孔雀東南飛(後)

 
石井俊雄
前回は、岩波文庫に「中国名詩選」の中の長編叙事詩「孔雀東南飛」の前半を記した。
後半では、先ず蘭芝の紛紛とした再婚話しが続き、最後は悲劇の完成となって終る。 ここでは再婚話しの部分は省略し最後の部分を記してみる。
よかったらご一読ください。
 
 
阿母謂阿女阿母 阿女に謂う、 
適得府君書  「適(まさ)に府君の書を得るに、 
明日來迎汝明日 来たりて汝を迎えんと。 
何不作衣裳  何ぞ衣裳を作らざる、 
莫令事不舉事をして挙がらざらしむ莫(な)かれ。」 
阿女默無聲  阿女 默して声無し。 
手巾掩口啼手巾もて口を掩いて啼き、 
涙落便如瀉涙落ちて便(すなわ)ち瀉(そそ)ぐが如し。 
移我琉璃榻  我が琉璃の榻(とう)を移し、 
出置前窗下出して前窓の下に置く。 
左手持刀尺  左手に刀尺を持ち、 
右手執綾羅  右手に綾羅を執りて、 
朝成繍狭裙朝(あした)に繍狭裙を成し、(注)「狭」はフォント無く代字
晩成單羅衫  晩(くれ)に單羅衫(たんらさん)を成す。 
奄奄日欲暝奄奄(えんえん)として日は暝(く)れんと欲す、(注)「奄」はフォント無く代字
愁思出門啼  愁思門を出でて啼く。 
母は娘に言った。「いましがた太守さまからお手紙を受け取ったが、あすにはお前を迎えに来るそうだよ。 さあ、早く花嫁衣装を仕立てるがよい。婚礼に間に合わないようなことがないようにね。」
娘は黙ったままだった。ハンカチで口をおさえて泣く。涙が流れんばかりに落ちるのだった。
やがて琉璃で飾った椅子を表に持ち出し、窓の下に置く。 左手に裁ちばさみと物差、右手に絹の糸を持ち、朝のうちに刺繍したあわせのスカートを、夕方までにはひとえの薄手の上着を縫い上げた。
あたりは暮れかかり、夜に入ろうとする。娘は悲しみのあまり屋敷の外へ出て泣く。
 
 
府吏聞此變府吏 之の変を聞き、
因求假暫歸  因(よ)りて假を求めて暫く帰る。
未至二三里  未だ至たらざること二三里、
摧藏馬悲哀摧藏(さいぞう)して馬(うま)悲哀す。
新婦識馬聲  新婦馬声を識り、
躡履相逢迎履を躡(ふ)みて相逢迎(あいほうげい)す。
悵然遙相望  悵然(ちょうぜん)として遙かに相望(あいのぞ)み、
知是故人來知る是れ故人の来たるを。
舉手拍馬鞍  手を挙げて馬の鞍を拍(う)ち、
嗟歎使心傷嗟歎(さたん)して心を傷ましむ。
自君別我後  「君の我れに別れしより後、
人事不可量人事 量る可(べ)からず、
果不如先願  果して先願の如くならず、
又非君所詳又 君の詳(つまびらか)にする所に非ず、
我有親父母  我に親父母(しんふぼ)有り、
逼迫兼弟兄逼迫するに弟兄(ていけい)を兼ね、
以我應他人  我を以て他人に応ぜしむ。
君還何所望  君還るも何の望む所ぞ。」
さて焦仲卿は、人から聞いてこの一大事を知り、休暇をとって一時帰休し、妻の実家を訪ねようとした。 あと二、三里のところで、馬が苦しんで悲しくいななく。 あれはあの人の馬の声と、すぐに聞き分けた劉蘭芝は、靴をつっかけて出迎える。 悲しげに遠くを望みやり、懐かしい人の来訪を知ったのであった。 やがて近づいた馬の鞍を手でたたきつつ嘆けば、胸は痛むばかりである。
「別れ別れになってしまってからというもの、人の世のことはわからないものですわねぇ、 やっぱり私たちの願いどおりには、事は運ばなかったのです。あなたにはなかなか、おわかりいただけないことですけど。 私の母がせめたてるばかりでか、兄まで加わって、無理やり私の再婚を承諾してしまったのですわ。 こうしてあなたが戻っていらしても、もう何の希望がありましょう。」
(摧藏)五臓が砕けるほど悲しむ意。馬も主人の気持ちを察して悲しむのである。
 
