佐高時代の思い出
石井浩四郎 記
私が3校分割前の佐高3年時に、創立80周年の記念祭に参加したことを思い出し、
この時の記念誌「栄城」を読み返して、一挙に懐かしさがこみあげてきた。
私はこの記念誌には昭和31年、我々の3年時に実現した「夜間ストーム」について、
若き日の感慨を率直に表した一文を載せている。
当時、旧制高校生に憧れて新制佐高で復活させたファイヤーストームだったが、
数年前に先輩方の当時の副校長をプールに放り込むという勇み足があり、
以来夜間ストームが禁止されていた。
止むを得ずファイヤーストームを体育祭の昼休みの真っ昼間に実施する有様で夜間ストーム
の実現は我々当時の男子佐高在校生の悲願だった。
私は佐高2年時に、佐高祭の前夜祭としての「夜間ストームの」実現を公約して立候補、
多数の支持を得て総務委員長に当選した。
委員長として「夜間ストーム」の実現のため学校側との折衝を開始したが、
学校側のガードが固くなかなか進まない。
当時の学校側は我々の先輩方が起こした不祥事を考え「夜間ストーム」などとんでもないという。
生徒側は昼間のファイヤーストームなどナンセンスと団体交渉さながらに毎日学校側と交渉した。
この間我々の本気度を表すために、当時佐高祭で人気だったバザー券の返上運動を起こすとか、
果ては佐高祭のボイコットとかの声まで上がり、生徒側が抵抗した。
結局この年は佐高祭の前夜祭として16時〜18時に「薄暮ストーム」と言う形で妥協した。
我々の願望の実現に一歩近づき、私が3年時の翌31年度にはまた同じような交渉を繰り返し後、
最終的に「夜間ストーム」が実現した。
即ちある知恵者のアイディアで佐高祭の前夜祭として佐賀測候所が発表する正式な「日没時間」
から2時間のストーム実施と言う極めて科学的で分かりやすい結論だった。
これで数年間に亘った夜間ストーム騒動は決着を見たが、
私の高校生活の心身の大半を捧げた大きな出来事で今思い出しても興奮してくるような一連の出来事だった。
面白いことにこのストームが日没時間から2時間と言うルールで西高、
北高で今なお延々と続いているとの事、驚きと共に心の中では快哉を叫びたい気持ちだ。
(佐高八期生・昭和31年3月卒業)
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石井(浩)君のエッセイ
桑原峰征
コーチンの「佐高時代の思い出」、甘酸っぱい青春時代が蘇る。
若さゆえの無邪気な正義感・無鉄砲さ、青臭い議論や行動、異性への戸惑いや憧れなどなど。どれだけ多くの人に迷惑を掛けたことか、今となっては赤面の至り。
また、国会突入したり、入社早々組合結成運動に加わったり、若く純情だった!?
とは言え、そうした青春時代を通過しなかったとしたら、どれほど味気ない人生だっただろう、と思う。
過ぎ去りし日々は戻ってこない!! さて、命の水を嗜むことにしよう。
(2016/2/7 22:45)