宮尾登美子のエッセイからから語彙を拾う

H28/5/19
石井俊雄
最近、閑。
それで、昨日、図書館を訪ね、本を数冊借りてきた。
その中の一冊は、大活字本で、書名は宮尾登美子著の「はずれの記(上)」だ。
普段、宮尾登美子の本などとは無縁だが、 この本は、枕草子を思はせるようなエッセイ集で、大活字本だから、パラパラ目を通すには、もってこいであると思って借りてきた。
先ず、目についたのは、「椿」という段の中の「椿寿」(ちんじゅ)という言葉。
小生、初めて聞く言葉だったが、なんとなく品格のある言葉だと思ったので、 辞書で調べてみた。だが載ってない。辞書は、岩波の「国語辞典」である。
次に、ネットで調べたが、「陳寿」なら出てくるが、「椿寿」は載ってない。
最後の奥の手は、「広辞苑」である。・・・これには載っていた。流石である。
その中には、次のように書かれている。
「荘子 逍遥遊」、「長寿」、「長命」、「椿齢」、「大椿」
とあった。
更に、「荘子 逍遥遊」でネット検索すると、「荘子」逍遥遊に、
「上古大椿という者あり、八千歳を以て春と為し、八千歳を秋と為す」から、長生きすること。 長寿。特に、人の長寿を祝っていう語。
とあって、一件落着した。
要するに、「椿寿」とは、長生きのことだったのである。 ・・・やれやれ、語彙が一つ増えたようだ。この歳で、直ぐ忘れるかも知れないが。
ついでに「陳寿」も調べたら、「三国志」の著者だった。西暦233年〜297年、中国の三国時代を生きた人である。
なお、「珍事」なら知ってるよね。これなら普通の辞書に載っている。「椿事」の小事件版である。
次に目についたのが「遠近」(おちこち)である。「月」という段に載っている。 意味は、「あちらこちら」、「ここかしこ」ということである。岩波の「国語辞典」に載っていた。
このような意味で小生が知っている語彙は、「あちこち」である。 この言葉を岩波の「国語辞典」で引くと、「あちらこちら」、「ほうぼう」とあり、 用例として、「その例はあちこちにある」の記載がある。
面白いのは、小生、「おちこち」という言葉を知らなかったことを知ったことだ。
実は、「おちこち」は「あちこち」が訛ったものくらいの認識だったのだ。 でも違うのは明らかだよね、その用例を見ると分かるのだ。「その例はおちこちにある」とは言わないから。
その違いを、眼前の風景として説明すると、「おちこち」は遠近方向の位置の違いを指すのに対し、 「あちこち」は、水平方向の位置の違いを指す、と言えるだろう。 ・・・日本語って結構立体的な解像度を有する言葉だというのが分かるというものである。 漢字を当てるとしたら、「おちこち」が「遠近」なら、「あちこち」は「右左」かも。
何れにしろこの「おちこち」の語彙は宮尾登美子氏が、国語、国文に通じておられることを実感させてくれる出来事だった。
大活字本は、字が大きいのでそのような僅かな違いも鮮明に見せてくれる。
文庫本だと見逃すような些細な違いを見逃さないのも、 枕草子のような繊細さをもった著者の感性を受け取る上で大事なのだろうと思う。
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