「分類」と「関係」(続)

石井ト
  1. イントロ
    2020年6月27日(土)の毎日新聞朝刊一面の「余禄」欄に面白い記事が載ったので、ピックアップしてみました。
    その中から、主要文を引用したのが次の文章だ。
    禅の言葉に「好雪片片別所に落ちず」というのがある。好雪とはみごとな雪のこと。そのひとひらひとひらも別のところに落ちていないというのである。 ・・・禅語辞典によれば、雪の一片一片がぴたりぴたりと落ちるべきところ落ちているというのが先の言葉の意味だという。 ひらひら舞う雪も定めに従って舞っているいるのである。・・・
    同じく、この朝刊の書評欄に、「中国禅宗史『禅の語録』導読」が載った。それによると禅宗の概略は、次のとおりだ。
    インドの達磨(紀元5世紀後半〜紀元6世紀前半の人)が中国に来て、禅の行法を教えた。 禅宗は、初期→唐代の禅→宋代の禅、と変遷した。 日本に伝わったのは宋代の臨在/曹洞宗。以来各宗は、語録を漢籍として訓読してきた。
    小生の関心は、東洋人と西洋人の、認識の仕方の違いを知ることにあるが、そのような意味で、 去年の5月8日(水)の毎日新聞朝刊一面の「余禄」欄に載った記事を思い出した。 (2019年5月13日「分類」と「関係」で本HPに掲載したものから引用。 詳しくはここをクリックのこと。)
    それに依ると、西洋人は分析的かつ論理的、即ち「分類」思考、東洋人は物事の具体的関係性を重視する、即ち、 「関係」思考とのことで、とても興味を惹かれた。
  2. 要旨
    今回の余禄の記事の言葉、即ち「好雪片片別所に落ちず」が、その西洋人は「分類」思考、東洋人は「関係」思考に当て嵌まるかどうか考えてみた。 そのような意味で今回のテーマを(続)としたのである。
  3. 考察結果
    西洋人なら、落ちた雪片全体の把握に努め、極端な場合として「そのひとひらひとひらも別のところに落ちる」とは必ずしも言えないと云うだろう。 何故なら、多数の中の一片くらいは落ちるところが他の一片と重なる確率があると考えるのだ。 即ち、起こり得ること全てのどの場合を意識の対象にするのだ。だから、このような言葉は云わないはずとなる。 一方、東洋人は、雪片同士はお互い近くに落ちるものという共通の関係には注目するが、その落ち方全ての場合に気を回すことはない。
    従って、西洋人は雪片が自由落下した位置について分析的かつ論理的に捉える「分類」思考であるが、 東洋人は落ちた場所のご近所さんという関係を重視するとなるので「関係」思考との説はこの言葉の場合も当て嵌まると言えるとなる。
    結果は、西洋人は分析的かつ論理的、東洋人は物事の具体的関係性を重視するとの説を裏付ける結果となった。
    面白いよね、同じ集団を見るにつけ、西洋人はその集団全体の把握に努め、東洋人は部分把握に注目する。 ここに、一つの基本的な違いがあるような気がする。
  4. おまけ
    1. 二体だけの世界
      ここに改めてこの言葉「好雪片片別所に落ちず」を見ると、この場面に於いて存在するものは彼と我。 即ち、雪片とそれを見る我だけの二体が全ての世界での出来事を表した言葉であると言えるとなる。
      このような二体だけの世界では、反論が難しい。拠って立つ論拠、即ち第三体が無いからだ。 もし、その第三体として統計学なり確率論なりの自然科学が存在すれば、論破するのは簡単だが、二体では反論ができないので、黙るしかない。 一種の唯我独尊の世界である。 従って、言葉遊びのようなことを重んずる宗教とならざるを得ない。これが嫌なら自然則という第三体を取り入れるべきだろう。 そうすれば、重なる場合を考えるはず。・・・従って、この言葉が出来るはずがない。
    2. 三体世界
      最近、コロナ禍の影響で、科学的エビデンス(証拠)が大事という意見が増えている。 東洋思想と西洋思想の差は、エビデンスの有無にあるのではないだろうか。 東洋世界が彼我の二体世界なら、西洋世界は彼我+エビデンスの三体世界かも。 エビデンスとは科学のこと。 二体世界では科学は存在しない。三体世界では科学が存在する。
      二体世界はウロボロスのようなもの。 くるくる回る世界で、同じところを回り続けるが、三体世界は自分の尻尾を噛まない。らせん状に回転し、回転軸に沿って移動していく。 即ち、三体世界は拡大していくのである。
      思えば、中華5000年の歴史は、幾多の王朝が盛衰を繰り返した。5000年もの間というところにウロボロスを見る思いである。 いま、中華文明は再度華開いたようだが、相変わらず二体世界のままであるようだ。第三体の科学的思考を伴うことを願っている。
      かくて言えることは、エビデンスに基づく反論が大事ということ。 空気を読んだり、忖度したりしていると、自分の尻尾を噛むことになる。 西洋科学史は突っ込みの歴史でもある。 突っ込みはウロボロスにならないために必要なことなのである。
    3. 現在の中国は
      中華文明は二体世界で花開いた文明だ。西洋文明は三体世界の文明だ。 両者の違いは、科学思想の有無にある。 論語は二体世界での道徳本だ。論語には、・・・ねばならないという文章が多いが、何故そうなるかは書いてない。 即ち、科学的エビデンスを欠いているのである。若し、科学的エビデンスが加われば、哲学書になるだろう。 科学的エビデンスとは、人間性及び自然則への深い洞察、即ち、真実に対する敬意をいう。
      現在の中国は二体世界にある。最先端の科学技術はあるようだが、あるのは技術だけで、世界に通用する普遍思想はない。 だから、世界を指導するレベルにあるとは思えない。もっと真実に対する敬意を持つ思想、即ち第三体が必要だと思う。
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