人生回顧のこの頃

浅井 孝郎*
いつしか八十六歳となって、時の過ぎる速さに驚いている。振り返ると数多くの人たちとの出会い、いろいろな機会との遭遇、すれ違いなど、枚挙がないほどだった。
考えてみると、私たち昭和ひと桁の世代ほど、その生涯のなかで、学校、職場、軍隊など、変化に富んだ時代を体験した者たちも、少ないだろうと思う。今では私も、その中の一人であることに、一種の興奮と誇りすら、感じている。
思い出すとその昔は、職場の帰りや仕事が終わっての一服に、同僚たちと連れ立って、居酒屋の暖簾をくぐったものである。
三人寄ると、決まって出るのは上司の悪口が相場だったたようだ。不思議なことに、あまり職場の批判は聞かないのが、おおかたの仲間内だったらしい。短い時間での安い酒で憂さを晴らして、また翌日からのエネルギーを蓄えたのだろう。
そう言えば、地方の古い家の壁には、よく額が掛かっていたのを思い出す。先祖の写真と並んでいた家訓だった。そして職場には、社訓と称する何ケ条か掲示してあった。同じように学校、軍隊では、更に充実した内容の文体が随所に見られた。
小学生の頃、教育勅語という教えがあって年に何度かの式典の折に、校長先生が奉安殿から恭しく取り出して、黙礼している生徒に厳かに朗読されたことを思い出す。
低学年の頃には、その暗記を命ぜられて、意味も理解しないままに、一生懸命声を出したのを覚えている。今頃になって、掛け算の九九、歴史の年表など、戦前の教育は暗記を多く取り入れる指導が多かったのかなと考えている。
人間も、年齢と時間によって経験を重ねるにつれ、温厚さを増すとともに一種の諦めと悟りの域になるのかも知れない。勿論物事には例外があるのはやむを得ないだろう。
 ある日、久しぶり訪れた友人宅の、部屋に掛けてあった額に目をやり、その面白い箇条書きに驚いた。早速に写してきた。それは、
「十八歳と八十一歳の違い」という軽妙な文章だった。曰く
心がもろいのが十八歳  -----------------骨がもろいのが八十一歳
道を暴走するのが十八歳  ---------------逆走するのが八十一歳
恋に溺れるのが十八歳  -----------------風呂で溺れるのが八十一歳
東京オリンピックに出たいというのが十八歳 --それ迄生きていたいと言うのが八十一歳
自分さがしの旅をしているのが十八歳  -----出かけたまま分からなくなって皆が探しているのが八十一歳
写しながら吹き出してしまったが、他人事でない現実を感じたのも事実である。
私自身が最近感じるのは、物忘れと記憶力の低下である。悲しくなることすらある。そのため、自分なりに講じている対策として、一日わずかな時間でも、必ず文字を書くようにしている。
毎月の通信教育のエッセイ講座とあわせ、もう一つは、極力手紙を書く事である。書きやすいように、ハガキに十本の縦線を引いて二十枚ほどを備えている。
最近、字を書いてびっくりするのは、文字を忘れていることである。そのため、二部屋それぞれの机に、辞書を備えるようなった。年齢相応にわきまえて考えたいと思う。
そうだ同期の仲間にも伝えておこう。
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* 八期生浅井伸子さんのご主人です。(HP管理者)
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老若対比
石井ト
18歳に時は金だが、81歳に時はリスク
18歳に金貸すが、81歳に保証人課す
18歳はネットで買うが、81歳は店で買う
18歳はサラダというが、81歳は漬物という
18歳は延命願い、81歳は天命を願う
18歳は麦飯を食わず、81歳はハンバーガーを食わぬ
(2018/1/8)
 

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