初めての体験

浅井 孝郎*
人生八十六年になるが、初めて味わう体験だった。大仰だがその記念すべき日は、平成三十年四月十九日である。午前中は小雨だったが、午後から晴れて気温十六度となった。
実は二か月ほど前から、トイレで薄い潜血を感じ、処理した折に、ちり紙に僅かばかりの色を見るようになった。
住まいのマンション一階に、四軒の医院が並び、なかに、月一度の通院している医師がいる。四階の我が家からエレベーターで降りて、杖を頼りに妻との道行きとなった。
診察を終えた医師は、検便をした結果で判断しましょうと、一週間後となった。
そして恐る恐るの再診は
「大丈夫、マイナスです。心配いりません」
いつもの笑顔で答えて貰った。
「しかし、ご心配でしょうから、何処か検査に行くのでしたら紹介状を書きましょう」
医師と話し合って、板橋中央総合病院に決めた。自宅から一キロほどの近さを、一番の理由にしたのである。
同総合病院の外科を紹介され、三月三十日に初診を受けに行った。問診が済んで、検査の日は四月十九日午前八時となった。
一週前からの注意事項など、手続書類一式をもらって帰宅した。依然、僅かな付着を見ていたので、気分的にはスッキリしなかったが、この年齢になればと、爺なりの開き直りも少しばかり出てきた。
当日は生憎の雨模様だったが、幸い最寄りの個人タクシーを予約してあったので、病院には八時少し前に着くことができた。驚いたことに、早や大勢の人が外来の待合室に腰掛けていた。世の中、患者の数は多いなあと、今更ながら感じた事だった。
外科受付での検査表の記入と、再度の問診を済まして個室に入った。九時から大腸内視鏡検査のための下剤の服用となった。六回に分けて一八〇〇ミリリットルの服用だった。一回三〇〇ミリリットル一〇分間隔はさすがに堪えた。
スポーツドリンクに似た味で、四回あたりから次第に辛くなり、トイレに通い始めた。一回当たりに飲む時間が三分を要するようになって、何とか飲み終えたのは、十時三十分を過ぎていた。
詳細の説明は聞いていたが、気分の回復、内臓の落ち着きが戻るまで、更に一時間以上を要した。その間に看護師が数回、顔を見に来て、アドバイスと励ましを続けた。
検査室に案内され、私にとって、初めての内視鏡検査が始まった。二人の若い医師に、やさしく声を掛けられて、ベッドに左向きに横たわった。大きな鏡が目の前に、こちらを見つめていた。
横向き、上向き、両足上げなど、様々なポーズを取らされ、結構痛かったが我慢の一字だった。三〇分ほど進んだ時だった。
「どうも上手く鏡が入らない。M先生に連絡してくれますか」
おやおやと思いながら、電話連絡での到着を待った。すぐに、M医師が来室して検査の続きとなった。延べ四十五分を無事に終え、待合室の家内も呼ばれての説明を受けた。
「本当に奇麗な状態です。何の心配も要りません。潜血は自分で傷つけたものでしょう」
私もほっとしたが、それ以上に妻の方が、安堵しただろうと思った。この数年、心配のかけっぱなしで、本当に相すまぬことと思っている。生来のわが儘な性分、気を付けたいものである。
すべてを終えたのが午後二時、午前八時から延べ六時間、飲まず食わずの辛抱だった。しかし二人ともこんなに嬉しく感じたことはない。初の内臓検査を受けてお墨付きの安心感を味わった。病院近くのコンビニで求めた弁当だったが、我が家では、感激の豪華版となった。
* 八期生浅井伸子さんのご主人です。(HP管理者)
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