く収める」ともある。いずれにしても、先ずは結構な意味表現である。同じ一生、出来れば、まあるくとありたい。
話は変わるが、私たち日本人の象徴である日章旗は「白地に赤い日の丸」である。世界の数多い国旗の中で、日の丸ほど単純明快な旗印はないと思う。
古い話だが、戦中に生まれ育った私は、日の丸と共に、中学時代まで成長したと言って過言でない。新年に始まる年間の各祝祭日には、どの家の玄関にも日の丸の旗が飾られたものである。時代と共にその慣習も見られなくなった。戦後の思想の変化が、大きな理由だと思うが、住まいの場がマンション等の、高層ビル主体の街造りとなったことも、その一端かもしれない。
現在では、日の丸を見かけるのも、国賓の来訪時か、オリンピックなどスポーツの大会が主になっている。右翼と視なされるかもしれないが、三年後の東京オリンピックを機会として、一段と、国旗日の丸に対する認識を深めたいものである。
ところで、個人的には好きではないが、人差し指と親指で丸を作って、金銭を意味する一種の仕草がある。人それぞれ環境職業によって習慣も変わるので、他人がとやかく言う筋合いはないが、面白く見受けている。
子供心に帰るとき、昔物語りで童子の呼称に「丸」の字を見たことがある。「牛若丸」や「森蘭丸」の名前が懐かしい。彷彿と私の幼少の時代が蘇ってくる。
また一方では『蜘蛛切丸』など銘刀の名前に付けられたことも多かったと聞いている。これも楽しいチャンバラ物語を思い浮かばせてくれるから有難い。
ふと過去を振り返るだけでも、いろいろな話題が思い浮かんでくる。ここでもまた年齢を感じるようになった。
折角の人生。もうしばらく「まあるく」とありたいものだ。
テーマ 「丸い」
* 八期生浅井伸子さんのご主人です。(HP管理者)
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