- ステップ1
1変数の命題F(y)を網羅した一覧表を作る。並べ方は、その命題のゲーデル数の小さい順とする。
F1番(y),F2番(y),F3番(y),・・・
ここで、F3番(y)の下付き添え字の「3番」は、3番目に小さいゲーデル数という意味で、
実際には「3番」の代わりに具体的なゲーデル数が入る。
- ステップ2
「Fk(l)の形式証明のゲーデル数xが存在する」という命題を考える。
これを、∃xP(x,k,l)と略記する。
- ステップ3
命題 ∃xP(x,k,l)のkとlを変数yに置き換え、否定にした命題 〜∃xP(x,y,y)を考える。
これは、1変数yをもつ命題なので、ステップ1で作った一覧表のどこかにある。
それがたまたま上からn番目だったので、Fn(y)と書く。つまり、
Fn(y)=〜∃xP(x,y,y)
- ステップ4
Fn(y)=〜∃xP(x,y,y)の変数yに(自分自身の背番号、すなわちゲーデル数)nを代入する。
すなわち、
Fn(n)=〜∃xP(x,n,n)
- ステップ5
ステップ4で作った命題Fn(n)=〜∃xP(x,n,n)の右辺の内容は、
(ステップ2を思い出せば)「Fn(n)の形式証明のゲーデル数xが存在しない」となる。
対応するゲーデル数が存在しないのだから、それは、Fn(n)が証明できない、ということだ。
でも、左辺を見れば、それはFn(n)にほかならない。
すなわち、「この命題は証明できません」という命題Fn(n)ができてしまった!
(以上が、「第1不完全性定理」の証明である。)
(p132)
ゲーデルの第1不完全性定理は「ペアノ算術(自然数の範囲での算数が出来るようなシステムのこと)を含むような理論のシステム内では、
Pも〜Pも証明できないような命題Pが存在する」と言う内容であり、第2不完全性定理は「公理系が無矛盾であることは、その公理系の中では証明できない」
という内容だ。
以上で、竹内薫著の「不完全性定理とはなにか」(講談社ブルーバックス刊)からの抜粋を終了する。
次に、「ゲーデルの謎を解く」(林 晋著)岩波書店から抜粋する。
(p6)
1930年9月七日。ドイツの古都ケーニヒスベルク。第二回科学認識論会議の会場。
三日間の会議を締めくくるディスカッションが行われている。
先ほどから、何度か鋭い発言をした男が、どこか、人を見透かすしたような薄笑いを浮かべて、椅子に腰掛けている。
抽象数学に数多くの業績をあげ、統計力学の基本仮説を証明し、量子力学の数学的基礎を固め、ゲームの理論を創始し、
後に渡米してマンハッタン計画に貢献し、さらには、今日のコンピュータの基本方式を編み出した悪魔のように賢い男。
名前をヨハン・フォン・ノイマンという。
「どうも、こいつらは、何もわかってないようだな。だいたい、ヒルベルト御大にしたところで、怪しいところがある。
今度の会議でも、バラ色の未来を約束するようなことばかり言っていたが、あんなことを言っておいて、大丈夫だろうか。
私には、少し気がかりなことがあるのだが・・・」
そのとき、ひとりの青年がゆっくりと立ち上がり、静かに話し始めた。ウィーン大学の学生、クルト・ゲーデル、24歳。
「・・・ですから、数学の理論は、無矛盾であるだけではいけないのです。たとえ、誰かが、数学の理論が無矛盾であることを証明できたところで、
その帰結が正しいとは限りません。というのは、全ての正しい事実を証明できる数学の形式的理論があるとは、誰にもいえないからです。」
フォン・ノイマンは、思わず、「ホウッ」と声をもらした。この青年は、フォン・ノイマンがまさに今、気がかりだと言った、「それ」をしゃべっている。
フォン・ノイマンは心の中でつぶやいた。
「そうだ。ゲーデル君。確かにそういう可能性がある。しかし、未だ誰もそれを立証していない。それは、一言、釘を指しておいた方がよいな。」
フォン・ノイマンはゲーデルをさえぎり、たしなめるようにコメントした。
「すべての直感的に正しい事実を、数学の形式的理論で実証できるかどうか。いまだその問題には、決着がついてません。」
ゲーデルは、何ごともないかのように、答えた。
「正しい事実であるにもかかわらず、数学の形式的理論では実証できない、というものの実例はあります。