 
府吏謂新婦  府吏 新婦に謂う、 
賀卿得高遷  「卿(きみ)の高遷を得たるを賀す。 
磐石方且厚  磐石は方にして且(かつ)厚し、 
可以卒千年  以て千年を卒(お)う可し。 
蒲葦一時靭  蒲葦は一時の靭、(注)「靭」はフォント無く代字
便作旦夕間  便(すなわ)ち旦夕(たんせき)の間を作(な)す。 
卿當日勝貴  卿(きみ)當(まさ)に日に勝貴(しょうき)なるべし、 
吾獨向黄泉  吾 独り黄泉に向わん。」 
新婦謂府吏  新婦 府吏に謂う、 
何意出此言  「何の意か此の言を出す、 
同是被逼迫  同じく是れ逼迫せらるる、 
君爾妾亦然  君も慈(しか)り 妾も亦た然(しか)り。 
黄泉下相見  黄泉の下に相見(あいまみ)えん、 
勿違今日言  今日の言に違うこと勿れ。」 
執手分道去  手を執りて道を分ち去り、 
各各還家門  各各 家門に還る。 
生人作死別  生人(せいじん) 死別を作(な)す、 
恨恨那可論  恨恨 那(なん)ぞ論ず可(べ)けん。 
念與世間辭  念(おも)う世間と辞す、 
千萬不復全  千萬復(また)全(まった)からずを。 
焦仲卿が劉蘭芝にいう。「玉の輿だね、おめでとう。岩は四角な上に厚いから、千年たっても変わらぬが、 蒲や葦はしなやかで丈夫なのもほんの一時のことで、せいぜい朝から晩までしかもたないのだね。 おまえは日増しに、えらいご身分になっていくだろうな。私は、ひとりであの世へ行くよ。」
劉蘭芝が焦仲卿にいう、「どうしてそんなことをおっしゃるのです。押し付けられたという点でいえば、あなたも私も同じですわ。 私もあの世へ行って、あなたと会うことにいたします。きっと今日のその言葉を違えないでくださいね。」
手と手をとった二人は、やがて別の道をとって、それぞれの自分の家に戻ったのだった。 生きているもの同士、ここで死別れをするのである。恨めしさは、言葉で言い表せない。 二人の胸中にあったのは、「これで世間とはお別れ、どうあっても生き永らえたりはしはせぬ」との決意だった。
(高遷)立身出世。(勝貴)高貴な身分。(磐石・蒲葦)先に女の誓いの言葉を受けたもの。 (同是被逼迫)先に男が女に「逼迫するに阿母あり」と言ったことを持ち出し、立場の平等を強調したもの。
 
 
府吏還家去府吏 家に還り去り、
上堂拜阿母  堂に上って阿母を拜す。
今日大風寒  「今日大いに風寒く、
寒風摧樹木寒風は樹木を摧(くだ)き、
嚴霜結庭蘭  厳霜は庭蘭に結ぶ。
兒今日冥冥兒は今日冥冥(に赴き)、
令母在後單  母をして後に在りて単ならしむ。
故作不良計故(ことさら)に不良の計を作(な)すも、
勿復怨鬼神  復(ま)た鬼神を怨むこと勿れ。
命如南山石命は南山の石の如く、
四體康且直  四体 康にして且つ直(ちょく)なれ。」
焦仲卿は家に戻ると奥座敷に上がって母親に挨拶した。
「ずいぶん風が強く、寒い日ですね。冷たい風で樹木が折れ、厳しい霜が庭の蘭に貼り付いています。 私は今日この日、あの世へ参るつもりです。 母上をひとりあとに残すことになりますが、このような怪しからぬ考えは、私がわざわざ決めたことですから、 どうか神様を怨まないでください。母上が南山の石のように長生きなさって、いつまでもお健やかでお腰も曲がりませぬように。」
(命如南山石)『詩経』にも「南山の寿きが如く」とある通り、人の長寿をことほぐ語。。
 
