孔雀東南飛(前)

 
石井俊雄
岩波文庫に「中国名詩選」というのがある。 その中をパラパラとめくっていたら、面白い漢詩に遭った。
題名は、「孔雀東南飛」だ。
「序」によれば、後漢末、西暦196〜219年の頃、今の安徽省の下級官吏焦仲卿の妻(名は蘭芝)が仲卿の母に追い出され、 他に嫁がぬと誓っていたが、兄に再婚を迫られてやむなく投身入水自殺した。仲卿、これを聞くや、おのれも庭の樹に首をくくって妻のあとを追った。 当時の人、これを悼んでこの詩を作ったという。全編358句、中国古典詩の中で稀に見る長篇である。
どこが面白いかというと、五言の句が358句もある長編の詩なのだが、ストーリーがちゃんとしていること。 それに、漢文の簡潔な表現が面白い。 我が国の詩では、作者の心情を行間から読み取るという鬱陶しい作業を強いられる。 外山滋比古氏が日本人の思考を「感情移入的 」と呼ぶ所以である。 漢文はその点、簡潔にかつ断定的に言い切ってしまうので非常に読みやすいのが面白さに繋がっていると思う。
また、敬語が少ないのも読みやすさに一因であろう。
更に、我々が学校で習ったりして知ってる漢詩は四句の五言絶句だったり、四句に限らないとしても精々十句程度のものだ。 だが、この場合は358句の長編の叙事詩であり、それが面白さに繋がったのだろう。
我が国において類似の詩はと言えば、能の「謡」が近いと思う。 だが、諸兄諸姉におかれては、能についてはご存知でも、漢詩についてはこんなに長いものがあるとは、 ご存知ない向きも多いのではなかろうかと推う。
かかる独断・偏見の下、ここに長編詩「孔雀東南飛」を取上げ一覧に供したのでよかったらご覧ください。
全体は長いので、先ず前半、151句を抜粋することにする。よかったらご一読ください。
 
 
孔雀東南飛孔雀 東南に飛び、
五里一徘徊  五里に一たび徘徊す。
孔雀は東南へ向かって飛ぶが、5里も行けばきまって一度、引き返す。(序曲)
 
 
十三能織素「十三 能く素(絹織物)を織り、
十四學裁衣  十四 裁衣を学ぶ。
十五彈箜篌十五 箜篌(くご:竪琴)を弾じ、
十六誦詩書  十六 詩書を誦す。
十七為君婦十七 君が婦(つま)と為り、
心中常悲苦  心中 常に悲苦す。
君既為府吏君 既に府吏と為り、
守節情不移  節を守って情移らず。
賤妾留空房賤妾 空房に留り、
相見長日稀  相見ること常日も稀なり。
鶏鳴入機織鶏鳴 機に入りて織り、
夜夜不得息  夜夜 息むを得ず。
三日斷五疋三日に五疋を断つに、
大人故嫌遲  大人 故(ことさら)に遲きを嫌う。
非為織作遲織の遲きを作(な)すが為に非ず、
君家婦難為  君の家の婦(つま)は為(な)り難し。
妾不堪驅使妾(われ)駆使に堪えず、
徒留無所施  徒に留るも施す所無し。
便可白公姥便(すなわ)ち公姥に白(もう)し、
及時相遣歸  時に及び相遣(あいけん)帰すべし。」
十三のとき、絹織物が織れました。十四で裁縫、十五で箜篌(竪琴)が弾け、十六の年には『詩経』『書経』も暗誦したのです。 そして十七、私はあなたの妻になりました。
それからというもの、私の胸に苦しみ悲しみが住み着いたのです。あなたはお役人としてお役目大事に励んで、 夫婦の情愛に溺れるようなことはありませんでした。
私は夜明けとともに織り機に向い、毎晩おそくまで休むひまも与えられない。 三日で五疋、それでもお母さまに、遅い遅いと叱られます。織物が早くできない、それだけのためではなく、 あなたの家の嫁はとても私には勤まりません。追い使われるのはもういや、これ以上あなたの家にいても、どうなるものでもありません。 これからすぐお母さまにお願いして、今のうちに、里に帰していただきたいのです。
(箜篌)二十三弦の竪琴。(府吏)役所に勤務する下級役人。以下、焦仲卿を指して「府吏」と呼ぶ。(大人)夫の両親。(公姥)夫の両親。
 
