毎日新聞「余禄」より「ネジバナ」

2020/7/4 石井ト
今朝、2020年7月4日(土)の毎日新聞朝刊一面の「余禄」欄に面白い記事が載った。 「ネジバナ」である。別名、「モジズリ」とのこと。
「ネジバナ」と言えば、去年の7月2日に同期の森永君に寄稿頂いた記事が思い出される。「カカヤンバラとネジレバナ」だ。 森永君のに依れば花の名前が少し違うが漢字で書けば同じだし、別名の「モジズリ」は両者で一致している。 従って、「ネジバナ」と「ネジレバナ」は同じ花を指すものだと断定した。 お陰でもって、写真も見ることができる。ここをクリックのこと
今回、改めておもしろかったのは、別名の「モジズリ」に関することだ。 余禄によると、
別名モジズリ。百人一首の河原左大臣「みちのくのしのぶもぢずりたれゆえに乱れそめにしわれならなくに」で、 恋心を表す「しのぶもぢずり」は乱れねじれた模様のもじずり染めの布という。・・・盛夏へとひそやかに季節を回し進める愛らしい花のらせんである。
とあった。
この和歌の「みちのくのしのぶもぢずり」は乱れの序詞。「たれ」は「誰」。「われならなくに」は「私の所為ではないのに」の意。 一寸女性っぽいが、作者は暦とした男子。宇治の平等院はその別荘だったそうだ。いい和歌だよね。(評解「小倉百人一首」から引用: これは息子が高校で使った教科書だ。)
また、余禄には、
20〜30センチの花茎に5ミリほどの淡紅色の花がらせん状に連なって咲くユニークな雑草である。
ともあり、我々の近辺にも在りそうだ。 良く注意して観ようと思う。 らせん状の花茎の天辺に花がさけば盛夏とのこと。
であれば、
上までは 秋まで咲くな ねじれ花
だな。
盛夏は嫌だ、暑いから。 餓鬼の頃は泳ぎに行けばよかったが、今はエヤコンだからつまらない!・・・ポンポン井樋、佐大のプール、懐かしい。
おまけを付けよう。この鬱陶しい梅雨を忘れるために。 ダンスムージックだ。ここをクリックのこと
音楽は、Rivers of Babylon,Suger Suger,Than I Can Say,Forever and Ever,Mississippi,Guantanamera.
思いっきりダンスを愉しんでるね。
"Rivers of Babylon"の女声ヴォーカルが素敵だ。だが、誰か分からない。 軽いが引きし締まった声が素晴らしい。曲もいい。順番を守っているのもいい。
Rivers of Babylon

By the rivers of Babylon,there we sat down バビロンの川のほとりに我らは座して
Yeah,we wept,when we remembered Zion ザイオン(シオン:エルサレムのこと)を思って泣いた
By the rivers of Babylon,there we sat down
Yeah,we wept,when we remembered Zion

There the wicked 邪悪で
Carried us away in captivity 我らを捕囚(ほしゅう)にした兵らが
Required of us a song 歌え、シオンの歌をと求めたけれど
Now how shall we sing the Lord's song in a strange land? 流浪の国で、主の歌をどうして歌うことができようか
There the wicked
Carried us away in captivity
Required of us a song
Now how shall we sing the Lord's song in a strange land?

Let the words of our mouth and the meditation of our heart さあ御言葉を口にし心で瞑想しよう
Be acceptable in the sight here tonight 今夜のこの様が主の御心にかなうよう
Let the words of our mouth and the meditation of our heart
Be acceptable in the sight here tonight
聴きながら歌詞を追うと、歌詞通りに忠実に歌ってることが解る。それは当然だろうと思うが聊か意外な気がするのも事実だ。 何故なら、我々は、歌詞の意味より声をインスツルーメンタル(楽器)として聴く癖がついてきたからだろう。あまり良い習慣ではないけれど。
この詩は紀元前607年にエルサレムがバビロニアにより陥落して、バビロン捕囚に遭った時に、 ユダヤ人たちがエルサレムを懐かしく思いだす内容である。「バビロンの流れ」とはユーフラテス川、チグリス川、またはそれらの支流である。 小生が「旧約聖書物語」犬養道子著を調べたら、詩篇136にその原詩があった。 それを参考に訳詩を付けたもの。
バビロン捕囚については、嘗て世界史で出てきたが、復習するなら、その概要は次のとおりだ。ご参考まで。
古代イスラエル民族のユダ王国が新バビロニア王国によって征服された際、多くの住民がバビロンへ強制移住させられた事件。 紀元前597年、新バビロニアの王ネブカドネザル2世の攻撃を受けたユダ王エホヤキンは降伏し、数千人の貴族、 聖職者および中産階級の国民とともにバビロンに連行された。その後、ユダは半独立国の地位にとどまり、 王位はゼデキアに継承されたが、彼が反バビロニア派に動かされ、反乱に加担したため、ネブカドネザル2世はふたたびエルサレムを略奪し、 建物を焼き、砦(とりで)を撤去し、住民の大部分を捕囚の身とした(前586)。逃亡を図ったゼデキアはエリコで捕らえられ、目の前で家族全員が虐殺され、 自らは盲人とされ、足械(あしかせ)をかけられてバビロンへ連行されたという(『旧約聖書』列王紀)。 その後、新バビロニアを滅ぼしたアケメネス朝ペルシアの王キロス2世が前538年に発した「民族解放令」によって帰還を許された。 バビロン捕囚はイスラエル人にとって大きな民族的苦難であったが、この間の精神的労苦はかえって民族の一致を強め、信仰を純化する端緒となった。 また、それ以前に書かれてきた『旧約聖書』の律法書、歴史書、預言書、詩などが集成された時期としても重要な意義をもっている。 バビロンから帰還後、国家建設はならなかったが、エルサレムに再建した神殿を中心としたユダヤ教団が成立し、彼らはユダヤ人とよばれるようになった。 [漆原隆一]出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ):(コトバンクより抜粋)
今から2600年も前の出来事が、現在のダンスミュージックに使われていることに驚く。 キリスト教世界って我々とは大分違っている。我々の世界では世界史の歴史であって現在とは切れている。 我々が理解できるかもしれない喩えは、万葉集の「大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ  海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は」に曲を付けて踊っている場合を想像すればいい。・・・ちょっとあり得ない感じだがね。
もう一つおまけを付けよう。
それは、昨日、蛇をみたこと。今年の5月来3度目だ。内2度は宅外で、今回は宅内。 今回のは、特に吃驚したのは、井の頭宅の物置の傍に置いてた金属製のごみ箱を伏せておいたのを3か月振りくらいに持ち上げたら、 その後に蛇が奇麗なとぐろを巻いていたのだ。直ぐ足元だしびっくり仰天した。
写真を撮ろうとスマホの電源を入れていたら、いなくなっていた。我が家に蛇がいたとはこれで2度目の目撃だ。 前回は、2年ほど前。結構大きいのが塀際にいたのだ。青大将だと思う。これも追っていったら、物置の辺りで見失ったが、多分、 物置の下にいるだろうと思ったが、そのままにした。蛇を見ると縁起がいいというから。
今回のはその蛇なのかどうかは不明。だが前回のだとしたら居ついていることになる。 井の頭に蛇がいるのは知ってたが、我が家に巣があるとなると問題だ。
隣家には数年前、ハクビシンが迷い込んだと聞いた。私自信も、去年の秋ころ井の頭公園で狸を見たし、思ったより暮らしやすいのかもだな。 でも、蛇だけは遠慮したい。 でも、蛇を見ると縁起がいいようだ。本当に。
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