「文明の衝突」−文明の未来

 
石井俊雄
前回に引き続き、「文明の衝突」という本から、「第5部 文明の未来」中「世界の中の西欧」、「文明間の戦争と秩序」、「文明の共通した特性」 の各節中の文章を抜粋してみる。
  1. 「世界の中の西欧」節から抜粋する。
    あらゆる文明は誕生し、栄え、衰えていくという似たようなプロセスを辿る。西欧が他の文明と異なるのは、その発展振りではなく、価値観や制度の際立った特徴である。 中でも著しい特徴はキリスト教、多元性、個人主義、法の支配であって、これらがあったからこそ西欧は近代化することができ、 世界中に広がって他の社会の羨望の的となったのである。これらが一つになって、西欧独特の特徴となったのだ。 アーサー・M・シュレージンジャー・ジュニアが言うように、ヨーロッパは 「個人の自由、民主政治、法の支配、人権、文化の自由という考え」の「根源であり・・・」、「これらはヨーロッパ人の考えであって、 アジア人やアフリカや中東の人びとがとり入れることはあっても彼らから生まれたものではない」。 こうしたことから、西欧文明は比類ないものになっている。 そして、西欧文明が貴重なのは、それが普遍的だからではなく、類がないからである。 したがって、西欧の指導者の主な責任は、他の文明を西欧のイメージにつくりかえようとすることではない。 それはどだい力の衰えかけた彼らの手にあまることだ。 むしろ、西欧文明のかけがえのない特質を保存し、保護してさらに新しくすることだ。 アメリカが西欧最強の国である以上、その責任は圧倒的にアメリカ合衆国の肩にかかってくる。
    たとえ西欧の力が衰退気味であっても、以下のようにして西欧文明を保存することはアメリカとヨーロッパの国々の利益になる。
     
    • 政治・経済・軍事面での統合を拡大して政策を調整し、他の文明の国家から政策のちがいにつけこまれないようにすること。
    • 欧州連合とヴィシェグラードの諸地域(1)、バルト海沿岸の共和国、スロヴェニア、クロアチアなど、中央ヨーロッパの西側国家を組み込むこと。
    • ラテンアメリカの「西欧化」をうながし、出来るだけすみやかにラテンアメリカ諸国と西欧の緊密な同盟を結ぶこと。
    • イスラム諸国と中華文明諸国の通常戦力および非通常戦力の発展を抑制すること。
    • 日本が西欧から離れて中国との和解に向かうのを遅らせること。
    • ロシアを正教会の中核国家として、また南側の国境線の安全について正当な利害関係をもつ地域の主要勢力として認めること。
    • 他の文明にたいして西欧の技術および軍事力の優位を維持すること。
    • そして、最も重要な点として、西欧が他の文明の問題に介入することは、 多文明世界の不安定さと大規模な世界的衝突を引き起こす最も危険な原因になりかねないと認識すること。
     
    冷戦が終わった直後の時期に、アメリカは自国の外交政策の正しい方針をめぐる大々的な論争に憂き身をやつした。 しかし、この時代にはアメリカは世界を支配することもできないし、さりとて世界から逃げ出すこともできない。 国際協調主義も孤立主義も、またマルチラテラリズム(2)もユニラテラリズム(3)もアメリカの利益にはならない。 アメリカのためには、こうした相反する両極端を避けて、そのかわりにヨーロッパのパートナーと密接に協力しあう汎大西洋主義の政策を採用し、 彼らが共有する独特な文明の利益と価値を押し進めるのが最善であろう。
     