ですから、そういうものの否定を、数学の形式的理論に追加すると・・・」
フォン・ノイマンは絶句し、心の中で叫んだ。
「本当に見つけたのか! 悪魔を!」
このときゲーデルは、論理学史上最大の定理といわれる不完全性定理を、公衆の面前で、初めて公表したのであった。
しかし、ゲーデルのあまりに平静な口調に、フォン・ノイマン以外の誰も、その発言の重要性に気がつかなかった。
この当時、数学の世界に帝王のごとく君臨していたドイツの大数学者ヒルベルトは、弟子たちとともに、
「ヒルベルト計画」と呼ばれるプロジェクトを推進していた。
数学が決して自己矛盾を起こさないことを証明しようという企てである。
数学が自己矛盾を起こさないことを「数学の無矛盾性」というが、これは、数学の理論が間違っていないための必要最低限条件である。
数学が無矛盾であるとは、数学が矛盾してないことをいう。数学が矛盾しているとは、ある事実と、その反対の事実、つまり、その事実の否定が、
同時に証明できることをいう。(この段 p16)
(p11)
しかし、ディスカッションの席で、ゲーデルは、数学の形式的理論では実証できない「もの」がいると発言したのである。
この「もの」は、確かにそこにいるが、写真には写らない悪魔のような存在なのだ。
しかし、そこに悪魔がいることには変わりはない。つまり、
《形式的理論には数学を完全に写し出す力がない》
これを、「ゲーデルの不完全性定理」という。
これでは、形式的理論を分析しても本当のところはわからないことになってしまう。それがゲーデルの発言の趣旨なのだった。
(p13)
ケーニヒスベルクでゲーデルの不完全性定理に驚嘆してから数ヵ月後、
フォン・ノイマンは、ゲーデルの定理からもう一つの驚嘆すべき定理が導かれることを発見した。
「ヒルベルト計画は死んだ! 誰もヒルベルトの問題を解くことはできない。この私が解けなかった問題は、
誰にも解くことのできない問題だったのだ。私はそれが解けないことを証明した。」
フォン・ノイマンが気づいたこの事実は、現在、「第二不完全性定理」と呼ばれている。
一方、ケーニヒスベルクでゲーデルが公表した定理の方は「第一不完全性定理」という。
(p14)
しかし、第一・第二、両方の不完全性定理の証明を含むゲーデルの歴史的大論文を、「数学物理学雑誌」の編集室がゲーデルから受けとったのは、
それより3日前、11月17日のことであったという。
最後に、「ゲーデル・不完全性定理」(吉永良正著)講談社ブルーバックス刊から抜粋する。
(p262)
ゲーデルの晩年は老人問題の典型のようなものであった。彼自身が老齢で病身の上に、夫人(6歳年上)が病身になり日常の生活に事欠くようになってしまった。
私の知る限りゲーデルは、日常生活対する生活能力はゼロの人であった。ゲーデルが料理をしたり掃除をしたりすることは私には想像できない。
どうやって当時暮らしていられたのか、私には見当がつかない。
最晩年の最後の2年間は、憂鬱症と偏執症に悩まされつづけ、自分が毒殺されるのではないかと恐れるあまり、食事にも手をつけなかったといわれています。
衰弱の末にゲーデルは、1977年12月29日、最後まで拒み続けてきた入院を余儀なくされます。
しかし入院は短期間で済みました。寒い冬の日に、ゲーデルは病室の椅子に座ったまま亡くなったからです。
死因は「人格障害による衰弱、栄養失調および飢餓萎縮」即ち「餓死」でした。1978年1月14日のことです。
あとを追うようにして妻アデルが亡くなったのは、それから3年後の1981年2月4日のことでした。
読後の所感
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基礎知識が少なくて済む分、生まれつきの知能がうんと要る
最初に竹内薫氏は、
「私見では、アインシュタインの相対性理論と量子論とゲーデルの不完全性定理が20世紀の「理数系3ワカラン」という気がする。」
と書いているが、同感だ。
特に、ゲーデルの不完全性定理は、もやもやと解ったようで解らない。
相対性理論と量子論では、物理数学のような多くの基礎知識が必要だが、不完全性定理ではそれほどの基礎知識は必要ではない。