 
府吏得聞之府吏 之を聞くを得て、
堂上啓阿母  堂上 阿母(あぼ)に啓(もう)す。
兒已薄祿相「兒 已(すで)に祿相(ろくそう)薄し。
幸復得此婦  幸に復(ま)た此の婦(つま)を得たり。
結髮共枕席結髮して枕席を同じくし、
黄泉共為友  黄泉まで共に友為(ともた)らんとす。
共事二三年共に事(つか)うること二三年(にさんねん)、
始爾未為久  始め爾(しか)くして未だ久しと為さず。
女行無偏斜女の行いに偏斜無きに、
何意致不厚  何の意か厚からざるを致す。」
これを聞いた焦仲卿、奥へ入って母に言う、「私はかねて薄幸の相ですが、あの妻を得たのは幸運でした。夫婦となって以来ベッドを共にし、 あの世まで仲良く暮すつもりでいます。夫婦となって母上に仕えてまだ二、三年、まだやりはじめたばかりではありませんか。 曲がった行いがあるでなし、どうしてそんなにつらく当たられるのです。」
(祿相)貧富貴賎の人相への表われ。(結髮)成人して正式に夫婦となること。
 
 
阿母謂府吏阿母 府吏に謂う、
何乃太區區  「何ぞ乃(すなわ)ち太(はなは)だ区区たる。
此婦無禮節此の婦(つま)礼節無く、
舉動自專由  挙動 自(みずか)ら專由なり。
吾意久懷忿吾が意 久しく怒りを懷く、
汝豈得自由  汝 豈に自由なるを得んや。
東家有賢女東の家に賢女有り、
自名秦羅敷  自ら秦羅敷(しんらふ)と名づく、
可憐體無比可憐 体 比(たぐ)い無し。
阿母為汝求  阿母 汝が為に求めん。
便可速遣之便(すなわ)ち速に之れを遣(や)るべし、
遣去慎莫留  これを遣(や)りて慎しみて留むること莫(な)かれ。」
母が息子に言い返す。「どうしてお前は、そんなに意固地なのだ。あの女は礼儀知らずだ。勝手放題なふるまいをしおって、 もう前から、わたしの胸は煮えくり返っておる。お前にも勝手は許しませんぞ。ほれ、この近所の家にかしこい娘がいる。 自分で秦羅敷といっておるほどの器量よしじゃ。可愛らしいことといったら、あんな様子のよさはまたとないぞ。 母が、お前のためにやろう。だから、あの女は早く出しておしまい。よいか、出すのですぞ。ここに置いてはなりませんぞ。」
(区区)愚かな。意固地な。(東家)近所の家。(秦羅敷)自他ともに許す美女。
 
 
府吏長跪告府吏 長跪(ちょうき)して告(つ)ぐ、
伏惟啓阿母  「伏して惟(おも)いて阿母に啓(もう)す、
今若遣此婦今 若し此の婦を遣らば、
終老不復取  終老まで復(ま)た取(めと)らじ。」
阿母得聞之阿母 之を聞くを得て、
槌床便大怒  床(しょう)を槌(たた)いて便(すなわ)ち大いに怒る。
小子無所畏小子 畏るる所無し、
何敢助婦語  何んで敢て婦の語を助くるや。
吾已失恩義吾れ已(すで)に恩義を失う、
會不相從許  会(かなら)ず相従(あいじゅう)許せず。」
息子はひざまずいて、「つつしんで母上に申し上げます。妻と離縁したりするならば、わたしは死ぬまで再婚はいたしません。」 聞いて母はカッとなり、座席をこぶしで叩きながらこういった。
「こいつめが、よくも平気な顔でぬけぬけと女の肩を持ちよるわ。母はもうあの女とは縁を切った。夫婦関係を続けることは、絶対に許しません。」
(伏惟)へりくだって言う時の発語の詞。
 