  2. 「文明間の戦争と秩序」、「文明の共通した特性」節から抜粋する。
    要するに、来るべき時代の異文化間の大規模な戦争を避けるためには
     
    1. 中核国家は他の文明内の衝突に介入するのをつつしむ必要がある。 この不干渉ルールは、多文化的かつ多極的な世界にあっては平和の第一条件である。
    2. 第二の条件は共同調停ルールであり、 中核国家は互いに交渉して自分たちの文明に属する国家や集団がかかわるフォルト・ライン戦争を阻止または停止させることにある。
    3. 第三のルールは共通性のルールである。 あらゆる文明の住民は他の文明の住民と共通してもっている価値観や制度、生活習慣を模索し、それらを拡大しようとつとめるべきなのである。
     
    ・・・
    学者はあっさりと文明史のなかで、文明をレベルの高いものと低いものとに区別する。そこが問題だ。 いったいどうやって人類の文明の発達の上下を位置づけできるのか? 個々の文明よりまさっていて、高いレベルの文明に向かう一般的かつ世俗的な傾向があるのだろうか? そのような傾向があるとして、それは近代化、つまり人間がしだいに環境をコントロールするようになり、 その結果ますます高度の複雑な技術と物質的な幸福を生み出すようになったプロセスの産物だろうか? 現代にあっては、高度の近代性は高いレベルの文明の必要条件なのだろうか? あるいは文明のレベルは主に個々の文明の歴史の範囲内で変化するものなのだろうか?
    この問題もまた、歴史の直線性あるいわ周期性をめぐって議論があることの証拠である。 思うに、人間社会とその自然環境についての高度の教育や自覚、理解によって、近代化は進み、人間の道徳性は発達していくのだが、 それがますます高いレベルの文明へ向かう継続的な動きを作り出すのだ。 それに変わる考え方として、文明のレベルは文明の発展段階を示すにすぎないのかもしれない。 最初に文明があらわれるとき、その住民はたいてい元気がよく、精力的で粗暴であり、つねに場所を移動し、拡大主義者である。 彼らは比較的に文明化していない。その文明は発展するにつれて落ち着き、技巧や技術を発達させて、より文明化していく。 文明内部の構成要素の競争がしだいにおさまって普遍的な国家があらわれるようになると、その文明は最高レベルに達し、 道徳、芸術、文学、哲学、技術、軍事、経済、政治の能力が開花する「黄金時代」となる。 それが一つの文明として衰え始めると、その文明としてのレベルも衰え、 ついには低レベルの文明ながら台頭してくる異なる文明の猛攻撃にあってあえなく姿を消すことになる。*
    ・・・
    1990年代には、世界情勢はまさに「混沌」パラダイムそのものと思わせる証拠がたくさん見られる。 法と秩序が世界的に崩壊し、世界の多くの地域で見捨てられた国家や無秩序状態が見られるようになったほか、 世界的に犯罪が急増し、国境を越えたマフィアや麻薬カルテルが出現し、多くの社会で麻薬常習者が増え、家族の絆が全般的に弱まり、 多くの国々で信頼や社会の連帯感が失われ、世界の随所で民族や宗教や文明のちがいが原因の暴力が多発し、銃による支配が横行している。
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    法と秩序は文明の第一条件なのに、世界の多くの地域−アメリカ、ラテンアメリカ、旧ソ連、南アジア、中東−では、それが跡形もなくなりかけていて、 中国や日本、西欧もやはり重大な危機に晒されているようだ。 世界的に見て、文明は多くの点で野蛮な行為に屈しているようで、前例のない現象というイメージが浮かんでくる。 つまり、ことによると人類が世界的な「暗黒時代」に襲われているのではないかというイメージである。
    ・・・
    平和と文明の将来は世界の主要な文明の政治的。精神的、知的指導者たちの理解と協力いかんにかかっている。 文明が衝突すれば、独立宣言を起草したベンジャミン・フランクリンが言ったことではないが、ヨーロッパとアメリカは団結(hang together)するだろうし、 そうしなければ別々に絞首刑(hang separetely)に処せられるだろう。 より大きな衝突、つまり文明と野蛮な社会とのあいだで世界的な「真の衝突」が起こった場合、宗教や芸術、文学、哲学、科学、技術、道徳、 同情心を豊かに実現した世界の大文明は同じように団結するか、別々に絞首刑に処せられるかしかない。 来るべき時代には文明の衝突こそが世界平和にとって最大の脅威であり、文明に基づいた国際秩序こそが世界戦争を防ぐ最も確実な安全装置なのである。 **
     
