レンマ学

石井ト
  1. イントロ
    9月22日(日)の毎日新聞朝刊の「今週の本棚」という書評欄に「レンマ学」なる本の書評が掲載されていた。レンマ学とは初めて聞く言葉だったので、 読んでみた。 その結果、「レンマ」という言葉は「ロゴス」という言葉の対義語だと云うことが解ったが、内容については、 知らないのが不思議なくらい驚きの新発見だったので皆さんにも知ってもらう価値があると思い、本HPに投稿した。知らぬは私だけかもしれないが、念のためである。
  2. 本稿の要旨
    人間の知性には「ロゴス」という知性が唯一の知性だと理解してきたが、その対極に「レンマ」という知性が存在することを 上記の「レンマ学」なる本の書評で知った。歴史的には古代インドに端を発する知見とのこと。 その驚くべき新知見を紹介したい。また、実例を挙げて「レンマ」なる知性の理解に資したい。
  3. 抜粋
    1. 「ロゴス」と「レンマ」の説明部分を抜き書きすると、次の通りだ。
      ヨーロッパで発達した「学」は「ロゴス」に依拠している。 ロゴスは、「自分の前に集められた事物を並べて整理する」知性作用であり、言葉がこれと同じ作用を持つので、言葉で考え表現できる。
      一方「レンマ」は「全体をまるごと直観によって把握する」知性であり、データ化や言葉化が難しく、その働きを実態として取り出せない。
      そこで、古代ギリシャの哲学者は、レンマ的知性の存在を感じながらもロゴスに徹したのである。その後自然科学はこの形で大きく進展し、現代に到っている。
    2. 最近の傾向として次のように書いている。
      ところで、このロゴス一辺倒に変化が出始めている。一つは量子力学などロゴス型に収まり切らない学問がうまれてきたことである。 生物学はまさにそこにいると言えよう。生き物がそういう存在なのだから。 もう一つは、ロゴス型の知が作り出した現代科学技術社会に問題が山積し始めていることである。
    3. このような傾向を踏まえて著者・評者は次のように提案している。
      知性には、ロゴスとレンマとがあり、それを結合した「学」を創り出す時が来ているのだ。
    4. 著者は「レンマ学」とはについては次にように主張する。
      著者が「レンマ学」に思い到ったのは、南方熊楠の科学的思考の拡張を、「ロゴス」から「レンマ」への知性の拡張として理解したときだそうだ。 粘菌という中枢神経をもたない生物の情報処理はまさにレンマ型であり、私たちの心もそれが支えていると考えられるようになってきている。
      「レンマ学」の基礎である、大乗仏教が開発した「縁起の思想」は、「すべての現象は縁起するゆえに、固定的な実態をもつものではなく、固執する対象もない」とする。 著者はこの縁起、無分別、非時間、非線形、非局所のレンマ的知性こそ基本であり、因果律に始まる分別、時間、線形、局所、 に関わるロゴス的知性はその変異体として生まれたとする。生き物を見ていると確かにそう思えてくる。
  4. 所感:ロゴスとレンマの応用例を挙げてみる。
    1. 「約束」と「義理人情」の場合
      昔の流行歌「湯島の白梅」の歌詞に、「固い契を義理ゆえに 水に流すも 江戸育ち」というフレーズがあるが、 このフレーズに「ロゴス」と「レンマ」という知性を適用してみよう。
      この場合、「固い契」、即ち「約束」はロゴス的知性、「義理人情」はレンマ的知性となるだろう。
      理由は、「約束」は文章に書くことができるが、「義理人情」は文章化が困難。周りの複数の人間や環境が関わる状況次第だからである。
    2. 江戸っ子と田舎侍
      江戸っ子は義理人情に生きるからレンマ的知性派。田舎侍は武士道に生きるからロゴス的知性派。 従って、田舎侍と江戸っ子は上手く行かない。どこかで衝突する。
    3. 韓国と日本
      韓国は市民の意見が政治に反映される社会だからレンマ的知性派。日本は規範に従うからロゴス的知性派。
    4. 政治思想
      「民主政治」と「独裁政治」に「ロゴス」と「レンマ」という知性を適用してみよう。
      「民主政治」はロゴス的知性、「独裁政治」はレンマ的知性となるだろう。
      理由は、「民主政治」においては個人は多数決に参加することで全体に関わるが、「独裁政治」は独裁者を中枢神経とした決定に、粘菌的生物として 隣の個体に同調するという関わりだけだから。
    5. ニュートン力学と量子力学
      ニュートン力学は、初期値を与えれば未来が決定されるという意味で線形、また極所性があるという意味でロゴス的知性だが、量子力学は、 統計的で極所性がないという意味でレンマ的である。
  5. 所感2:我々との対比
    1. 学問とは
