伊東四朗氏の戦争体験を読んで

2020/02/06 石井ト
今日、2月6日(木)の毎日新聞夕刊の「特集ワイド」欄に、鈴木梢という記者のインタビュー記事が載っている。 今、14:45だから、配達されたばかりの夕刊だ。 その2面に、標記の記事が載っている。 記事のヴォリュームは400字詰め原稿用紙で10枚程度で、新聞紙面の半分ほどのものだ。
見出しに「喜劇役者 伊東四朗さん 82歳」とある。
小生も、今度の4月10日で82歳だから、「へぇー!」と思った。歳が同じだからだ。 同年代の者として、どんな事思ってるのかと記事を読んだ。
感心したのは、記事の最後辺りで彼が言ったこと。その部分を抜粋すると、次の通りだ。
不寛容な風潮が国際社会にも広がっている。「だからより強い武器をこぞって造る。世界中の核爆弾を爆発させたら、地球そのものが無くなってしまうわけでしょう。 それに偉い人たちはなぜ気づかないふりをするのか。私は憲法で自衛隊の存在を認めるべきだと思いますけど。 世界の平和は、力の均衡の中にあると思いますから。」
その言葉を聞いて、記者は畏れを感じた。武力でしか調和は保たれないのなら、いつ一発触発の事態を招いてもおかしくない。 戦争のむごたらしさや不条理、ひもじさを体験し、 70年以上を経て、なぜその考えに至ったのか。 その答えを探ると、軍縮が進まない世界に諦めを感じているからだった。
ここで、小生が感じたことは、彼が「憲法で自衛隊の存在を認めるべきだと思う」といったこと。 しかもその理由として、「世界の平和は、力の均衡の中にあると思いますから」との世界認識を示している。 戦争で辛酸をなめた同年代の私としては、当然のことを云ってると思えた。 特に際立つのは、彼が指摘した世界認識だ。 要するに、力の均衡を保つべきとの部分。 力の均衡とは、攻撃力対攻撃力と攻撃力対防衛力の二つの均衡がある。 わが国で言えば、第二次世界大戦の敗戦の反省として、防衛力重点の均衡が望まれる。 若し、それまで失くしたら均衡が崩れるのは目に見えている。力の均衡が崩れたら何を言っても泣き言になる。
あれだけの経験をした者が、示した世界認識と憲法認識、流石だと思う。 彼がテレビでするようなあんな見事な役ができるのは、日々巻き起こる現実を見てその結果を演技に活かしているからだろう。 云わば、現実掌握力が決め手ということだ。
それから、もう一つ感じたことは、「その言葉を聞いて、記者は畏れを感じた。」との記者の反応。 伊東四朗氏の話の何処に畏れを感じたのか書いてない。 「軍縮が進まない世界に諦めを感じているから」と書いているが、氏は諦めてはいない。 明確に「世界の平和は、力の均衡の中にある」との世界認識の基、「憲法で自衛隊の存在を認めるべきだと思う」 と具体的に対応策を述べている。 にも拘わらず諦めていると断じるのは極めて独断的だと思う。
最後になったが、伊東四朗氏は、上野御徒町育ちだそうだ。空襲も経験され、ラジオで終戦の詔勅を聞かれた。 ・・・要するに戦争のなんたるかを知った上で意見を述べられたわけである。 戦後、教科書に墨入れをした経験も同じだし、終戦の詔勅を聞いて空襲警報から解放されほっとしたという経験も同じだ。 ただ、私は当時九州の佐賀に住んでいたから空襲の体験も氏ほど過酷ではなかったはず。 だが同年代の者として、今後も現実掌握力に磨きをかけ活躍され続けることを期待している。
 
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