「分類」と「関係」

石井ト
  1. 発端:書評から : 発展とは実在を知ること
    去る5月8日(水)の毎日新聞朝刊一面の「余禄」欄に面白い記事が載っていたので、ピックアップしてみました。
    その中から、主要文を引用したのが次の文章だ。
    「パンダ サル バナナ」。この三つの単語から近い関係の二つを選べ  こう聞かれたら、あなたはどの単語を選ぶだろうか。 この質問を米国人と中国人の大学生を対象に行った心理学者の実験がある。 多かったのは米国人では「パンダ サル」、中国人は「サル バナナ」だった。 前者は動物という「分類」を、後者は「サルはバナナを食べる」という関係を重視したわけだ(ニスベット著「木を見る西洋人 森を見る東洋人」)。 西洋人は分析的かつ論理的、東洋人は物事の具体的関係性を重視するとの説を裏付けるデータである。
    この見方の違い、とても面白いと思う。 何故なら、何故、科学技術文明に於いて西洋世界は東洋世界を圧倒したのかの解がある可能性を示唆していると思うからだ。
    東洋人は器用だ。西洋人に比べて極めて器用だと思う。なのに何故、科学技術の発展に於いて後塵を拝したのか?・・・小生の長年の疑問である。 その端緒の一つがここにあるような気がする。・・・そう、人間のものの見方の習性の有り様が科学技術の発展に向いているか向いてないかということだ。
    「分類」、「論理性」はものの本質を見る目にしか宿らないのではないかと思う。「関係」だけしか見ないのでは本質は見れない。
    例えば、中国の大指導者、ケ小平の言ったことが思い出される。
    「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である」
    これやられたら、猫の良し悪しを掘り下げて論じる前に、実用の前にそんな手間のかかる作業は吹っ飛んでしまうよね。これが中国人だ。 眞に「関係」、即ち猫とねずみの関係、を突いた実用主義(プラグマチズム)的なキャッチフレーズだと思う。 このように、対象物、この場合は猫だが、を深く見ず、対象物の関係を使った話が通り易いところに中国人の性癖を見ることが出来るのだ。
    良し悪しの問題としてではなく、知己という意味で自覚すべきだと思ったので、引用してみたもの。・・・批判する気はない。
    突き詰めれば、器用は実用と親和性があり、不器用は実在(分類)と親和性がある、となるのではないだろうか。 器用なのはいいが発展性がない、不器用なのは発展性がある、となるだろう。
    この書評に触発されて気付いたことは、「発展とは実在を知ること」ということだ。
  2. 量子論 : では究極の実在とは?
    ここで少し量子論の話をしよう。
    量子論とは、日常的な物理現象が何故起こるのかとか、世界に何故秩序が存在するのかを、明らかにする原理的理論だ。 要するに、前節で述べた「実在」の最小要素を論ずる理論なのだ。・・・だから「発展」のためには究極の標的に位置していると言えるものである。
    この理論は、実用性を重視した理論である「粒子の量子論」と、相対論に適合し素粒子の標準模型として体系化された原理的な理論である「場の量子論」に大別できる。 (吉田伸夫著「量子論はなぜわかりにくいか」17頁より抜粋)
    前者は、原子物理やエレクトロニクスの分野で盛んに応用されているが、後者は、物理現象の根源を明らかにする基礎理論であるものの、根源が何であるかを示すだけで、 実用性は、全くといって良いほどない。(吉田伸夫著「量子論はなぜわかりにくいか」100頁より抜粋)
    この二つの理論の関係は、「粒子の量子論」が、「場の量子論」で言う「場のリアルな波動によって引き起こされる現象を近似したもの」だと考えられる。 (吉田伸夫著「量子論はなぜわかりにくいか」103頁より抜粋)
    従って、私の言いたいことは、実用だからと言って、その背景にある原理的理論をないがしろにしてはならないと云うことだ。 量子論の世界では、複雑な構造を要素に還元することができない。場のネットワークを通じて、内部空間で生起する波が相互に伝わっていくことで、 あらゆる物理現象が実現されるため、物質が要素から構成されているという見方が成り立たない。(吉田伸夫著「量子論はなぜわかりにくいか」190頁より抜粋)
    要するに、細かく見て行けば、最後には何もないということなのだ。そのような世界をどうやって覗き込むのかと言えば、数学の手を借りるのだ。
    どの位ミクロかと言えば、物理世界の最小の長さがプランク長(1.6X10-36メートル)だとして、1立方プランク長当たり一つの内部空間が存在すると考えると、 1立方センチにつき10の100乗ほどの次元数になる。 分子や結晶は、そうした多次元空間内部にある地点に波動関数が集まって塊のようになっているものである。 (吉田伸夫著「量子論はなぜわかりにくいか」194頁より抜粋)
    このようなミクロな世界から成る世界を取り扱う場合において、実用と実在の狭間を埋めるもの、それは数学だ。
    式で表せば次のようになる。
    実用 = 実在の近似解
    この式が成り立たない実用は芸だろう。本質を見ない芸は発展性が無いとなる。 所謂、基礎研究の重要性も、この辺りにあると思われる。要するに、その場限りではなく、発展性、即ち希望を持ちたいなら、単なる芸に留まってはならない。 即ち、実在の正体を明かすべく努力すべきだと思うのだ。
    ものそのものではなく、ものとものとの関係に敏感な中国文明が、西洋文明と出会わなかったら、恐らく今も昔を繰り返していただろう。 この度の米中対立も衝突ではなく、発展となってもらいたいものだ。
    言いたいことは、「究極の実在は数学で書かれた量子論」ということだ。
  3. 人と実在 : 人にとっての実在とは?
