政治の王道

2023/2/26 石井ト
一昨日の金曜日、毎日新聞夕刊の「特集ワイド」に元内閣法制局長官 坂田雅裕さん 79歳の「『反撃能力』は平和主義の放棄」なる記事が載った。
彼の主張するところを要約すると、文末に書かれた次の部分だろうと思われるのでその部分を抜粋する。次の通りだ。
憲法の条文をそのままに、全く違う解釈にするのは、立憲主義に依る統治が形骸化しているということ。 憲法に従った統治で日本が守れないとすれば、矢張り改憲の必要があると国民に説明し、理解を求め、賛成を得てやるのが王道。 もし国民がそれはダメだというなら、たとえイバラの道としても、軍備増強ではなく、 9条が当初意図したような日本独自の平和主義国家をもう一度めざすべきです。 それが政治の責任ですよ。
この主張のポイントは、政治の王道ということだろう。 今までの政治の在り方をながめると、皆、王道を行かず、迂回路を通っている。だから一言で言えばこそこそって感じだ。 昔から日本人は困ったことが起こると、「知恵をだせ」ということで、局面突破を図ってきた。このやり方は正面突破を避ける逃避思考だ。 こんな姑息な癖が価値を持つとは以っての外だと思う。例えば大岡政談など、逃げの手法だよね。
小生、「9条が当初意図したような日本独自の平和主義国家」なるものの実行可能性は見当もつかない。 動物で言えば、アルマジロのような生き方なのだろうか。そんなので世界的活動が果たして可能だろうか。若しアルマジロのように生きるのなら、 それなり存在し続けるだろうが、進化は止まるはず。進化が止まるとは独立不羈の精神を失くすこと。 だから小生は、現実逃避の亡国論だと思う。
小生、生一本が好き。政治でもそれが欲しい。即ち王道を行く政治だ。
こそこそ脇道を行くのは、言わばサラリーマン根性の発露したものではないだろうか。だから、サラリーマン根性を捨て王道を行くよう願う。
政治の王道の反語は政治の姑息道と言えるだろう。
アルマジロのように生きるか、ライオンのように生きるか、どう思いますか?
筆者の元内閣法制局長官 坂田雅裕さんは、内閣法制局の仕事について次のように書いている。
内閣法制局はいわば日本の法治国家としての根幹を支える組織だ。法律案や政令、条約の審査、そして憲法や法令の解釈について内閣に意見する役割を担う。 各省のエリートが集う役所でもある。法案審査では確証が所轄する法案について、他の法律との整合性を精査するが、全ての法律の土台となるのが憲法だ。 憲法についての理解と過去に積み重ねた議論を踏まえながら、緻密な論理的判断を行っていくのが仕事です。
法制局は理屈の役所。もし、他の官庁のように政治主導で内閣や政治家によって解釈が変わってしまっては立憲主義とは言えなくなってしまいます。 憲法は主権者である国民が国の統治のあり方を縛る法規範です。政治といえども気俺に背くことは許されない。
内閣法制局の仕事が論理的判断を行う理屈の役所というところが面白い。知に働いても咎められない仕事なんて理系の学問に通じるようだ。 思ったよりやり易い仕事かも。現に筆者も、「論理だけが勝負の仕事」で、精神的には働きやすかったらしいと書かれている。
思えば、この世の難題は、人間問題かも。 古代ギリシャの哲学者プロタゴラスは、個々の人間の知覚こそ、真理の基準であり、絶対的な真理は存在しないとし 「人間は万物の尺度である」と唱えた。
論理的判断の基が揺らいでいる。内閣法制局ではその素を憲法に据えたが、その憲法自体が人工物であるからして限界があるようだ。 努力すれば問題は良い方向に向かうと考えたいところだが、それまで耐つかどうか、それが問題。 悲観論だが、昨今の世界情勢をみると、真実味を帯びてくる。
 
 
 

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