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「新平家物語」読みました

川原 勝郎
  1. 「新平家物語」との出会いなど
    3月早々に図書館の閉鎖が決まり、読みたい本の借り入れが出来なくなって困っているところに、偶々、吉川英治の「新平家物語」を中心に「宮本武蔵」、 「新書太平記」など45冊の本を寄贈の申し出を受け、ありがたく頂戴した。「新水滸伝」など5冊ほど読んで、いよいよ5月頭から読み始めた。6月末で読了。 その後、「平家物語」に関する資料や参考書、日本の歴史に係わる参考書などで傍証を固めること等に時間を費やした。
  2. 「新平家物語」との関わり方
    「新平家物語」について小生の報告事項は、24冊に及ぶ膨大な内容の詳細ではなく、数か所に絞った小生意見の披歴である。 他にも多々ご意見の存することを承知の上でしばらくお付き合いいただきたい。
  3. 「新平家物語」の出来上がり
    1. 「新平家物語」は吉川英治の最後の著作ともいわれる大作で、 鎌倉時代に出来上がった「平家物語」とは全く異なる視点から書かれたものである(後半にご参考として「平家物語」について纒めてみました)。 読み進めると、随所に色々な文献や資料を参照していることが伺える。 「吾妻鏡」源平盛衰記」「義経記」「平家物語」『保元物語』のほか公家方の日記類(九条兼実の日記・玉海)、その他の書類(郷土の口碑や資料など)。
    2. 吉川英治のストーリーテラーとしての力量が遺憾なく発揮されているのが、登場人物が多数に及び、 一人一人に十分紙数を割いているのに冗長にならず、且つ、後の物語への伏線になっていることである。 梶原景時、加賀の富樫ノ介泰家、佐藤義清「後の西行法師」、金売り吉次、など枚挙にいとまがない。 この点についても色々と取り上げてみたい事は多々あるが一部にとどめるので、ご興味のある方は是非「新平家物語」をご一読のほどお願いする。
    3. 「平家物語」との関連で興味を惹いたこと
      一つ目、鵯越(ひよどりごえ)、逆落としであろう。平家方が十分な戦力でありながら、 少しの油断で義経一行の奇襲に敗れ去るというのが「平家物語」の記述である。 一方「新平家物語」では2月4日の清盛の1周忌に関連して7日までは和平の交渉中のため休戦とのことで、後白河法皇からわざわざ平家側に通告があり、 平家側は休戦気分で酒盛りを開き、全く油断どころではない状態で7日の早朝に奇襲を受け敗れ去ってしまった。 法皇が平家追討の院宣を発しているとはいえ、ここまで戦いの機微に触れることがこの結果を招いており、その政治性に驚いたことであった。
      2つ目、屋島での戦いについてである。義経軍の奇襲により天皇はじめ一族全てが海上に逃れた後、 平家方は西国方面から田口勢3千人が戻ってくることを見込んで、義経軍を挟み撃ちにするべく3千人の軍隊の戻りを悟らせないように、 海上から色々と仕掛ける。その中の1つが有名な那須与一の船上の的を射る物語である。 結果論から言えば少数の義経軍は前日の嵐の中を海を超えて奇襲してきた疲れからその夜は熟睡、 平家側が夜襲を仕掛けていれば平家側の勝利の可能性が高く、その時間を利用して田口勢の寝返り工作を成功させた義経軍の僅差の勝利といえる。
      3つ目、安宅関の物語である。「平家物語」から発して歌舞伎の名場面となっているが「新平家物語」では白紙の勧進帳は登場せず、尋問に対し、 弁慶が理路整然と答えていくのが見事に描かれ、1段落したところで富樫がそろそろ良しとの決断を見せる。弁慶の義経打擲もなしである。 これは、前述した人物像の中にいた富樫が、 鎌倉での静御前をめぐるトラブル(鎌倉方の若い御家人の絡みに対する静御前の毅然たる態度に内心感じるところあり) が伏線となって義経一行に対する好意的な対応になったものである。