 
 
 
以上が、「文明の衝突」からの抜粋だ。 そこで、最後に少しだけ所感を書いてみる。
「文明の衝突」という題名の原題は『The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order』(文明の衝突と世界秩序の再創造)である。
そこで、前半の"The Clash of Civilizations"(「文明の衝突」と訳されている)とはどんなことかと言えば、* のアンダーラインした部分を指すと理解される。
また、"the Remaking of World Order"(「世界秩序の再創造」と訳されている)とは、** のアンダーラインした部分を指すと理解される。
この筆者のように、歴史的に文明の興亡をみると、文明は一様に成長発展したものではないことが分る。 別な表現で云えば、文明とは混沌の世界という鍋に投げ込まれたジャガイモのようなものだ。 煮えて食べごろになったものもあれば、表面だけ煮えたのものもある。 そんな中で、かつての社会党のように「非武装中立」が通るわけがない。
勃興する文明は、* のアンダーラインで示したように、「精力的で粗暴であり、つねに場所を移動し、拡大主義者である」。 かかるごった煮の世界に身を曝すには周到な防備が必要だ。 我々は、ごった煮の鍋の中で、あっちこっちの芋から少しずつ身を削られ終にはごった煮のスープになる運命は避けたい。 そのためには、歯の浮くような空論ではなく周到な防備が必要だと思う。
 
 
以上が、「文明の衝突」から得られた情報に対する所感だが、少しだけ他の観点からの所感を付記してみる。
それは、「サイコパス」と呼ばれる精神病質者の存在だ。
サイコパスは他者への共感を抱けないという特質があるかと思えば、一見魅力的な人物にも成りうる人格のもち主だ。 具体的な例としては、映画「羊たちの沈黙」でアンソニー・ホプキンスが演じたハンニバル・レクターを挙げることが出来る。 サイコパスは、精神的な疾患に止まらず、次のような器質的な欠陥に由来している。
サイコパスは、脳の奥まったところに横たわる馬蹄形になった帯状の組織がうまく機能していない可能性がある。 傍辺縁系と呼ばれるこの場所には、感情をはじめ感覚を記録し、情動上の意味を経験に対応させる脳領域の幾つかが含まれ、 そうした領域が相互に連結しあっている。 また、これらの脳領域は意思決定や高度な論理的思考、衝動の抑制に対処している。 脳のこうした部位に損傷を負った人は、サイコパシー的な特性と行動をとるようになる傾向がある。 また、サイコパスは傍辺縁部位が十分に発達していない傾向があることが分っている。(この段、日経サイエンス 2013/02より抜粋)
このように、サイコパスは器質的な欠陥に由来する上、 サイコパスの人格と知性のある側面は往々にして成功者の資質を示すから厄介だ。 その資質を持った者が一国あるいは武装集団の指導者にならないという保障はなないからだ。
 
 
総括すれば、文明レベルだけではなく、固体レベルでも一様ではないということになる。 となれば、人類みな友達みたいな一様性に期待した考えだけでは防御にならないと云う事だ。
文明とは一様性を達成した集団ということかも知れない。 魔女狩りという忌むべき風習についても一様性を維持する手段と考えれば理解できなくもない。 でも、地球レベルでは一様性は達成されてない。恐らくずーとそうだろう。 文明として生き残るには、弱い魔女にならないことだ。強いのもだけど。
 
 
 
 
 
(1)チェコ、ポーランド、ハンガリー、スロバキア諸国のこと。
(2)多国間主義。多角的交渉主義。 multilateralizum
(3)単独主義 unilateralism
 
 
 
 
 
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