 
府吏默無聲府吏 默して声無く、
再拜還入戸  再拜して還りて戸に入る。
舉言謂新婦言を挙げて新婦に謂い、
哽咽不能語  哽咽して語る能(あた)わず。
我自不驅卿「我れ自ら卿(きみ)を駆(か)らず、
逼迫有阿母  逼迫するに阿母有り。
卿但暫還家卿(きみ)は但(た)だ暫し家に還れ、
吾今且報府  吾れ今且(まさ)に府に報(おもむ)かんとす。
不久當歸還久しからずして当(まさ)に帰還すべし、
還必相迎取  還らば必ず相迎え取らん。
以此下心意此れを以て心意を下し、
慎勿違吾語  慎みて吾が語に違うこと勿かれ。」
焦仲卿はただ黙って、再拝して母親の部屋を出た。自分の部屋に戻り、妻に向かって口を切ろうとするが、涙にむせてなかなか言葉にならなかった。
「私が追い出そうというのではないが、母上があまりにもうるさいので、ちょとの間、里へ帰ってほしいのだ。 これからわたしは役所へ出勤するところだが、やがてすぐまた帰ってくる。帰ってきたら、きっと迎えに行くからな。 だから安心して、どうか私にいう通りにしておくれ。」
(報府)役所に赴く。(下心意)心を落ち着ける。
 
 
新婦謂府吏新婦 府吏に謂う。 
勿復重紛紜  「復た紛紜(ふんうん)重(かさ)ねること勿(な)かれ。 
往昔初陽歳往昔(おうせき) 初陽の歳、 
謝家來貴門  家を謝して貴門に来たる。 
奉事循公姥奉事 公姥に循(したが)う、 
進止敢自專  進止 敢えて自ら專らにせんや。 
晝夜勤作息昼夜 作息(さくそく)に勤め、 
伶娉纒苦辛  伶娉(れいへい)として苦辛に纒(まつ)わらる。(注)「纒」はフォント無く代字
謂言無罪過謂言(おも)えらく罪過無く、 
供養卒大恩  供養して大恩を卒(お)えん、と。 
仍更被驅遣仍(な)お更(さら)に駆遣せらる、 
何言復來還  何ぞ復た來り還るを言わんや。
妻が答えた。「もうこれ以上、あれこれ面倒なことはやめにしましょう。思えば、あの年の暮れ、生まれた家に別れて、 あなたの家にまいりました。以来、何事もお母さまの意のままに勤め、出過ぎたふるまいなどしたことはありません。 昼も夜も一生懸命働き詰めで、ずっと苦しさ辛さに耐えてまいりました。自分にあやまちはないと信じ、 お母さまにお仕えして最後まで御恩に報いたい、そう念じていたのです。それなのに追い出されるのですもの。 いまさら、も一度帰ってくるだなんて、とても出来ませんわ。
(初陽)冬至と立春の間。(作息)労働。(伶娉)きりもなくつづくさま。
 
 
妾有繍腰襦妾に繍(ぬいとり)の腰襦有り、 
藺垂自生光  藺垂(いすい) 自から光を生ず。(注)「藺垂」はフォント無く代字
紅羅複斗帳紅羅の複斗帳(ふくとちょう)、 
四角垂香嚢  四角に香嚢垂る。 
箱簾六七十箱簾(そうれん) 六七十、 
黒ノ青絲繩  黒ノ青の糸繩、 
物物各自異物物 各自(かくじ)異なり、 
種種在其中  種種 其の中に在り。 
人賤物亦鄙人賤(いや)しければ物も亦た鄙(いや)しく、 
不足迎後人  後人を迎うるに足らず。 
留待作遣施留待して遣施(いし)と作(な)す、 
於今無會因  今に於て会因無し。 
時時為安慰時時 安慰を為し、 
久久莫相忘  久久 相忘るる莫かれ。 
わたしの刺繍の胴着、はなやかでパッと明るいあれ。そして赤い薄絹の二重のベッド用の帳、四隅には香袋が下がっています。 それに、大小の箱が六、七十、青いひもがついています。箱はいろいろ、中身もいろいろ。なにせわたしのような貧しい人間の持物ですから、 ろくな物もなく、後添のお方にはふさわしくないものばかりですけど、これらを残して贈り物にいたしましょう。 これでもう、あなたとわたしが会う縁もなくなるのです。でもときどきは、消息をお知らせください。 いつまでも、わたしを忘れないでいてください。」
(藺垂)草木の盛んに茂るさま。漢字フォントなしのため代用。(複斗帳)二重張りの帳。(箱簾)衣装箱、化粧道具などの小箱。
 
