「忖度」という言葉の普遍性について

石井ト
最近、忖度という言葉が、世間の耳目をあつめている。
小生、閑もあるし外は雨なので、その言葉について、世界的に普遍性のある言葉なのかどうか調べてみた。
調べる方法は、外国人特派員、特に英語圏の特派員が、「忖度」をどう英語に訳したかを調べて、その方法とした。
使ったのは、学校法人「森友学園」の籠池泰典理事長の国会での証人喚問に続いて、 昨年の3月23日、東京・有楽町の日本外国特派員協会で記者会見が開かれ、 多くの外国人記者が参加したが、その記者会見*でのやりとりである。
NYタイムズの記者の
「安倍晋三氏や昭恵夫人の直接の口利きはあったのか?」
との質問に対して、籠池氏は証人喚問と同様に
「直接ではなかったが忖度があったと思う」
と答えた。
記者会見は通訳を介して英語と日本語で行われたが、籠池氏が話した日本語「忖度」の表現について、通訳の男性が苦心したため、 籠池氏の代理人で、国会では補佐人も務めていた山口貴士弁護士が割って入り、次の解説をした。
籠池氏が「忖度」という言葉で表現しようとしたのは、安倍首相によってではなく、 安倍首相の周りにいる人々が、何らかの手を加えたということです。 「忖度」というのは自分自身で何かするという時に使われる言葉ではなく、安倍首相の周囲の人間、 もしくは子分の人間が何かしたという意味になります。
として、次の英語訳を述べた。
I think he is missing a couple of words, what he is trying to say is, when he said he was doing “sontaku”, that something done by people around him, and not by Abe.
“Sontaku” is not a word that you use by yourself. When you say “sontaku,” Abe is probably, people around, or you know, people who are underlings of Abe.
続いて、もう一人の通訳もこのように付け加えた。
通訳からの情報として付け加えますが、「忖度」という言葉が英語通訳で少々混乱を招いているようです。何通りかの言い方がありますが、 「conjecture(推測)」「surmise(推測する)」「reading between the lines(行間を読む)」 「reading what someone is implying(誰かが暗示していることを汲み取る)」などがそれに当たります。 英語で「忖度」を直接言い換える言葉はありません。念のため申し上げました。
として、次の英語訳を述べた。
Just to add as an interpreter’s note, the word “sontaku” is leading to some confusion in the English translation. There are several different ways to say this; whether it’s “conjecture” or “surmise,” “reading between the lines,” “reading what someone is implying.” So there is not one direct word in English which is what lead to this, just to add some information.
以上のやり取りから注目すべきことは、「英語で『忖度』を直接言い換える言葉はない。」というところ。 英語だけ見てその言葉の普遍性を論じるのは、聊か早とちりの感無きにしも非ずだが、英語が今や世界的な言葉として普及していることを考えると、 英語サンプリングで、普遍性を論じることは、有意なことだろう。
我々は、『忖度』という言葉に染まってしまっているが、世界的にみるとローカルな言葉に過ぎないことが分かった。 『忖度』の本来の意味である「他人の気持をおしはかること」ということは、日本人だけがすることではなく、英語圏の人だってするだろうが、 日本人のそれは、日常的・習慣的と言えるほど国民生活に定着していて、もはや文化のレベルに達しているのに対し、 英語圏のは、例外的に行われることもあるが習慣化して文化のレベルにはない。言葉がないことがそれを証明している。
『忖度』には功罪両面があるが、その両面性の持つ曖昧さは世を複雑にする。 言葉だけでは意味が確定しないからだ。常に、プラスアルファーを読むようなことを強いられる。
ジキルとハイドは二重人格を表す言葉だが、これはまだよい。天使と悪魔とか、はっきりしてるから。 でも、それに『忖度』というキャラが加わったらもう複雑でコントロール不可になるだろう。真偽が分からなくなるからだ。
また、『忖度』には記号性がない。即ち、AI化できそうにない。暗いし明朗さがない。得たいが知れない鵺(ヌエ)のような人類が増えることになる。
そんな世の中を生きたいですか?
私は、“sontaku”を意味する外国語が生まれないことを願っています。
私は、“sontaku”が英語化するなどして世界語にならないことを願っています。
要するに、私は、「忖度」という概念のものが普遍化しないことを願っているのです。
少し追加しよう。
忖度で思い出すのは京都人のウラとオモテの会話法。 例えば、「まあ、きれいなネクタイしてはるなあ」とは、その実「派手なネクタイして、あんた何考えてんの」となるそうだ。 こんな会話法が定着したら世も末、言葉が真実を伝えられなくなるからだ。 「森友学園」の場合の忖度も、言葉が真実を表していないという意味で同じである。 だから、京都人のウラとオモテの会話法が京都という地方に留まり、日本人に遍く行き渡らないことを願うのと同じように、 森友学園での「忖度」という概念のものが遍く世界に及ばないことを願うのです。 ・・・恐らく、言葉が真実を伝えられなくなれば、世は閉鎖的になるでしょう。仲間内で生き延びようとするからです。言葉は正確でクリアーでなければいけません。子孫のためにも。
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