老いを感じて

浅井 孝郎*
当家のマンションの一階に、九月中旬に、青山医院が夫妻で新たに開業した。三十年もの間の長沢医院が、老齢のために移られたのである。患者全員のカルテはそのまま引き継がれて、ご主人が内科、奥様が整形科として担当された。新しく模様替えをされて、私も去る九月二十七日に初診に伺った。
初めに女医先生に挨拶をして、次に主人である青山医師の診察を受けた。従来の流れで軽い気持ちの面談のつもりでお話した。
「何か気になってる事はありませんか」
「有難うございます。強いて申せば足もとがおぼつかないことでしようか」
「それでは、念のために血液検査をしてみましょう」
その一言が今回の事の始りとなった。
翌日(金曜日)の夜八時ごろに電話があった。
「下の階の医師の青山ですが、明日早速ですが板橋の日大病院に行って下さい。担当医に紹介状を書いておきますので、朝八時半に私方に取りに来てください。念のため入院の準備もお願いします」
有無を言わせぬが、親切な言葉に、恐れを感じながらも、慌ただしい夜となった。至急最寄りの介護タクシーに予約をお願いした。
翌九月二十九日(土)九時に板橋日大病院の血しょう内科、八田医師の診断となった。診察、検査、採血、輸血などを受けて、支払いを終えたのは十八時頃だった。採血の検査と輸血のための準備、輸血の時間など、終るまで食事抜きの私だったが、妻も読書がてらに頑張ってお付き合いをしてくれた。次回は翌週の土曜日となった。日常生活は平常通りを許されたが歩行がままならないのは悔しい思いである。
翌週の十月六日(土)も九時からの受付となった。毎々の採血はうんざりだがやむを得ない。血小板が極めて少なく、基準値の十分の一の数値との事で、自身驚いている。
「全く危ない数値です。いつごろから感じられましたか」
問れても、答えようがなかった。
点滴が始まったのは昼前後で、骨髄液の検査の結果は未定ですが、来週からは木曜日に来院して下さい。それに貧血がひどいので検査と輸血を続けていきましょう。頑張ってくださいとの事で午後三時に退院した。
次回は十月十一日(木)九時の予約受付となった。同じように採血から始まって、輸血となった。血液が少ない状態なので、しばらくの間は通院を続けてください。頑張ってみましょうと励まされた。
次の十月十八日(木)は十時三十分からであった。同じく採血から始まって、準備を待って、ようやく点滴が始まったのは十二時近くとなった。ところが始まって三十分を経過したころ、猛烈な痒みが始まり、我慢できない状態となってナースコールをかけた。
痒みがこんなに堪えられないものかと驚いてしまった。応急の痒み止め点滴は約一時間に及んだ。それだけでは済まず、黄色の点滴に代わって、次に赤色の輸血となった。早く終わる予定が夕刻五時となって、続いて土曜日に再度の通院となった。 ここで病名が(再生不良性貧血)(指定難病)と聞いた。
いつも思うのだが、担当の八田医師はもちろん、看護師皆さんの応接が、本当に親切なことである。 大学病院がこうも有難いものかと嬉しくなった。お世辞抜きに、医は仁術と感じた次第。暫くは通院が続くと思うが、甘えてみたいものである。
十月二十日
* 八期生浅井伸子さんのご主人です。(HP管理者)
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