 
阿母得聞之阿母 之を聞くを得て、
零涙應聲落  零涙 声に応じて落つ。
汝是大家子「汝は是れ大家の子、
仕宦於臺閣  台閣に仕宦す。
慎勿為婦死慎みて婦の為に死すること勿かれ、
貴賤情何薄  貴賤 情 何ぞ薄き。
東家有賢女東家に賢女有り、
窈窕艷城郭  窈窕(ようちょう) 城郭に艷なり。
阿母為汝求阿母 汝が為に求めんこと、
便復在旦夕  便(すなわ)ち復(ま)た旦夕に在り。」
府吏再拜還府吏 再拜して還り、
長歎空房中  空房の中に長歎し、
作計乃爾立計を作して乃(すなわ)ち慈(しか)く立つ。
轉頭向戸裡  頭を転じて戸裡に向い、
漸見愁煎迫漸く愁いの煎迫するを見る。
これを聞いて、母親は息子を説得しようとするが、ひとこと話すたび、涙がぽろぽろ落ちるのだった。
「お前は名家の子。わが家は高官を出した家柄なのだよ。どうか女のために死ぬようなことはやめておくれ。 身分の上下で心を移す薄情女ではないか。それより近所の家に賢い娘がおる。 その美しさは町一番、母がおまえにもらってやろう。すぐ今にでも。」
焦仲卿は再拝して自分の部屋に戻る。妻のいないがらんとした部屋で、しばらく溜息をついていたが、 かねての考え通りに事を運ぼうと決心した。 戸口から家の内をかえり見ると、しだいに悲しみが胸の中に煮えたってくる。
 
 
其日馬牛嘶其日 馬牛嘶(いなな)き、 
新婦入青廬  新婦は青廬に入る。 
菴菴黄昏後菴菴(あんあん)たり 黄昏の後、 
寂寂人定初  寂寂(せきせき)たり 人定まるの初め。 
我命絶今日我が命は今日絶えん、 
魂去尸長留  魂去りて尸(し)は長く留まらん。 
攬裙脱絲履裙を攬りて糸履を脱ぎ、 
舉身赴清池  身を挙げて清池に赴く。 
府吏聞此事府吏 此の事を聞き、 
心知長別離  心に知る 長(とこしえ)の別離なるを。 
徘徊庭樹下庭樹の下に徘徊し、 
自掛東南枝  自(みずか)ら東南の枝に掛る。
その結婚の当日、馬がしきりに鳴いた。いよいよ蘭芝は、花嫁用の仮小屋に入った。 夕暮が深まり、暗闇が迫る頃、人々が寝静まったころである。 「私の命はきょうで終り、魂は飛び去り、屍だけが残されるのだ」と思いつつ、蘭芝はスカートのすそをつまみあげ、 絹のくつを脱ぐと、池に身を投じた。 その知らせを聞くと、焦仲卿は、これが永の別れと知り、庭の樹の下をさまよったのち、東南に伸びた枝に首をくくった。
(馬牛)牛はつけたりの字でここでは単に馬。(青廬)青布の幔幕をめぐらした仮小屋。
 
 
兩家求合葬兩家 合葬を求め、 
合葬華山傍  華山の傍に合葬す。 
東西植松柏東西に松柏を植え、 
左右種梧桐  左右に梧桐を種(う)う。 
枝枝相覆蓋枝枝(しし) 相覆蓋(あいふくがい)、 
葉葉相交通  葉葉(ようよう) 相交通(あいこうつう)す。 
中有雙飛鳥中に双飛鳥(そうひちょう)有り、 
自名為鴛鴦  自(みずか)ら名づけて鴛鴦(えんおう)と為す。 
仰頭相向鳴頭を仰いで相向って鳴き、 
夜夜達五更  夜夜 五更(ごこう)に達す。 
行人駐足聽行人 足を駐(とど)めて聽き、 
寡婦起傍徨  寡婦 起きて傍徨す。 
多謝後世人多謝す 後世の人、 
戒之慎勿忘  之を戒めて 慎みて忘るること勿かれ。 
焦家と劉家は双方とも、合葬したいと申し出、ここに二人は華山のふもとに合葬された。 墓の東西には松と柏、左右に梧桐を植えた。枝と枝は覆い重なり、葉と葉は入り混じった。 その中に一対の鳥がいる。「エン」「オウ」と鳴き交わすところから「鴛鴦」と名付けられた。 いつも首を挙げて向き合って鳴き、明け方まで鳴きつづけるのであった。 その声に、道行く人は足をとめて聞き入り、夫を亡くした女は床から起き出し、周囲を歩きまわる。
後世の方がたに申し上げたい、どうか、これを戒めとして、お忘れにならぬように。
(自名為鴛鴦)鳥は自らその名を呼ぶという。(多謝)くれぐれも申し上げる。
 