 
鶏鳴外欲曙鶏鳴いて外曙(そとあ)けんと欲し、 
新婦起嚴妝  新婦 起きて嚴妝(げんしょう)す。 
著我繍狭裙我が繍(ぬいとり)の挟裙(きょうくん)を着け、(注)「狭」はフォント無く代字
事事四五通  事事に四五通、 
足下躡絲履足下に糸履を躡(ふ)み、 
頭上玳瑁光  頭上に玳瑁(たいまい)光り、 
腰若流丸素腰は流るる丸素(がんそ)の若(ごと)し。(注)「丸」はフォント無く代字
耳著明月當  耳は明月の當(とう)を着く、(注)「當」はフォント無く代字
指如削葱根指は葱根(そうこん)を削るが如く、 
口如含朱丹  口は朱丹を含むが如し。 
纖纖作細歩纖纖として細歩を作(な)し、 
精妙世無雙  精妙なること世に双(なら)び無し。 
やがて鶏が鳴き外は白みはじめた。妻は起きて、きちんと身支度をととのえる。刺繍入りの裏付きのスカートをつけ、 服飾の品々を何度も吟味して身につける。足には錦糸の靴を履き、髪には鼈甲が光る。 腰には流れるとも見える白絹がなびき、耳には名月のような真珠の耳玉を下げる。 ネギの根を削ったような、白く細い指。赤い宝石を含んだような赤い唇。小股でしとやかに歩む姿は、世にまたとない美しさである。
(嚴妝)盛装する。(四五通)は四、五編。
 
 
上堂謝阿母堂に上りて阿母を拝するに、
母聽去不止  母 去るに聽(まか)せて止めず。
昔作女兒時「昔 女兒作(た)りし時、
生小出野里  生小 野里(やり)より出で、
足下無教訓本より自(おのずか)ら教訓無く、
兼愧貴家子  兼ねて貴家の子たるに愧(は)ず。
受母錢帛多母の錢帛(せんぱく)を受くること多く、
不堪母驅使  母の駆使に堪えず。
今日還家去今日 家に還り去るに、
令母勞家裡  母の家裡(かり)に労せんことを念う。」
まず姑の部屋に別れのあいさつに行く。それではお行きというように、姑は引きとめようともしない。 嫁がいう。「娘時代の私は、生まれついての田舎育ちのこととて、もとよりきちんとした教育はなく、 とてもこういう立派なお宅の嫁になる資格はなかったのです。こちらさまに上がるさいには、 お母さまから沢山のお金や品物をいただきました。でもお母さまに追い使われるのにわたしはとても耐えられませんん。 こうしてわたしは、今から帰らせていただきますが、これからの、お母さまのご苦労が心残りでございます。」
(生小出野里)片田舎の貧しい家に生まれた。(錢帛)結納の金と品物。
 
 
卻與小姑別卻(かえ)りて小姑と別るるに、
涙落連珠子  涙は落ちて珠子(たま)を連らぬ。
新婦初來時新婦 初めて来たりし時、
小姑始扶床  小姑始めて床に扶(たす)けらる、
今日被驅遣今日 駆遣せらるるに、
小姑如我長  小姑 我が如く長ぜり。
勤心養公姥心を勤めて公姥(こうぼ)を養い、
好自相扶將  好く自ら相扶将せよ。
初七及下九初七及び下九、
嬉戲莫相忘  嬉戲(きぎ) 相忘るること莫かれ。」
初七及下九門を出で、車に登りて去り、
涕落百餘行  涕(なみだ)落つること百餘行。
こんどは義妹に別れを告げる。涙がつづいて流れ落ちた。 「わたしがお嫁に来たlころのことを思うと、あなたはまだ寝台につかまり立ちしていたのに、こうして里に帰されるいま、 もうわたしと背丈が変わらぬほどになりましたのね。これからも一生懸命お母さまの面倒を見、 皆で扶けあって暮らすようにしてください。七夕や月の十九日の女の日に、いっしょに遊んだ楽しかったことを、 いつまでもわすれないでいてちょうだい。」あいさつを終えて戸口を出、馬車に乗って出発する。 涙がきりもなく、あとからあとからしたたり落ちる。
(初七)陰暦七月七日。(下九)毎月十九日は「陽会」といって、女子は相集って楽しむ習慣があった。
 
