「安保転換を問う」−成立断念して出直しを−

(新聞記事抜粋)

H27/9/3  石井俊雄
今朝の毎日新聞朝刊の社説に、標記の社説が載った。
内容は、小生として腑に落ちる話だったので、その中から、重要と思われる部分を抜粋してみることにした。
お節介かも知れないが、ポイントをピックアップすることは、国会審議が大詰めとなりつつある今、必要なことだろう。
閑だし、自分でも、現状を知っておく必要があると思ったからである。
社説の内容を箇条書きにすると、次のようになる。なお、見出しは小生が書いたもので、その下行の文章が新聞からの抜粋だ。
  1. 民意との乖離
    各種世論調査では、国民の過半数が法案は憲法違反と考え、6割が今国会での成立に反対している。
  2. この法案(安全保障関連法案のこと)の目的
    米国の力の低下と中国の台頭に対応するため、日米同盟の抑止力を強化するのが目的だ。
  3. 法案についての政府説明
    安倍晋三首相は、法案によって『抑止力は更に高まり、日本が攻撃を受ける可能性はいっそうなくなっていく』という。 だが、こうした説明は、政府が考える法案のメリットのみを強調したもので、リスクを語ろうとしておらず、一面的に過ぎる。
  4. 集団的自衛権について
    この法案は、・・・いざとなったら他国を守るため集団的自衛権を行使して戦闘に参加することを可能にするものだ。
  5. 憲法解釈について
    安倍政権は、そんな戦後の安全保障政策の大転換を、憲法9条の改正手続きに訴えることなく、 憲法解釈変更と関連法案の成立によって、実現しようとしている。
    これは、行政府に許される裁量の範囲を超えている。憲法は権力を縛るものだという立憲主義の理念から逸脱している。
  6. 集団的自衛権行使の必要性に関する政府説明の揺らぎ
    『中東・ホルムズ海峡での機雷掃海』の事例は、遠い中東で、 ・・・原油輸入が滞るという経済的理由から集団的自衛権を行使することに、国民の理解がない。
    『法人輸送中の米艦防護』の事例は、首相が『日本人の命を守るため、自衛隊が米国の船を守る』と強調したものだ。 だが、中谷元防衛相は、『法人が乗っているかいないかは(行使の条件として)絶対的なものではない』と語った。 日本人を守るための集団的自衛権の行使という説明が崩れてきている。
    また、米軍など他国軍への後方支援では、自衛隊は弾薬の輸送や提供ができる。・・・法文上は、輸送も提供できるという、 無限定ぶりが浮き彫りになっている。
  7. 法的安定性の問題
    磯崎陽輔首相補佐官は『法的安定性は関係ない』と語った。
  8. 国民理解への政府側の姿勢
    法案の内容以前に、政府側には、議論により国民の理解を深めようという基本的な姿勢が欠けている。
  9. 自衛官の命の問題
    自衛隊の活動は、国民の理解と与野党の幅広い合意のうえに成り立ってこそ、安定したものになる。 国民の大半が十分に納得し、主要野党の山道が得られない限り、自衛隊の活動を拡大する法案を成立させるべきではない。 国民の後押しがないまま、自衛官を命の危険がある海外での活動に送り出してはならない。
  10. 結論
    安倍政権は法案成立を断念すべきだ。そのうえで、まず与野党は、安全保障環境の変化を踏まえて、 日本のあるべき国家像についての共通認識を持つ必要がある。その土台のうえに、日本が東シナ海、南シナ海、中東などで、 それぞれどう関わっていくべきかを徹底的に議論し直すよう求める。
以上が抜粋文だ。
結論では、「日本のあるべき国家像についての共通認識を持つ必要がある」としているが、確かにそうだと思う。 今の安保法案は、拠って立つべき未来思考が欠けている。
「戦後70年の特集」でも書いたことだが、日本語に未来構文が無い、ということから来る思考法が、現在だけの思考に止まり、 未来のあるべき姿を描けていない。 若し、あるべき姿が描ければ、それを基準にしてどうするかの方策も決まってくるはずだ。 従って、この社説のいう通り出直しが相当だと思う。
日本語に未来構文が無い、とはどういうことかと言えば、次のようなことである。
例えば、「私は明日散歩するだろう」という場合、 日本語では、「・・・・だろう」という表現しかないが、「だろう」は推定であり断定ではない。
一方、英語の場合、"I will take a walk." は推定でなく断定である。(「言語と考え方」(寺嶋眞一氏作)より引用)
即ち、日本語には未来構文は無いのである。 時制は、「今」とか「昨日」とか「明日」とかの言葉を使って時系列を表わすものではない。
言葉ではなく構文で未来を言い表わすことができるのが英語であり、できないのが日本語である。 (「つれづれなるままに」(寺嶋眞一氏作)より引用)
構文で未来を言い表わすことができないとは、日本語誕生の昔から、 日本人の思考が未来を考えなくても生活出来たということであり、 英語の世界というか欧米とか中東世界では、あるべき姿という未来思考を抜きにしては生活できなかったということである。
そのような生活実態を反映した結果が人類の思考法であり言葉であろう。 言葉と思考は表裏一体のものと考えられる。
このことから言えるのは、日本人の思考が、現在のことだけに限られてしまうということだ。
