書評紹介

石井ト
数日まえ、浅井さんよりメール頂いて、 「主人が毎月一回楽しんでいる「爺爺会」80歳以上の5人の爺様のおしゃべりの会です。今回、お一人の方のご案内が面白かったのでご紹介します。」として、下記の本の書評が添付されていました。
小生、その書評(小学館の雑誌「サライ」8月号、「サライBOOKレビュー」)から抜粋して、佐高八期会HPに掲載・紹介し、皆さんの老年海航海の一助といたします。参考になさって下さい。
”老い”とはかくも愉しきものなり
「老年という海をゆく 看取り医の回想とこれから」大井玄著 書評
小学館の雑誌「サライ」8月号「サライBOOKレビュー」より
表紙は夕日が沈みかけた写真で、題名は「老年という海をゆく」。(老年期を歩むのは、海図のない海を行くのに似ている)
著者は今年八三歳になる現役の医師である。東大医学部教授、国立 環境研究所所長などを経て、現在は内科医として“終末医療”に関わっている。いわば「看取り医」だ。当然、周囲には、認知症を患う高齢者が多い。
物忘れ、被害妄想、怒り・・・。できれば認知症になりたくない。多くの方がそう思っているのではないか。ところが著者は、認知症は避けるべきものではないという。
本書によれば、認知症になっても、実は症状が出るわけではない。たとえば沖縄の佐敷町(現・南城市)の全高齢者調査では、認知症に相当する能力低下はあったものの、 周囲を驚かすような周辺症状はまったくなかったという。同様の事例は世界各地で報告されており、共通するのは、認知症の症状の出ない人たちがおしなべて、 (不安なく日々の生活を送ることのできるコミュニティ)に属していることだ。このことは、安心が得られる地域で暮らしてさえいれば、認知症は治療すべき病気ではなくなる、 ということを示している。
“いま”を受け入れる
著者自身、老いの真っ只中にある。脊柱管狭窄症に前立腺がん。足腰は痛み、失禁もしばしば。だが、近所を散歩し、バードウオッチングに勤しむ。若さを羨まず、 “いま”できる行為に没頭し、そこに幸せを感じている。
このエッセイに描かれているのは、“いま”を愉しむ人々の姿だ。 認知症患者も、著者自身も、どこか幸せそうなのは、彼らが、“いま”に適応しているからだろう。著者にとっては老いもまた、静かに痛みなく死ぬための(慈悲深い仕組み)だ。 老いは、加齢に伴う人生への適応だったのだ。
この視点にたてば、“老年という海“はたしかに喜びに溢れている。沈みゆく夕日もまた美しい。
“いま”を愉しむということは”いま”を肯定的に受け入れるということなのであった。
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