宮崎駿の息子・宮崎吾朗監督による長編アニメの2作目だが、1作目の「ゲド戦記」より数段よくなっている。
脚本が良くなったのがその大きな原因だと思う。彼はまだ若いのだから、今後が楽しみだ。期待しよう。
それに歌詞がいい。歌詞原案は、宮沢賢治、作詞は、宮崎駿・宮崎吾朗の親子である。
原案となった宮沢賢治の詩は、「生徒諸君に寄せる」という題名のもので、
母校の冊子への寄稿文として書かれたもの(未完、未掲載。戦後、再構成後、
『朝日評論』という雑誌に掲載された)だそうです。
(この段、ネットより引用。)
「生徒諸君に寄せる」 (引用先はこちら)
生徒諸君
諸君はこの颯爽たる
諸君の未来圏から吹いてくる
透明な清潔な風を感じないのか
それは一つの送られた光線であり
決せられた南の風である
諸君はこの時代に強ひられ率ゐられて
奴隷のやうに忍従することを欲するか
今日の歴史や地史の資料からのみ論ずるならば
われらの祖先乃至はわれらに至るまで
すべての信仰や徳性は
ただ誤解から生じたとさえ見え
しかも科学はいまだに暗く
われらに自殺と自棄のみをしか保証せぬ
むしろ諸君よ
更にあらたな正しい時代をつくれ
諸君よ
紺いろの地平線が膨らみ高まるときに
諸君はその中に没することを欲するか
じつに諸君は此の地平線に於ける
あらゆる形の山岳でなければならぬ
宇宙は絶えずわれらによって変化する
誰が誰よりどうだとか
誰の仕事がどうしたとか
そんなことを言ってゐるひまがあるか
あらたな詩人よ
雲から光から嵐から
透明なエネルギーを得て
人と地球によるべき形を暗示せよ
・・・
この格調高い詩は、流石、宮沢賢治だと思わせるに十分である。
中でも、
われらの祖先乃至はわれらに至るまで
すべての信仰や徳性は
ただ誤解から生じたとさえ見え
の下りは、人間の認識能力の浅薄さを指摘したもので、ここまで考えていたとは流石である。
理系思考の深度が表われている。
更に、賢治の詩の次の数行の中に、「紺色のうねりが」の中の重要なフレーズが含まれていることに気付くべきだ。
紺いろの地平線が膨らみ高まるときに
諸君はその中に没することを欲するか
じつに諸君は此の地平線に於ける
あらゆる形の山岳でなければならぬ
宮沢賢治の原詩を得て、「紺色のうねりが」を書いた宮崎駿・宮崎吾朗の親子の才能・見識を多としたい。
このスケールでの活躍を期待するものだ。
・・・人格がその原詩に見合ったものでないと出来ない作業だったと思うから、リスペクト(尊敬)しちゃいました。