「文明の衝突」という本

 
石井俊雄
最近惚けてきたのか、もの憶えが悪くなった。
例えば、先々週の土曜日(2/9)辺りだが、新聞かテレビかで、「文明の衝突」という本が取り上げられていることを知ったはずだが、新聞とテレビのどちらだったかとか、 それが何時だったかとかが、判然と思い出せないのだ。 今から言えば、先々週の話だから無理もないと思ってもらえるかもしれないが、実際、思い出せない思いをしたのは、2〜3日後のことだから少しショックだった。
でも、めげず話を進めよう。 幸いにも、その本が面白いということは憶えていたので、図書館で借りて読んでみた。 長ったらしい本で500ページもあったが、今日までにほぼ読み終えた。 借りたときは誰の手垢も着いてない新品だったが、今や、鉛筆の線でいっぱいだ。 傍線は本の勲章、本も喜んでいると思う。 返却期限は今日までなので、延長しないといけない。 何故なら、返すと鉛筆の傍線が消されてしまうから本が可哀そうなのだ。
前置きはそのくらいにして、この本のことを話そう。 でも、この本(1993年出版)は、サミュエル・ハンチントンというアメリカを代表する戦略論の専門家が書いたもの。小生にそれを解説する見識はない。 だが、面白いと思ったので、皆さんに中身を紹介したい。 紹介の仕方は、肝心と思われる文章を抜粋して表示することだ。 抜粋だから、小生の作は入り込まないから、皆さんには好都合だろうと思う。 その抜粋文を読んで、その本に興味を持っていただければ幸いだ。
  1. 先ず、1998年に出た日本語版序文から抜粋する。
    文明の衝突というテーゼは、日本にとって重要な二つの意味がある。 第一に、それが日本は独自の文明を持つかどうかという疑問をかきたてたことである。 オズワルド・シュペングラー*を含む少数の文明史家が主張するところによれば、日本が独自の文明を持つようになったのは紀元5世紀ごろだったという。 私がその立場をとるのは、日本の文明が基本的な側面で中国の文明とは異なるからである。 それに加えて、日本が明らかに前世紀に近代化を遂げた一方で、日本の文明と文化は西欧のそれとは異なったままである。 日本は近代化されたが、西欧にはならなかったのだ。
    第二に、世界の全ての主要な文明には、二カ国ないしそれ以上の国々が含まれている。 日本がユニークなのは、日本国と日本文明が合致しているからである。 そのことにより日本は孤立しており、世界のいかなる他国とも文化的な密接なつながりをもたない。 ・・・ 文化が提携をうながす世界にあって、日本は、現在アメリカとイギリス、フランスとドイツ、ロシアとギリシャ、中国とシンガポールの間に存在するような、 緊密な文化的パートナーシップを結べないのである。
    ・・・
    国際的な存在になって以来、日本は世界の問題に支配的な力をもつと思われる国と手を結ぶのが自国の利益に適うと考えてきた。 第一次世界大戦以前のイギリス、大戦間の時代におけるファシスト国家、第二次世界大戦後のアメリカである。 中国が大国として発展しつづければ、中国を東アジアの覇権国として、アメリカを世界の覇権国として処遇しなければならないという問題にぶっつからざるをえない。 これをうまくやってのけるかどうかが、東アジアと世界の平和を維持するうえで決定的な要因になるだろう。 したがって、本書が日本で刊行されることから、日本の人びとのあいだに文明としての日本の性格、 多極的で多文明の世界における日本の地位などをめぐって真剣な議論がうながされることを、著者として希望するものである。
     
  2. 「序:国旗と文化的なアイデンティティについて」から、冷戦後の世界についての認識とこの本の中心的なテーマを記した文章を抜粋する。
    新しい時代の恐ろしい世界観を上手く表現しているのは、マイケル・ディブディンの小説 Dead Lagoon (邦訳「水都に消ゆ」)に登場する扇動的なナショナリストの ヴェネツィア人である。
    真の敵が居ない者には真の友もいない。われわれと異なる者を憎まないかぎり、われわれは現在の自分自身を愛することはできない。 これは一世紀以上ものあいだ口先だけの説教を聞かされたあげくに、苦労して発見しつつある昔からの真理なのだ。 それを否定する者は自らの家族を否定し、自らの遺産、文化、生得の権利、そしてまさに自分たち自身を否定する者にほかならない! 彼らはなまなかなことでは許されないだろう」。
    こうした昔からの真理を、政治家や学者は無視することはできない。アイデンティティを模索し、民族性を再構築しようとしている民族にとって、敵は不可欠なのだ。 そして、潜在的にきわめて危険な敵意が世界の主要な文明の境界で高まるのである。 本書の中心的なテーマをひとことで言うと、文化と文化的なアイデンティティ、すなわち最も包括的なレベルの文明のアイデンティティが、 冷戦後の統合や分裂あるいわ衝突のパターンをかたちづくっているということである。
     