必要なのは、算数、素数、論理学の基礎知識程度のものでよい。
でも一度、解ったような気がしても、翌日になると解ってないに戻るので、基礎知識が少なくて済む分、
もって生まれた知能がうんと要るようだ。
しかして結果として、よく分ったのは自分の頭の悪さ。
しかし、閑つぶしにはなった。
だから、お薦めする。
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ディスカッション力
それから、西洋人のディスカッション力だ。
1930年9月ドイツの古都ケーニヒスベルクでの会議の席上、
当時、数学の世界に帝王のごとく君臨していたドイツの大数学者ヒルベルトは、「自然認識と論理学」という歴史的な公演を行い、
「われわれは知らねばならない、われわれは知るであろう」
と強い口調で語った後、声をあげて笑ったと伝えられている。
そのような雰囲気の中、未だ若いゲーデルが、御大の主張の根底を覆す理論を発表したのだから、本人の勇気もさることながら、
それを受け入れた人びとがいたことに驚きを隠しえない。
わが国では、空気を読むからこうは行かないと思う。
感情的になって大声だすし、面子を重んじるし。
矢張り、西洋文明の基本に論理性と個人主義があることの証左だろう。
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大きなブレーク
命題も証明も、ゲーデル数の方法によって数字に変換してしまえば、算数に関する複雑な性質ですら、
計算(証明)できてしまうというアイディアが素晴らしい。
こうすることで、意味論(semantics)から構文論(syntax)へと舞台を変えることができたのだからここに大きなブレークがあったと思う。
意味論から攻めてもうまく行かなかったのではないだろうか。
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自己言及のパラドックス
しかし、「嘘つきのパラドックス」、とても面白いですね。
こういうのを自己言及(self-reference)のパラドックスというそうです。
「クレタ人はいつも嘘つき」とクレタ人が言っても、真否は分りません。すなわち、決定不能です。
この世にクレタ人しかいなければ、永遠に決定できません。
即ち、クレタ人は自らの正当性を証明できないわけです。
これが、当に、ゲーデルの「第一不完全性定理」ですね。
何故なら、「クレタ人」を「数学」に置き換えてみれば分ります。
だから、クレタ人だけでは決定不能なら、国際司法裁判所などの外部システムに裁定してもらえばいいですよね。
そう考えると、数学の正当性を裁定してくれる外部システムってあるのでしょうか?
それを発見したら、ゲーデルの「第一不完全性定理」の上をいく「完全性定理」が書けるかも知れません。
もう10歳若ければ挑戦するけど・・・この私めが!
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自己言及のパラドックス−続
「嘘つきのパラドックス」のような話、わが国はおろか中国世界でも聞いたことがありませんね。
「矛盾」という言葉の故事は聞いていますが、その矛盾を面白がりはしても深く追求するカルチャは無かったように思います。
一方、ギリシャ時代のパラドックスに「この文章は正しくない」というのがある。哲学者エピメデスにちなんでエピメデス文という。
エピメデス文が正しいとすれば、エピメデス文は正しくなくなり、逆に、エピメデス文は正しくないとすと、エピメデス文は正しいとなる。
この様な矛盾を見つけていた。
矛盾の発見については洋の東西を問わないまでも、知的なセンシチブネス(sensitiveness)のレベルで面白いと思ったかどうか、
この辺りが文明開化の分水嶺かもしれない。
そう言えば、東洋発祥の定理って余り聞きません。
であればこの際気張って「東洋人は定理を発見できない」という定理、提唱してみようかな!・・・認められるだろうか!
認められれなければ、定理は正しいし、認められれば、定理は間違いですね。
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