Eテレ「100分de名著 人生論ノート・三木清
第1回〜真の幸福とは何か〜」抜萃
石井ト
Eテレ「100分de名著 人生論ノート・三木清 第1回〜真の幸福とは何か〜」から抜萃します。
三木清は兵庫県たつの市出身の哲学者。今、彼が書いた実践哲学書「人生論ノート」をNHKEテレ
「100分de名著」が採りあげている。
番組では、この本を4回に亘って読み解いていくようになっている。
今日現在、既に、2回まで済んでいて、第3回「孤独や虚無と向き合う」が今夜、放送される。
このHPでは、既に放送されてしまった第1回の「真の幸福とは何か」を番組から抜粋して表示するものである。
番組をご覧になってない方は、一読・参照されんことをお勧めする。理由は、面白いからである。ゲラゲラ笑うような面白さではないが、
実践哲学が生活に密着したものであるかを実感出来るでしょう。
- イントロ(司会)
「人生論ノート」の基本情報を見ていきたい。
- 作者は三木清 1897−1945
- 三木が昭和13年〜16年(1938−41)の第二次世界大戦前夜に、雑誌「文学界」に断続的に掲載した”人生論”
- 「死について」から始まり”幸福””成功””怒り””嫉妬””健康”など、普遍的な23のテーマについて書かれている。
- 昭和16年(1941)に刊行。わかものを中心に”人生の指針”として長く読まれてきた。
- 時代背景(司会)
ファッシズムの嵐が吹き荒れ、言論の世界にも大きな影を与えていました。
同じ頃、日中戦争がはじまり、日本全体が暗い影におびえていた時代、三木は同時代の人に向けて、いかに生きるべきかという根源的な問題を問いかけます。
中でも最も重きをおいたのが、私達の幸福についてでした。
- 抜萃
- 朗読(市川猿之助:以下同じ)
今日の人間は幸福について殆ど考えないようである。
試みに近年現れた倫理学書、とりわけ我が国書かれた倫理学書を開いてみたまえ。
只の一か所も幸福の問題を取扱っていない。書物を発見することは諸君にとって甚だ容易であろう
むしろ我々の時代は人々に幸福について考える気力をさへ失わせてしまったほど不幸なのではあるまいか。
幸福を語ることがすでに何か不道徳なことであるかのように感じられるほど今に世の中は不幸にみちているのではあるまいか。
- 解説(司会)
この直前に、国が戦争の為に国民の生活、財産を統制できる国家総動員法が制定され、
一人一人が個人の幸福を追い求めることが許されない時代に突入していた。
しかし、どんな状況下でも人は幸福を求めていいのだ、我々は幸福とは何かをしっかり考えるべきだと三木は宣言する。
- 抜萃
- 朗読
幸福の要求がすべての行為の動機であるということは以前の倫理学の共通の出発点であった。
現代の哲学はかような考え方を心理主義と名付けて排斥することを学んだのであるがその時他方において
現代人の心理の無秩序が始まったのである。
この無秩序は自分の行為の動機が幸福の要求であるのかどうかがわからなくなったときに始まった。
幸福の要求が今日の良心として復権されねばならぬ。
- 指南(岸見一郎:以下同じ)
この本は言論統制下の時代に書かれたもので、あえて持って回った言い方しかできなかった、
本当のことを書こうと思えば狂人になるしかないと本人も言っていると岸見さんは答える。
さらに、幸福のことを考えてはいけない空気の中、じゃあ何の為に何をしているんだという気になる、
“みんなのために自分は我慢しましょ”というスローガンのもと、個人よりも社会を優先させる考え方になると、
全体主義、ファシズムにつながると警鐘を鳴らしている。三木は、幸福への要求が抹殺されていた時代だと考えていた。
自分が「人生論ノート」を読んだら今の時代のことが書いてあると思う、会社のためとか組織のためとか、
それで過労死の問題や同調圧力によるいじめなど、個人の幸福がないがしろにされている状況は今日もある、
ひょっとしたら三木の時代より今の方があるかもしれないと話す。
- 抜萃
- 朗読
「幸福は徳に反するものではなく、むしろ幸福そのものが徳である。」
「我々は我々の愛する者に対して、自分が幸福であることよりなお以上の善いことを為し得るであろうか。」
- 指南
三木が生きていた時代は、自己犠牲や滅私奉公が“徳”とされていたので、
“幸福=徳”は危険な思想だと捉えられた。しかし、自分が幸福であることは“利己主義”ではない。
介護を例にすると、自分を犠牲にして親を看ることが“徳”であり、それを全うしたから人は“幸福”になれるのではなく、
自分が幸福であればこそ献身的な介護ができる、自分が幸せでなければ人に優しくすることすらできないと岸見さんは言う。
- 抜萃
- 朗読
「成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するようになって以来、人間は真の幸福が何であるかを理解し得なくなった。」
- 指南
成功は“過程”であり、幸福は“存在”である。ある目標を達成できたら自分は幸せになれると考えている人は、