  3. 著者は文明を次のように分類している。
    文明という考え方は、十八世紀フランスの思想家によって「未開状態」の対極にあるものとして展開された。
    • 中華文明 : 少なくとも紀元前1500年にさかのぼる文明
    • 日本文明 : 一部の学者は日本の文化と中国の文化を極東文明という見出しでひとくくりにしている。 だが、ほとんどの学者はそうせず、日本を固有の文明として認識し、中国文明から派生して西暦100年ないし400年にあらわれたと見ている。
    • ヒンドゥー文明 : インド亜大陸の少なくとも紀元前1500年にさかのぼる文明
    • イスラム文明 : 紀元7世紀にアラビア半島に端を発した文明
    • 西欧文明 : 紀元700〜800年に現れた文明
    • ロシア正教会文明 : ビザンチン文明を親とする文明
    • ラテンアメリカ文明 : 西欧文明から生まれた文明
    • アフリカ文明 : 南アフリカにて存在すると考えた場合の文明
     
  4. この後の本文は、
    「今後、危険な衝突が起こるとすれば、それは西欧の傲慢さ、イスラムの不寛容、そして中華文明固有の独断など相互に作用して起きるだろう」 と予測し、「文明に依拠した国際秩序こそが、世界戦争を防ぐ最も確実な安全装置」
    と結論付けている。
    個々については、別途、紹介するとしよう。気が向けばだけど。
     
  5. 最後に、「訳者あとがき」からの抜粋を書いておく。
    人間は自己の利益を追求するうえで、合理的な行動をとる前に、まず自身を定義づけなければならない。 そうした自身の定義づけ、つまりアイデンティティの追及が文明間の紛争につながる。 アイデンティティは他者との関係で規定されるものであり、「われわれ」対「彼ら」という構図が、政治の世界にほぼ普遍的に存在する。 現代社会では、「彼ら」が異なる文明に属する人々を指す傾向が強まっており、冷戦が終わっても対立がなくなるどころか、 むしろ文化に基づく新たなアイデンティティが生まれて文明間の対立が生じているというわけである。
    ここで著者は、文明を上記の八つに分類する。 そして、世界に「普遍的な文明」が生まれつつあるという考え方に反論し、西欧のリベラルな民主主義を普遍的なものとするのは西欧の考え方であって、 他の文明圏から見ればそれは帝国主義とうつるという。
    東アジアの経済成長とイスラムの人口増加によって、中国文明とイスラム文明の勢力が拡大し、「儒教−イスラム・コネクション」を形成して西欧に敵対する。 こうして、今後の世界は「西欧対非西欧」という対立の構図になるというのが本書の主張だ。
    こうした対立を解決するために、西欧がなすべきことは三つある、と著者は言う。
    すなわち、
    1. 西欧の軍事上の優位を保つこと。
    2. 人権尊重と西欧的な民主主義を他の社会に強制して、西欧流の政治的価値観と制度を促進すること。**
    3. 非西欧人の移民や難民の数を制限して、西欧社会の文化的、社会的、民族的な優位性を守ること。
    である。
    来るべき時代の文明間の戦争を避けるには、
    1. 先ず第一に中核国が他の文明内の衝突への干渉を慎むこと。
    2. 第二に中核国が交渉を通じて文明の断層線「(フォルト・ライン)で起こる戦争を阻止すること。
    3. そして第三に普遍主義を放棄して文明の多様性を受け入れ、そのうえであらゆる文化に見出される人間の「普遍的な性質」、つまり共通性を追求していくことが必要。
    だとする。
    文明にもとづく国際秩序こそが、世界戦争を防ぐ最も確実な安全装置だというのが、本書の結論である。
 
 
 
* (独): Oswald Arnold Gottfried Spengler、1880年5月29日 - 1936年5月8日)はドイツの文化哲学者、歴史学者。
** 我々は、過去(戦後)、当にそうされたのだ。
 
 
 
 
 
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