      「ロゴス」と「レンマ」の説明部分の抜き書きによると、ロゴスは、「自分の前に集められた事物を並べて整理する」知性作用とある。 この視点、我々には無いよね。我々のロゴス訓練で浮かぶのは教科書だ。古くは漢籍の本、新しくは文部省認可の教科書である。 その教科書を舐めるように憶えるというのが我々の言う知性活動だった。
      「自分の前に集められた事物を並べて整理する」という態度をとるには俯瞰的な視点が必要だが、我々には物心つき始めたときには、教科書があった。 中華文明の縁辺に位置するという地理的・歴史的境遇が自前の視点を必要としなかった所為だろう。
      従って、我々にとっての学問とは、教科書をマスターすることだと云える。 存在するのは、自分と教科書という世界に住んでいるようなもの。 ・・・だが本来の学問とは、お手本なしにするもの。そのためには俯瞰の視点を志向しなければならない。
  6. 補足:「レンマ」とは
    「レンマ」とはウイキペデァ(ネットでの無料百科事典)によると、
    レンマ(英語: lemma)とは、哲学用語のひとつで、「律」、「句」の意味。 ギリシア語では「受け取る」という直観的な把握の意味のギリシア語から出来上がっている名詞で、 本来的には、チャトゥシュ・コーティカ(サンスクリット語: catuskoti)のギリシア語訳でテトラ・レンマという名前の思考スタイルを言う。
    このテトラ・レンマ、漢訳では四句分別と言い、インド古来の思考様式だそうである。 邦訳すれば、テトラは4(テトラポットを思えばいい)、レンマは「句」だから、「四つの句」となるのだろう。・・・納得!だよね。
    この四句、面白いから、ウイキペディアから転写しておく。・・・1と2なら素直に分かるが、3、4となると、?が点く。
    1肯定西洋排中律←[個物]同一性へ向かう
    2否定西洋排中律←[個物]同一性へ向かう
    3肯定でも否定でもない東洋容中律←[個物]同一性へ向かわない
    4肯定でも否定でもある東洋容中律←[個物]同一性へ向かわない
    「レンマ」についてウイキペディアにリンク張っておく。 ここをクリックして下さい
  7. 所感3:テトラ・レンマ(四句分別)の実践
    1. 合理主義と義理人情
      このテトラ・レンマに対する漢訳の四句分別、名訳だと思う。簡にして要を為してるからだ。
      そして思うのは、所謂「義理人情」の曖昧さのこと。これを四句分別の3と4に当てはめるとピッタシの感があり、 義理人情の対局にある合理的知性に当て嵌まるのが四句分別の1と2である。
      斯くして、四句分別の1と2は合理主義の思考スタイル、3と4は義理人情の思考スタイルを言うとなるだろう。 前者は中間が無いという意味で整数的又は決定論的、後者は宙ぶらりんという意味で実数的又は確率論的、と言える。
    2. 善という観点からの比較
      我々の住む世界に善はあるのだろうか。 善で思い出すのは西田幾太郎だが、私は彼の言う善が如何なるものか知らない。 だから、それは置くとして、私が思うに絶対的善は「人類の生存」(所謂「種の保存」のこと)だと思う。 それを認めたら、後はその規範をあらゆる事物に当て嵌めて判断するとなる。
      その判断のとき使うのが知性だ。即ち、四句分別を適用するわけだが、1と2なら肯定・否定がはっきりして決着がつくが、 3と4は曖昧だから決着がつかない。 いつまでも、引きずった形で、次へ進めないとなる。・・・要するに世の中が停滞するわけだ。
      従って、決着と停滞が「人類の生存」にとってどちらが勝っているのかが問われることとなる。 普通、問題解決の方法は、要素に分解して一つ一つ潰していくというのが正解だから、決着の方が勝っているだろう。 人間の知能に適しているとも言える。 人間の知能は、要素に分解しないで、一挙に解を出すようには出来ていない。 従って、正解は「決着をつける」である。
      結論は、「人類の生存」にとって停滞するより決着つけた方が善である、となる。即ち、決着着つけた方が人類の生存、即ち種の保存によいとなる。
    3. 実践:歴史的比較
      インド・ヨーロッパ語族であるインド人とヨーロッパ人が、近代科学技術文明において、天と地ほどの格差が生じたのはどうしてだろう?と考えざるを得ない。
      ヨーロッパ人がギリシャ文明の後裔として、ロゴス的知性を継承したのに対し、インド社会では、長く、テトラ・レンマ的知性に忠実だった事が影響したと思われる。
      となれば、安易にテトラ・レンマを受け入れるのはよくない。哲学的面白さには興じても、ジ・レンマ(dilemma、二句、ギリシャ語で「di」は2を意味する。) の方がよい。 基本はジ・レンマで、そのミクロの世界でテトラ・レンマで行ったらいいだろう。
