抜粋:なぜヨーロッパなのか?より
軍事・産業・科学複合体が、インドではなくヨーロッパで発展したのはなぜか?
イギリスが飛躍したとき、なぜフランスやドイツやアメリカはすぐにそれに続いたのに、なぜロシアやイタリアやオーストリアは差を縮めることに成功したのに、
ペルシャやエジプトやオスマン帝国は失敗したのか?
何と言っても、産業化の第一波のテクノロジーは比較的単純だったのだから。
蒸気機関を設計し、機関銃を製造し、鉄道を施設するのは、中国やオスマン帝国の人々にとってそれほど困難だったのか?
中国人やペルシャ人は、蒸気機関のようなテクノロジー上の発明(自由に模倣したり買ったりできるもの)を欠いていたわけではない。
彼らに足りなかったのは、西洋で何世紀もかけて形成された成熟した価値観や神話、司法の組織、社会政治的な構造で、
それらはすぐには模倣したり取り込んだりできなかった。
フランスやアメリカがいち早くイギリスを見習ったのは、フランス人やアメリカ人はイギリスの最も重要な神話と社会構造をすでに取り入れていたからだ。
そして中国人やペルシャ人はすぐには追いつけなかったのは、考え方や社会の組織が異なっていたからだ。
日本が例外的に十九世紀末にはすでに西洋に首尾よく追いついていたのは、日本の軍事力や、特有のテクノロジーのお陰ではない。
むしろそれは、明治時代に日本人が並外れた努力を重ね、西洋の機械や装置を採用するだけにとどまらず、
社会と政治の多くの面を西洋を手本にして作り直した事実を反映しているのだ。
このように説明すれば、1500年から1850年にかけての時代が新たな形で浮かび上がってくる。
この時代、ヨーロッパはアジアの列強に対してテクノロジー、政治、軍事、経済のどの面でも明らかな優位性を享受していたわけではなかったが、
それでもヨーロッパは独自の潜在能力を高めていき、
その重要性は1850年ごろに突如として明らかになった。
1850年にはヨーロッパと、中国やイスラム教世界は、一見すると対等に見えたが、それは幻想だった。
ヨーロッパは、近代以前の貯金があったからこそ近代後期に世界を支配することができたのだが、その近代前期に、
いったいどのような潜在能力を伸ばしたのだろうか?
この問いには、互いに補完し合う二つの答えがある。近代科学と近代資本主義だ。
ヨーロッパ人は、テクノロジー上の著しい優位性を享受する以前でさえ、科学的な方法や資本主義的な方法で考えたり行動したりしていた。
そのためテクノロジーが大きく飛躍し始めたとき、ヨーロッパ人は誰よりも上手くそれを活用することができた。
したがって、ヨーロッパ帝国主義が二十一世紀のポスト・ヨーロッパ世界に遺した最も重要な財産は科学と資本主義が形成しているというのは、
決して偶然ではないのだ。