一番の宝もの

浅井 孝郎*
このお盆休みに八十六歳の誕生を迎えた。頸椎と腰椎の手術とリハビリで六か月の入院を終えて自宅に戻り、一年半が過ぎた。お蔭で現在は何とか杖を頼りに、三百メートルほどの歩みを励んでいる。
退院早々に来訪を受けたケアマネージャーの調査・認定・紹介で現在の施設に、火曜と土曜の週二回デーサービスに通って楽しんでいる。
八時三十分から十五時三十分頃までの規則的な生活は、他の日にも一応のリズムを与えてくれて、車椅子の生活から杖の歩行へと、少しずつの伸びを示すようになった。
現在の体況になって残念に思うのは、何と言っても自由に動き回れないもどかしさと、ひいては、友人諸氏と会う事に制約を受ける歯がゆさである。
私にとって、掛け替えのない宝ものとは、友人の存在に勝るものはない。多くの友人の支えを受けて、初めて自分があるのだと感謝の念は尽きない。
この春も二百五十通ほどの賀状を交わした。親族、学友、社友、一般に四分類して、二年保存の二冊のアルバムに収めている。
現在はメール、電話での会話、連絡が流行りのようだが、私はなぜか手書きのハガキ、封書が好きで、机の引き出しには常時、線引きしたハガキが三十枚ほどと、何種かの便箋と封筒が用意してある。
嬉しいことに、優しい仲間が何度かの会う機会を作ってくれている。
毎月第二水曜には区内の友四名が集まり、隔月第三金曜には社友八名の定例会。そして年三回、高校(宮崎)同期の十名が集まる。社友と同期の二つの昼食会には、在京の住まいのほぼ中心でもある品川駅近くの、ホテルのレストランで開かれる。
そのほか関西、九州から友人たちが上京する機会に声を掛けてくれる。有難いことこの上なく、文字通り感激の一語に尽きる。 品川などの会には、いずれも介護タクシーを利用して、妻同伴の参加の許しを貰っている。明るい性格の妻が皆さんとも打ち解けて手助けしてくれている。
時として民族間の感情的な対立が生じ、時代とともに国際間の問題も表立って来る。人間関係も殺伐とした空気にならないとも限らない。それだけに一人ひとりが心にゆとりを持ち、日々を優しく生きたいものである。
「友人とは、本当に有難い存在であり、文字通り宝物である」
お互い理解し合う心こそ大切である。
私がこのように、多くの友人諸兄姉に恵まれていることを振り返るならば、次のような日頃の生活習慣が思い浮かんでくる。
一つは、先述したように、ハガキと手紙を折に触れて出していることである。もう一つは、言葉遣いと態度などのマナーを守って、相手の人格を尊重する気配りをしていることの二つかも知れない。
子供たちに残してやれるものは少ないが、一番大切な「友」を、しっかり守るように、その心だけは繰り返し教えていくつもりだ。
テーマ 次世代に残したいもの
* 八期生浅井伸子さんのご主人です。(HP管理者)
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