何故なら、未来構文のない日本語で、明日とか、明後日とか来年とか、言葉を使って、未来のことを考えても、 「・・・だろう」という言葉は推定と受け取られ、未確定の話として退けられるのだ。 その点、未来構文であれば、推定としてではなく断定として語られるので、マジで取り上げられるのである。
言葉ではなく構文で未来を言い表わすことができるなら、話の内容が、どの時制のことについて語っているのかを、 一文一文ごとに断定できる。
一方、未来構文が無い言語では、文章ごとのレベルでは、その文章の時制がどこを指すのかが不明である。
だから、議論の過程で、現在のことをいうのか未来のことをいうのか分からず、ゴチャ混ぜの芋煮みたいになるのである。 即ち、未来という芋は、鍋の中で溶けてしまい、現在という芋だけが残る、というわけだ。 これでは、未来芋を味わうことはできない。 それどころか、残りは現在芋だけになり、まずいところがあればその部分だけ捨ててしまうなど、当座の手直しで済ませてしまう。 即ち、我々が得意とする局所弥縫策の登場となるのだ。 今回の安保法案がまさにそうであるようにだ。 ・・・かくして人は現在芋だけを味わい満腹して満足してしまう。 次回の芋煮会も、同じようなことを繰り返すだろう。即ち、未来芋は溶けてしまい、不味い現在芋は手直しされる、のだ。
だから、この毎日新聞の社説の結論である、
「日本のあるべき国家像についての共通認識を持つ必要がある。その土台のうえに、 日本が東シナ海、南シナ海、中東などで、それぞれどう関わっていくべきかを徹底的に議論し直すよう求める。」
という主張は、未来のあるべき姿を語るべしとしたもので、妥当なものだと思える。
日本人は、自分の思考法から未来思考が抜け落ちていることを自覚するべきである。 多分、そのような欠落があることを自覚してないだろうから。
孫子は、「彼を知り己を知れば百戦危うからず」と言ったが、その通りである。 要は「知己」だ。
それとも、日本語を改変するかだ。 例えば、活用は、過去は「た」で、現在は「る」で、表わすのだから、未来は例えば「らめ」で表わすとかである。 そうであれば、「日本語は未来構文を有すらめ」ということになる。
最後に、安保法案を変える必要が本当にあるなら、憲法改正をすべきである。 その上で、安保法制を整備すればいい。 本当に必要なら、解釈なんて姑息な手段を弄するのではなく、正面突破すべきである。 そうすれば国民は分ってくれると思う。 今のやり方って、姑息過ぎる。子供っぽい。・・・このようなチープな(安っぽい)政治テクニックを使っているようでは、 自民党も公明党も、頼りにはできない。・・・もっと大人になってくれ!・・・いつまで12歳でいるのだ? ・・・我々からみると羨ましいが。
今、中国の台頭という現実を目の当たりにしている。 抗日戦争勝利70周年式典での軍事パレードを見るにつけ、その印象は強い。 その現実を前にして思うことは、我々の視界って本当に現在限定だということ。 我が国が高度成長していた頃、中国の台頭という未来を予測したことがあっただろうか。 無いよね。誰しも、そんなことは考えもしなかった。 政治家も、マスコミも、我々も。 即ち、我々の思考は現実思考に限定されていたということだ。 子供の成長に驚いている親の心境と似ているのかも知れない。・・・仲良くやって行きましょう。(この段追加 2015/09/04)
中国の台頭という現実にどう対処するか、皆、悩みながらも、何とかうまく付き合って行こうと模索中、というとこだ。 その一つが安全保障環境の変化という捉え方である。 確かに、中国のやり方を見ていると、一方的にルールを設定しそれを押し通してくるというやり方が目立つ。 だから、安保環境の変化は誰しも認めるところである。 また、一方、一国だけで安保は有り得ないというのも常識だ。 であれば、同盟国との集団的自衛権の行使、・・・止むを得ないと思う。 そのようにディフェンスを固める一方、外交努力、人的交流、経済交流など、互恵・未来指向の事業をやっていけばよい。 (この段追加 2015/09/06)
コメントはこちらへメールして下さい。その際、文中冒頭に「HPコメント」と記して下さい。 Email
 

<コメント欄>   当欄は上記のメールをコメントとして掲示するものです。
HPコメント
山下永二
マスコミ特に朝日、毎日、東京など政権批判勢力の多くが、政治的見解として憲法違反と決めて報道しています。 憲法改正して、安全保障政策をという意見には、賛成です。 然しながら、憲法改正は、そう簡単に出来ないように、マッカーサー元帥の占領時代に制定された硬性憲法になっていて、 これから何年かかるか先行きが不明です。
今回の安保法制は、憲法改正できるまでの間、当面の危機に対して日本人の生命と暮らしを守り、領土保全のため、 現憲法下で日本の安全保障の隙間、空間を補って抑止力を高めようとするものです。 決して反対勢力がいう戦争法規ではありません。
簡単にいえば、危機が少しづつ迫ってきている極東アジア情勢に、 日米安保体制を確実にし日本の生存を担保しておこうとするものです。 防衛というものは、いついかなる時でも対処できるよう間隙を無くしておかなけ ればなりません。
日本だけが平和であれば幸せだという「一国平和主義」から早く脱却しなければならないと思います。 平和は、色々な国の協力が必要だし、相互協力をしていかなければ確立できません。(2015/09/09 11:38)