実は成功を求めている。何かを達成できたら幸せになれるのではなく、人はもうこの瞬間に幸福である、という考え方。
現代人は、成功と幸福を同じものだと見ているので、自分は幸福であると思えなくなっている。
“幸福”とは、各人にとって“オリジナルなもの”。
成功は“量的”なもの、幸福は“質的”なもの。誰もが真似できないオリジナルな幸福を持っているはず。
それを追求すべきで誰でも求められるような成功を求めてはいけない。
- 抜萃
- 朗読
幸福は人格である。
人が該当を脱ぎ捨てるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎ捨てることのできる者が最も幸福な人である。
しかし真の幸福は彼はこれを脱ぎ捨て去らないし捨て去ることもできない。
彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。
この幸福をもって彼はあらゆる困難と闘うのである。
幸福を武器として闘う者のみが斃れてもなお幸福である。
- 解説(司会)
「人生論ノート」刊行後まもなく日本は、太平洋戦争へと突き進んでいった。ますます言論弾圧は厳しくなり、
三木は文章を発表する場所を奪われていく。
成功はたやすくコントロールされるが幸福は決してされない、どんな苦境にあっても幸福の力を信じていた三木。
しかし、戦争後半に投獄され、終戦後釈放されることなく昭和20年9月26日に獄死する。
- 指南
刹那的な幸福、偽りの幸福をコートを脱げるようにいつでもためらうことなく
脱ぎ捨てることが出来る人が本当に幸福なんだと三木は考えている。
絶対に譲れないものは、人格・命である。それが真の幸福。幸福を持ってあらゆる困難と闘う。
幸福感と幸福は違うと思う。高揚した感というものをイメージするようなそういう情緒的なものではない。
感覚的なものではないということを押さえておかないといけない。
真の幸福はむしろ熱狂を醒ますものだと、むしろ幸福とは知性で考えるもので感性で考える幸福感とは違うものだ。
決してお仕着せの人から与えられた幸福ではなくて、自分自身の幸福とは何かと考え始めていかないといけないと思いますし、
決して考えることを放棄してはいけない。
- インフォメーション
- 放送スケジュール
- 第1回 4/3 午後10:25〜10:50
「真の幸福とは何か」
指南役 岸見一郎(哲学者)
朗読 市川猿之助
- 第2回 4/10 午後10:25〜10:50
「自分を苦しめるもの」
指南役 岸見一郎(哲学者)
朗読 市川猿之助
- 第3回 4/17 午後10:25〜10:50
(再)4/19 午前5:30〜5:55
(再)4/19 午後0:00〜0:25
「孤独や虚無と向き合う」
- 第4回 4/24 午後10:25〜10:50
(再)4/26 午前5:30〜5:55
(再)4/26 午後0:00〜0:25
「死を見つめて生きる」
- 各回指南役・朗読
- 指南役 岸見一郎(哲学者)
- 朗読 市川猿之助(歌舞伎役者)
- 龍野が生んだ現代の文化人
兵庫県たつの市に住んでおられる同期の副島茂君から、龍野が生んだ現代の文化人、三木露風、内海信之、矢野勘治、三木清ら
4氏に関する文献が文献や資料が一堂に揃えられている「霞城館」や、「三木露風生家」など、三木清に関する資料を頂戴いした。
その中から、抜萃する。
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三木露風はご存知「赤とんぼ」の作者である。
「赤とんぼ」の詩は4番まであるが、今回送って頂いた資料で初めて知ったののは、
その4番の歌詞「赤とんぼ とまっているよ 竿の先」という部分は、
露風が小学校6年のとき書いた俳句だそうである。・・・驚くべき才能だよね。
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内海信之は地方文化の先覚者として、時流に媚びず、孤高の生活を守りつづけた。
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矢野勘治は一高の寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」を書いた人。
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三木清は、「Eテレ100分de名著」が採りあげた「人生ノート」を書いた哲学者である。
知らなかったのは小生くらいだろう。・・・日本語で書いたオリジナルな実践哲学書が貴重。
「文学界」の編集長 小林秀雄から、一般向けの哲学的エッセイを書かないかと誘われて書いたのが「人生論ノート」。
実践哲学の良書で、初版刊行(1941年)以来、現在108刷りのロングセラーとなった。
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