 
 
 

 
漢文の直截にして且つ簡潔な表現、如何でしたでしょうか。
前半は妻が家を出るところまでだったが、後半は劉蘭芝に次々と起こる再婚話しの紛紛を省略し、 最後の終焉の部分を記した。
可哀相な結末だった。・・・残念としか言い様がない。
「鴛鴦の偶(ともがら)」という言葉があるそうだ。
意味は、「鴛鴦」はおしどりのことで、「鴛」は雄。「鴦」は雌を表す。 おしどりは、いつも雄と雌が寄り添って離れないことからいう。 中国の春秋時代(B.C770〜403年)、 深く愛し合いながらも悲劇の生涯を送った宋の韓憑(かんぴょう)夫婦の墓を守る梓の木の上で、 おしどりの雄と雌が寄り添って一日泣き続けたという故事に因んだ言葉だそうだ。
この長編叙事詩「孔雀東南飛」は、後漢末、西暦196〜219年の頃の話しであるから、 数百年前に起こった「鴛鴦の偶」の故事を知った上で、 華山のふもとに合葬したことになる。
生きてる人は過ちを起し、取り返しがつかなくなって初めて「鴛鴦の偶」に気付くのだ。 哀れな話しである。せめて「之を戒めて慎みて忘るること勿かれ」と悲鳴ともつかない雄叫びをあげざるを得なかったことだろう。
 
 
 
 
 
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石井浩四郎
「中国唐詩選」はパラパラとめくったことはありましたが、今回の引用には恐れ入りました。 「吉川幸次郎」のものですか。漢詩は読みたいと思ってはいましたが、思うだけで進展していません。 李白や杜甫の有名な漢詩はいくつか覚えていますが、 懐かしく思い出すのは高校時代に漢文の授業で山辺先生から習った「きそ川を下る記」です(漢字不明)。 授業で暗誦させられて、今でも最初の部分は覚えています。
(2012/10/12 0:16)
 
 
HPコメント 孔雀東南飛(後)
徳永 博
いやはや、石井俊雄君の博識に脱帽、小生も時々吉川幸次郎の「中国名詩選」を手にすることはありますが、 李白や杜甫の詩を読む程度で、このような長大な詩文には、正直言って辟易させられています。何しろ佐高では、 1,2年の時に犬塚先生や江頭先生から、「漢文T、U」を習って、覚えているのは土井晩翠の「星落秋風五丈原」位ですから。
石井浩四郎がコメントしていた、斎藤正謙の「下岐蘇川記」は、手元に「精選漢文読本 巻一」があるので紐解いてみたら、 「巳而離峡 漸平遠 犬山城露於翠微上」の句とともに、犬山城の写真が載っているのが印象的です。 去年6月に附中同窓会で、この地を訪れ、長良川で鵜飼いを観たことなど思い出しています。
(2012/10/12 10:34)
 
 
吃驚
石井俊雄
石井(浩)、徳永の両君にコメントいただいて有難いことです。 でも、両君が国語教師の名前を覚えておられることには吃驚しました。 小生はすっかり忘れてしまって全然覚えていないのです。 国語は嫌いで、その時間はあっくりこっくりでした。 何故なら、1時間掛けて1頁も進まないからです。 教科書の一箇所をなんでそんなに穴の空くほど見詰めなくちゃならないのか理解できなかったのです。 恐らく、「銭形平次捕物控」的な大衆小説に毒され、教科書に面白さを求めた所為でしょう。
もう一つ考えられることは師礼の弁え。両君は厚く、我は薄しです。

  齢い七十余にして識る己かな
  之を戒めて忘るる勿かれ

です。
(2012/10/12 23:34)
 
 
続・HPコメント
石井浩四郎
いやはや恐れ入ります。俊雄君にも徳永君にもその博識に参りました。小生の暗誦した漢文は「きそ川」の字も覚えていませんでしたし、斎藤正謙の「下岐蘇川記」とはまったく知りませんでした。 覚えているのは
「五月五日つとに起き川岸?に赴き船を求む、舟人の家は前岸樹林の中にあり未だ覚めず」というものでした。 「岐蘇川」は木曽川ですか。知りませんでした。
「星落秋風五丈原」も懐かしいですね。これは私も一人で散歩しながら良く歌います。江頭先生を偲びながら同窓会ででも皆で歌いたいものですね。
(2012/10/13 0:21)