 
府吏馬在前府吏の馬は前に在り、
新婦車在後  新婦の車は後に在り。
隱隱何田田隱隱として何ぞ田田たる、
倶會大道口  倶(とも)に大道の口に会す。
下馬入車中馬を下りて車中に入り、
低頭共耳語  頭を低めて共に耳語(じご)す。
誓不相隔卿「誓って卿(きみ)を相隔(あいへだ)てず、
且暫還家去  且(かりそめ)に暫く家に還り去れ。
吾今且赴府吾れ今且(いままさ)に府に赴(おもむ)かんとす、
不久當還歸  久しからずして当に還帰すべし。
誓天不相負天に誓って相負(あいそむ)かず。」
こんどは義妹に別れを告げる。涙がつづいて流れ落ちた。 夫が馬で役所に向かう。つづいて、妻が馬車で家を出る。ゴロゴロそしてガラガラと車輪の音がひびきわたる。 大道への出口で夫は妻を待っていた。馬から下りて妻の馬車に乗りこみ、顔寄せ合って話すのだった。 「絶対おまえと別れたりするものか。とりあえず、しばらくの間、里へ帰っていておくれ。 わたしもこれから役所へ出勤するが、きっとすぐに戻ってくる。天に誓って嘘は言わぬよ。」
(隱隱・田田)いずれも車の音の形容。
 
 
新婦謂府吏新婦 府吏に謂う、 
感君區區懷  「君が区区の懷(おも)いに感ず。 
君既若見録君 既に若(も)し録(ろく)せられなば、 
不久望君來  久しからずして君が来るを望まん。 
君當作磐石君は当に磐石と作(な)るべし、 
妾當作蒲葦  妾は当に蒲葦(ほい)と作るべし。 
蒲葦靭如絲蒲葦は靭(じん)なること糸の如く、(注)「靭」はフォント無く代字
磐石無轉移  磐石は転移すること無し。 
我有親父兄我に親父兄有り、 
性行暴如雷  性行 暴なること雷の如し。 
恐不任我意恐らくは我意に任(まか)せざらん、 
逆以煎我懷逆(あらかじ)め以(すで)に我が懷を煎(に)る。」 
舉手長勞勞手を挙げて長(とこしえ)に労労 
二情同依依二情 同じく依依(いい)たり。 
妻が夫に答えて言った。「あなたのこまやかなお気持ち、ありがたく思います。あなたがわたくしのことをお忘れにならないならば、 あなたがいつかお迎えに来てくださるのをお待ちします。あなたは大きな岩におなりなさい。私は蒲か葦のようになりましょう。 岩はどっしり動かず、蒲や葦は絹糸のようにしなやかで丈夫です。 ただ心配なのはわたしの兄、雷のような乱暴な性格なのです。私の思う通りに行かないのではないか、それを思うと今から胸が煮え立つ思いですわ。」 手をあげて別れ行く二人は、いつまでも別れを惜しむ。離れ難い心と心。
(区区懷)真心のこもった愛情。(録)心に銘じて忘れない。(靭)しなやかで強いこと。(逆以)「以」は已に同じ。(労労)悲しみにたえぬ。
 
 
 
 

 
以上が前半である。
漢文の直截にして且つ簡潔な表現、如何でしたでしょうか。
前半は妻が家を出るところまでだが、後半は200余句が残っている。
後半では、先ず蘭芝の紛紛とした再婚話しが続き、最後は悲劇の完成となって終る。
少しだけ、後半の予告を記そう。
最後には、二人とも自殺してしまうが、そこのところを原詩では、
「蘭芝 裙をとりて糸履を脱ぎ、身を挙げて清池に赴く。
府吏 此の事を聞き心に知る、長(とこしえ)の別離なるを。庭樹の下に徘徊し、自ら東南の枝に掛かる。」
と記している。この
「自ら東南の枝に掛かる」
部分の原詩は、
「自掛東南枝」
だ。
簡潔と言えば簡潔、実も蓋もないと言えばその通りだ。 しかし、漢文は面白い。文章が乾いているように見えるなど我々とは違った表現を感じるからだ。 例えば、日本語だと首をくくるだが、漢文では掛かるだから、どちらかというと自らを客観視している面があるように思われる。 そうだよね、第三者的に見れば掛かっているように見えるはずだ。
更に、中国語は生々しい事柄の表現が直接的ではないと言えるのではないだろうか。 ここでは、蘭芝の入水自殺については、「身を挙げて清池に赴く」と婉曲な表現で表されている。 他にも、以前、「巫山の雲」考で触れたような表現が挙げられる。 話し別ではあるが、昨今の尖閣問題に対する中国国民の激しさを思うとき、その格差に戸惑いを覚えるほどではある。
個別には、そのような視点や表現などの相違はあるにしても、それ等の集合体としての全体は傑作だと思う。 次回に期待して頂ければ幸いだ。
 
 
 
 
 
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