「イスラムと西欧」節から抜粋する。
七世紀のイスラムの勃興と地中海支配、1095年の十字軍遠征、1453年のコンスタンティノープル占領、1529年のウイーン包囲、1492年のグラナダ占領、
大航海時代の到来、オスマン帝国の滅亡、など、イスラムと西欧の間の紛争が起こった。
このような紛争が絶えず続いた原因は、十二世紀のキリスト教徒の情熱や、二十世紀のイスラム原理主義者のような一過性の現象によるものではない。
それは、二つの宗教の性質と、それに基づく文明から生じるものである。
一方では、紛争は相違の産物である。
とくに、イスラム教徒はイスラム教の教えは生活様式であって宗教と政治は一体(1)だと考えるのに対し、欧米のキリスト教徒は宗教と政治は異なった領域だと考えている。
だが、紛争は両者が似ていることから起こることもある。
どちらも一神教の宗教で、多神教の宗教とは異なり、新しい異教の神を簡単に信じることができず、どちらも世界を二元論、すなわちわれわれと彼らというかたちでとらえる。
どちらも普遍的で、全ての人類が新興できる唯一の正しい宗教だと主張する。
どちらも伝道を主張する宗教で、信奉者はこの唯一の正しい信仰を信じないものを改宗させる義務があると信じている。
その起源から、イスラム世界は征服により拡大し、キリスト世界も機会さえあればそうしてきた。
「ジハード」と「クルセード」という聖戦を意味する似たような概念は、互いに似ているだけでなく、この二つの信仰を世界の他の主要な宗教から際立たせている。
またイスラム教もキリスト教も、ユダヤ教とともに、歴史を目的論的に見るが、他の文明では周期的、あるいは静止的に見るのが普通
西欧にとって、基本的な問題はイスラム原理主義ではない。問題はイスラムそのものなのだ。それは異なった文明であり、
そこに所属する人びとは自分たちの文化の優位をかたく信じていて、国力が劣っていることが不満でならない。
一方、イスラムにとって問題なのは、CIAとかアメリカの国防省ではない。問題なのは西欧そのものなのだ。
それは異なった文明であり、そこに所属する人間は、自分たちの文化が普遍的であると確信し、衰えつつあるとはいえ、自分たちには優勢な国力があるから、
その文化を世界中に広げるのは自分たちの義務だと考えている。
これらがイスラムと西欧の紛争に火をつける根本の問題なのだ。
「アジア・中国・アメリカ」節中の「中国の覇権」項から抜粋する。
中国は、歴史、文化、伝統、その領土の大きさ、経済的な活力、自己のイメージなどのすべてからみれて、東アジアでの覇権を求めようとするだろう。
この目標は、その急激な経済発展から見ても当自然なものだ。他の全ての強国、イギリスとフランス、ドイツと日本、アメリカとソ連は、
自分たちが急激な工業化と経済成長を果たすと同時に、またその直後の時期に、領土拡大や強い自己主張、そして帝国主義に走った。
経済的、軍事的な力をたくわえた後で、中国が同じようなことをしないと考える理由はまったくない。
2000年にわたって、中国は東アジアでぬきんでた強国だった。
その歴史的な役割を回復しようとする意思を、中国はますます強く示しはじめている。
1842年に、南京条約をイギリスに押し付けられたときからはじまって100年以上にわたって西欧と日本に対する長い屈辱的な従属の時代に
終止符をうちたいと思っているのだ。
中国は東アジアで支配的な勢力になりつつある。
中国は他の東アジア諸国に、程度こそ違え左記のいくつか、あるいはすべてを期待するだろう。
- 中国の領土保全、チベットと新疆ウイグル自治区にたいする中国の主権、香港と台湾の中国への併合。
- 南シナ海と、場合によってはモンゴルにたいする中国の主権を黙認すること。
- 経済、人権、兵器拡散、その他の問題をめぐる西欧との紛争で全面的に中国を支持すること。
- この地域で、中国が圧倒的な軍事力をもつことを容認し、その優位に対抗できるような核兵器、通常兵器を持たないこと。
- 中国に利害にそったかたちで、中国の経済的発展に有効な貿易・投資政策を採用すること。
- 地域的な問題に対処するのに、中国の指導力を尊重すること。
- 一般的に中国人の移民を受け入れること。
- 自分たちの社会で、反中国、反中国人運動を禁止するか抑圧すること。