      思うに、上表の3、4は、統計確率学の世界ではないだろうか。即ち、小数が巾を利かす世界だ。因みに上表の1,2は整数の世界と言えるかもだ。 このように考えると、虚数の世界ってあるかもだな。見えないだけで。
  8. 結論
    善という観点、並びに歴史的観点からの評価により、テトラ・レンマを評価すれば、テトラ・レンマの1.2、即ち、ロゴス(ジ・レンマ) の方が人類の生存に適している(善)となる。
     
  9. おまけ:テトラ・レンマの確率解釈
    3と4の場合
    1. 3の「肯定でも否定でもない」とは、ズバリ言えば、確率の世界を表してると解釈することが出来る。 例えば、憲法改正がその例だ。国民一人一人は「肯定」「否定」「不明」のどれかに当たる意思をもっている。 だが、それを国民という塊でとらえると、3の「肯定でも否定でもない」となるのだ。 即ち、「国民の意思は、確率何%で肯定、確率何%で否定、確率何%で不明」と数値化出来るのだ。 だが、数値化は出来ても、この数字を行動に生かす、即ち、実践するには人為的な操作が必要になる。 例えば、「最大多数の最大幸福」というような人為的理屈が要るのである。占いでもいい、神でも、独裁者でも、議会でも。
    2. 4の、「肯定でも否定でもある」は、同じ説明で、3の反面意思を言うものだ。 即ち、「国民の意思は、確率何%で否定、確率何%で肯定、確率何%で不明」という言い方でその意思を表すことになるのである。
    3. 従って、3と4は、同じことということになる。何故なら、3が決まれば、4が計算できるからである。
    1と2の場合
    1. 1の「肯定」とは、正解が1個ある世界を表してると解釈することが出来る。従って、一意的に決定が可能となる。
    2. 2の「否定」とは、1の逆で答えが確定する世界を表してると思う。
     
  10. おまけ2:多神教について:現在の世界情勢
    テトラ・レンマ3、4の場合、前節でその実践には工夫が必要になるとして、占いでもいい、ある理屈でも、神でも、独裁者でも、議会でも、と書いたが、 その神の場合、日本など八百万の神がおられるので一意的な決定が可能だろうかが問題になる。
    ・・・恐らく、このディレンマ(矛盾)から脱出する方法として、人間がとる態度は次の2つだろう。 1つは、神の棚上げ、もう一つは絞り込みだ。 従って、その結果、話合い世界と一神教世界に割れるはず。・・・それが現在の世界情勢だと思う。
    ここまで考えると、上記の6項の『補足:「レンマ」とは』で記したように、レンマとは、
    インド古来の思考様式と言われる。インド式論理を構成するものの一つとインドでは見られている。 バラモン教、ヒンドゥー教の聖典の一つである讃歌『リグ・ヴェーダ』中の「宇宙開闢の歌」の冒頭には、 無も有もなかったという内容の表現があるが、ここにも、形式化はなされていないものの、同じ思考スタイルが見られる。 ちなみに『リグ・ヴェーダ』は紀元前1700-1100年頃にサンスクリット語で作られ、 後代に書き記されているが、インド・ヨーロッパ語族の最古の文献の一つである。(「レンマ」についてウイキペディアから引用)
    であるように、紀元前1700−1100年頃、既にインド世界には存在していたわけであるから、 人間の知性について、既に投網を掛け終えていたことになり驚きである。 ・・・我々は、4000年ほども昔に発見されたその網の中でもがいている、となるわけだ。
    恐らく、この4句の外に5句目を発見したら、大発見だろう。 可能性は「ミクロからマクロまで含めた宇宙空間とは何?」の解明が齎すかもしれない。 物理学は今も、必要な投網の巾を広げつつあるのだ、と思う。
     
  11. おまけ3:ペンタ・レンマについて
    前節で「この4句の外に5句目を発見したら、大発見だろう。」と書いたが、その五句目について候補になるものを挙げてみよう。
    それは、AIというツールによりもたらされるものだ。 マスデータ、機械学習、この二つから生み出された解は、人間にとって神の声のようなもの。 何故なら、何故そのような解に至ったのか理由が分からないからだ。
    理由のない解は評価できないという意味でリスキーだが、有無を言わず実行あるのみとなる。
    そのような知性判定をスルーする、即ち何もしない知性が、人間が新しく獲得した知性ではないだろうか。 この場合の知性、肯定・否定とは無関係な知性を名付けて「スルー」(通り抜け知性)と呼ぶ。 これがテトラ・レンマ(4句分別)流に言えば、4句分別の5句目の句であり、ペンタ・レンマ(「ペンタ」はギリシャ語の5の意)が完成する。
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