    以上、実在の探求という希望の重要性を述べてきたが、 翻って、人そのもの、即ち個人を思うとき、その個々の人の希望、或は夢は何だろ? 家族の幸せ、繁栄、などはあるとしても、そのような集団を離れた個人としての夢・希望・欲望・とは何?・・・何をしたくて生きてるの?でもいい。
    小生もそのようなものを考えてみた。
    結局、それを知るには、例えば、テレビを見るとき、AとBの番組があったとして、Aを選ぶ理由は何?という設問に帰着するように思う。
    何故なら、生活とは選択の連続であると云われるから、その選択行為をチャンネル選択に代表させても、矛盾はないはずだ。
    小生の場合、チャンネル選びは、「面白さ」で決まる。
    では、「面白さ」とは何?
    私は、その番組の内容に「リアリティ」はあるか?だと思う。
    「リアリティ」とは脳が納得すること。即ち、脳が成程!と認識することだ。その際、物理的に存在するか否かは関係ない。脳が納得するとはそういうことだ。
    即ち、「リアリティ」(日本語では「実」)とは物理的或いはネットワーク上のバーチャルな実在、即ち、 脳が実在を認識することでドーパミンが放出され結果として充実感を味わう事が、「面白さ」の正体だと思う。
    量子論の場合も、数学を使って、脳が「リアリティ」即ち、実在を認識すれば、量子論は完成となる。そしてそれは人類最大の発見となるだろう。 ・・・異星人と出会っても、これをプレゼントすれば泣いて喜ぶはず。 何故なら、量子論の適用範囲は宇宙だから。
    また、神の場合は、想像力を使って脳が神の「リアリティ」即ち、実在を認識すれば神の誕生となる。
    以上から、「人にとっての実在とは?」の問いへの解とは、「求めるべきもの」、となる。 何故なら、それがあれば脳が納得するからだ。 従って悩みとは、実在が無い状態のこと、となる。即ち、脳が納得しないのだ。
    このように考えれば、人が金を追い求めるのも頷ける。それは、それらで「リアリティ」の選択肢が広がるからだ。 例えば、肉を買うとき、手持ちのお金が100円なら、少なくとも霜降り牛を買うという選択肢はないのである。 だから、お金は「リアリティ」の選択肢を広げるという力を持っていると言えるのだ。
    斯くして、「リアリティ」の選択肢の多寡(多い少ない)が脳の納得を得る機会の多寡となる。 そしてそれを幸せの程度を計る量の内の一つとすれば、「人にとっての実在とは?」の問いへの解は、幸福の証ということになる。
  4. 結言 : 発展のために為すべきことは?
    人は、停滞ではなく発展したいなら、実在を知らねばならない。そのためには、分析的かつ論理的であらねばならぬ。
    恐らく、そうするには戸惑うことが多いと思う。何故なら、根掘り葉掘りやらねばならないからだ。 「あ〜もせからしか!」では済まされない世界に踏み出すこととなる。
    普通、我々の世界では、あまり細かくきくと嫌われる。江戸っ子なら「べらぼーめ!」かな。鹿児島なら「理を言うな!」だろう。 佐賀なら「あ〜もせからしか!」で終わりである。
    でもこれからは、門前払い的に一刀両断するのではなく、分析的かつ論理的に反応する対話癖が必要となるだろう。
  5. AI : AI時代において発展のために為すべきことは?
    結言で「人は、停滞ではなく発展したいなら、実在を知らねばならない」と書いたが、AIの時代にそれが可能だろうか。 恐らくAIは答えは出すが、理由は述べないだろう。・・・となると、きく側からすると、一刀両断されたのに等しい。 そんな世界で、対話による進展って期待できるかな?
    人同士の対話、ますます必要だろう。ネチネチとやってAI任せの生活から距離を保たねばならない。
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