- それぞれの社会に居住する中国人の権利を尊重すること。彼らが中国国内の親戚や、出身地域と緊密な関係を保つ権利を尊重すること。
- 他の勢力と、軍事的同盟や反中国的な提携関係を結ばないこと。
- 東アジアの公用語として、まず標準中国語に英語を補完させ、最終的にはそれを公用語にするよううながすこと。
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中国の台頭は日本とって大きな難題で、日本はどちらの戦略(2)をとるべきか、意見が大きく割れている。
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中国との勢力バランスを保ち、封じ込めるための意味ある試みの核になるのは、日米軍事同盟しかないだろう。
時間はかかっても、日本がこの目標にそって同盟関係を見直すことは考えられる。
日本がそうするためには、次の点で自信が持てるかどうかによる。
- アメリカが世界で唯一の超大国でありつづけ、世界の問題に積極的に指導力を発揮しつづけられるか
- アジアにおける軍事的プレゼンスおよび影響力を広げようとする中国と闘うことをアメリカが確約するか
- 莫大な資源という犠牲を払うことなく、戦争という大きな危険なしに、アメリカと日本に中国を封じ込める力があるか
アメリカがはっきりした決意も公約も示していないし、その可能性も低いので、日本は中国に順応することになるだろう。
1930年代と40年代に、日本は東アジアを征服するという一方的な政策を追求して、壊滅的な結果を招いたが、その時代を除いては日本は歴史的にも、
自国が適切と考える強国と同盟して安全を守ってきた。
1930年代に枢軸に参加したときでさえ、日本は当時の世界政治の中で最も強力な軍事志向をもつ勢力と考えた相手と提携したのである。
二十世紀の初めに日英同盟を結んだが、当時の世界問題でイギリスが指導的国家だということをよく認識していたのだ。
1950年代になると、同じように世界で最も強大で、日本の安全を守ってくれる大国であるアメリカと日本は提携した。
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このように日本の同盟に対する感覚は基本的にはバンドワゴニング(3)であって、バランシングではなく、「最強国との提携」だった。
日本人は「不可抗力を受け入れ、道徳的に優れていると思われるものと協力するのが、他のほとんどの国よりすみやかだ。
そして道徳的に不確かな力の衰えはじめた覇権国からの横暴な態度を非難するのも一番速い」。
アジアでのアメリカの役割が小さくなり、中国のそれが増大するにつれ、日本の政策もそれに順応するだろう。
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中国の儒教的な伝統は、権威、秩序、階級などを重視し、個人よりも集団に重きをおくため、民主化には障害になるだろう。
それでも経済成長により、南中国はかなり裕福になり、活気ある中産階級が出現し、政府の管理のおよばない経済力が蓄積され、中産階級層が急速に広がっている。
そのうえ中国人は、貿易、投資、教育などの面で、国外と深いかかわりをもっている。
これらすべては、政治的な多元主義へ向かう社会的な基礎となる。
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民主化により政治家が民族主義に訴え、戦争の可能性が高まるかもしれないが、長い目で見て、中国に安定した多元的なシステムが確立すれば、
他の強国との関係は穏健なもになるだろう。
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アジアが選択できるのは、紛争を対価とした勢力の均衡か、覇権を対価とした平和のどちらかである。
歴史、文化、そして強国の出現の現実性から見ると、アジアは平和と覇権を選ぶ可能性が高い(4)。
1840年代と50年代に西欧が侵略して始まった時代は終わりつつあり、地域の覇権国としての地位を中国は回復して、東洋は自力でやっていくようになるだろう。