胡適:対日戦略を売り込んだ男

石井ト
2018年5月13日(日)の毎日新聞朝刊の書評欄に、「胡適」(1891−1962)中国革命の中のリベラリズム(ジェローム・グリーダー著、加藤陽子評)の書評が載ったが、 その中から面白い部分を抜粋してみる。
抜粋は以下の通りだ
日中戦争の始まる2年前の1935年、南京国民政府期の中国の話だ。このとき胡適は、中国の取るべき道を浩説いた。 今、日本が中国に全面戦争を仕掛けられないのは、米国の海軍力とソ連の陸軍力を恐れる故だ。 中国は米ソを巻き込みたいが、2国とて簡単には腰を上げまい。ならばどうするか。方法は一つ。中国自身が犠牲を払い、日本との戦争に単独で数年耐えるほかない。 長江や海岸線は封鎖され、天津・上海はむろんおこと、国土の大半も占領されるだろう。だが、そうして初めて、太平洋で塀国によつ海戦が、大陸でソ連による陸戦が始められるようになるのだと。
米ソの介入を安穏と待つのではなく、肉を切らせて骨を断つ方策を、この文人は要路に提案していた。
この時、胡適は44歳、北京大学文学院院長を務めていた。奨学金で米国の名門コーネル大学とコロンビア大学で学び、帰国後は新文化運動に実を投じ、政論誌「独立評論」等を主催していた。
(中略)
蒋介石に請われて胡適は、38年から駐米大使を務めた。真珠湾攻撃時の大使が胡適だったことは、先の戦争論を想起する時感慨深いものがある。
小生、薄学にして胡適なる人物の存在は知らなかった。だが、面白いから抜粋するとしたので、何所が面白いと感じたか記してみる。
  1. 日中戦争への対応が、長い時間軸と地球規模で捉えられていること。
  2. その対応が、極めて戦略的なこと。
  3. 官民の人材が知性的で構想力があること。
  4. 一文人が要路に提案していたこと。
以上を纏めれば、このような構想を描く人材がいて、それを採用する人材もいたことが面白い。 思えば、中国5千年の歴史が浮かんでくる。
春秋戦国時代(紀元前770年から約550年間の時代)の諸侯の国が行った政策を「富国強兵」といい、『戦国策』秦策に用例が見える。 この時代には各国が諸子百家と呼ばれる思想家たちから人材を登用し、騎馬戦術や戦車などの新兵器を導入して軍事改革を行った。 (この段「富国強兵」ウイキペディアより抜粋)
この伝統が今も活きていることに圧倒される。自分で考えたアイディアを積極的に要路に売り込む辺り、極めて男性的な社会だと思った。
反省すべきは、反省するだけではなく、戦略的・知性的人材を育てること。その方が、世界のためになる。 わが国では、諸子百家のような思想家の売り込み、見たことがない。おとなし過ぎる!控え目を美徳とする風習、それが問題だ!
私などは、控え目なのではなく、そう見えるだけ。・・・だからこうやってけしかけるのが精々。良く言えば啓蒙家、悪く言えば詐欺師?かも。
 
 
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