      4つ目、清盛が中国大陸の宋との交易に熱心で、そのために大輪田ノ泊に突堤を築くなど苦心惨憺してようやく完成し、 福原(現在の兵庫県)には市場を伴った町作りが進められた。そこでの記述に、 現状は物々交換の状況であったので宋銭を大いに導入して流通の改善を図った、とあったが、そのころには通貨制度はなかったのか?歴史書によると、 奈良時代の記述には市で銅銭を使用した記録や、人夫賃1日10文などの記述もあり通貨制度は存在したと確定できる。 思うに、当時は相次ぐ冷害や戦乱で世相は大混乱をきたしており、従来の銅銭はインフレの為に貨幣としての使用価値が激減し、 物々交換が優勢であり、宋銭の導入という形で貨幣制度を維持したことと推測される。
      最後、義経と弁慶の五条の橋の上での出会いもない。義経が鞍馬寺に預けられ隠れた生活を送っていたことは記載があるが、 金売り吉次に奥州へさらりと送られるのではなくて、鞍馬西北の僧正が谷に隠れ住む源氏ゆかりの人々が世上には天狗と称される活動をなし、 これに加えて、全国各地にいる源氏党の援助、支援でスムーズに奥州へ流れていく。 他に下総・印旛の草の実党の面々は後の義経親衛隊を形成する流れもある。
      以上で終わりますが、吉川英治は如何なる信条によりこの大作を創作したのでしょうか?「平家物語」が無常観を前面に押し出しているのに対し、 比叡山のことや法然上人のこと、最後に西行法師を登場させていることなどから、宗教に大いに関心を持ち、立ち位置を定めているように思われます。 これから後の文章は「平家物語」に関する参考資料と考えて、必読ではありませんので、関心があればお読みいただければと思います。
  4. 「平家物語」の成立とその後の浸透ぶり
    「平家物語」は鎌倉時代に書かれた軍紀物語である。作者は明確ではないが、吉田兼好の「徒然草」には信濃前司行長と記されている。 その後、琵琶法師という盲目の琵琶の語り部によって情熱的に語られ、人々の娯楽になっていく。 琵琶法師の語る悲しい物語に、人々は涙し、熱狂し、感銘を受けていった。
    室町時代には能に取り上げられ、「平家物語」の内容を元に様々な謡曲「能の脚本」を生み出していく。 その多くは「平家物語」の登場人物が、悲しい死を遂げた後、どのようになっていったかという「平家物語」の後日談になっている。
    江戸時代になると、人形浄瑠璃や歌舞伎の舞台で「平家物語」を題材とした作品が多く書かれた。 そこでは「平家物語」に書かれた内容を元に、多くの新たな魅力的な人物を登場させることで、話を盛り上げる。 その中には、「俊寛」、「熊谷陣屋」、「逆櫓」「鮓屋」など、現在でも歌舞伎の人気演目として度々上演されているものも多い。
  5. 「平家物語」のあらすじ
    平清盛は武士でありながら貴族の最高位まで上り詰めることに成功した。 しかし、その地位を維持するため、他の貴族を陥れることや、天皇家との結び付きを強める必要に迫られる。 清盛の子である重盛が朝廷や他貴族とのクッション役なっていたため、清盛を倒そうという動きは盛り上がらなかった。
    しかし、重盛が亡くなると事態は一変する。清盛は、自らの権力を維持するため、後白河法皇の政治的権力を奪い、自分の孫を天皇に就かせる。
    これをきっかけに、平氏打倒の動きが盛り上がる。以仁王(後白河法皇の子)の令旨で、源氏が平氏打倒に立ち上がる。 更に、平家に反発した宗教勢力を押さえつけるために平重衡(清盛の5男)が奈良の寺院を焼き尽くしてしまったため、 宗教勢力は完全に平家に対抗する姿勢を示す。
    そのような中、最高権力者である平清盛が亡くなる。すると、源氏は勢いづき、木曽の源義仲が平家を都から追放する。 しかし、源義仲も、京で平家以上の横暴を振舞ったので、源義経らに倒される。
    そして、源範頼、義経兄弟が平家を壇之浦に追い詰め、滅ぼしてしまう。平家の人たちは、次々に命を落とし、ある者は出家していく。
    平家の無常、源義仲の無常、そして本編には記されていないが、源義経の無常までが描かれるのが「平家物語」なのである。
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