バビロン捕囚記

2022/3/27 石井ト
去る3月21日の毎日新聞朝刊一面に、「露、市民数千人連行」の記事が載った。 その記事から抜粋すると、
ロシア軍が侵攻を続けるウクライナで、市街戦が激化している南東部マリウポリの市議会は19日、 「この1週間で数千人の市民が強制的にロシア領へ連れていかれた」 と発表した。
とあった。
小生それを見て最初に浮かんだのは、世界史の時間に習った「バビロン捕囚」だ。
調べると、バビロン捕囚は、新バビロニアの王ネブカドネザル2世により、 ユダ王国のユダヤ人たちがバビロンを初めとしたバビロニア地方へ捕虜として連行され、移住させられた事件を指す。
この事件は、紀元前597年に始まり、約60年後の紀元前538年に終わっている。 そのときは、4万2,360人の「流刑囚の子ら」に加えて、7,537人の奴隷や歌うたいたちが約4か月の旅をした。 ・・・その人数が婦女子を含めて約20万人に達したことを示唆している。 (ウイキペディより抜粋
「バビロニア」という地域名は、世界史の教科書の最初の部分に出てくる。 チグリス・ユーフラテスの下流域を指すこの土地には、紀元前3000年ころ都市国家が建設され、文明を発達させていた。 「バビロン捕囚」の時期からは、2000年近く前のことです。
バビロンとは、今のバグダットのこと。 地図で調べると、バビロンとエルサレムの間は、約500キロ、その帰還には相当の困難があっただろうと推測される。
「バビロン捕囚」は、旧約聖書「列王の書」に記されている。
「旧約聖書」は長い時間をかけて書かれてきた、イスラエルの民の信仰と歴史についてまとめた書物です。 その中の詩篇に書かれた「バビロン捕囚」に関する詩の一つを抜粋しよう。次の通りだ。(犬養道子著「旧約聖書物語」より抜粋)
バビロンの川のほとりに
われらは座して
シオンを思って泣いた。
われらは白楊の木に琴をたてかけて。
われらに嘆きを与えた兵らが
歌え、楽しいシオンの歌をと
求めたけれど
流浪の国で、主の歌を
どうして歌うことができようか
エルサレムよ、
わが右の手のなえはてよ
もしわれ御身を忘れなば。
わが舌のおとがいに沈めよ
御身を忘れなば。 (なお、この詩に音を付けたのを"Songs"に載せている。「シオンの娘」です。聴くならここをクリックのこと。)
また、ネットの【旧約聖書のストーリーその5】より抜粋すると、次のようになる。
ユダ王国の末期、即ちバビロン捕囚の直前に、「申命記」(旧約聖書の中の一節)に相当する文書が再発見されており、 神殿での礼拝よりも「申命記」にある律法を守ることを教義の中枢に据えようという一種の宗教改革(申命記改革)が始まりました。 これと同時に、ヤハウェもイスラエルの民だけが信仰するローカルな神ではなく、世のすべての神に優越する絶対神である、と再定義されるようになります。 この結果、律法に基づいた生活を送り、ヤハウェを唯一の神だと信じれば、自分たちの同胞だ、とする解釈が根付きます。 この解釈を受け入れる人が「ユダヤ人」と呼ばれるようになります。
アブラハムの子孫であるかどうかというのは、もはやどうでもよくなりつつありました。 こうした「国際化」が進むことにより、ユダヤ教は地域宗教から世界宗教へと変質し、 さらにグローバルな性格を持つ「キリスト教」や「イスラーム」を生み出すに至るのです。
従って、バビロン捕囚は、「ユダヤ教」や、「キリスト教」や「イスラーム」を生み出す結果となったのです。
一方、この度のロシア軍が行ったマリウポリ市民のロシア領への強制連行事件、どのような結果を齎すだろうか。 世界史的な展開を関心を以ってワッチして行きたい。
 
 
 
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