安全保障法制について想う

山下 永二
現在参議院で審議中の安全保障法制に、世論はよく分からないという意見が多い。 石井俊雄君の「書いたものが信じられる社会の実現」と同じように思っている人々が沢山いるのだろうと思う。 この問題を考える時、キーワードは、憲法、国家緊急事態、安全保障政策について考察する必要がある。
  1. まず憲法の成立経緯について調べてみよう
    日本の敗戦後、連合軍最高司令官 マッカーサー元帥は、日本の無力化を図るため、 昭和21年年2月3日マッカーサー・ノート(天皇の元首、戦争放棄、封建制の廃止の三原則)をホイットニー民政局長に指示して、 憲法草案作成を命じた。 総司令部(GHQ)民政局は、ケーディス陸軍大佐を主任として25名のメンバーで、わずか9日間で日本国憲法草案を作成した。 ホイットニー民政局長は、同年2月13日に11章92ヶ条からなる総司令部案を吉田茂外相と松本国務大臣に提示した。 これを基に国会で審議し、芦田均氏(後の総理大臣)は、いかなる国家も自衛権は存在すると主張し修正を求めた。 9条2項(戦力不保持)に「前項の目的を達成するため」という文言を追加し、 絶対服従の占領下にあって日本の自衛権はやっと認められた。これが「芦田修正」である。
    マ元帥は、なぜ憲法制定を急いだのでしょうか?
    それは、占領軍の上位に立つ11ヶ国から構成された「極東委員会」が2月26日に活動する前に、 占領政策を容易にするため、早めに憲法制定をしておきたかったと言われる。 このように占領下で強い圧迫を受けながら作成された日本国憲法は、昭和21年11月に公布、翌年5月3日施行された。 総司令部の草案策定スタッフは、この憲法を暫定的に考えていたという。 然しながら、憲法改正は、容易に出来ないように硬性憲法になっており、施行以来68年間一度も改正されていない。
    ところが、昭和25年6月朝鮮戦争が勃発し、マ元帥は、日本の安全を危惧し 自衛権を認め非武装から武装化へと政策変換して、7万5千人の警察予備隊を日本政府に要求し創設された。
    昭和26年9月 サンフランシスコ講和条約と同時に日米安保条約を調印し、日本は独立国として戦後世界に出た。 この時に、国連憲章を承認し、第51条「個別的及び集団的固有の自衛の権利」も認められた。
    警察予備隊から保安隊、成長した現在の自衛隊となった。 表向きには遜色のない装備を保持しているが、法制面では不備が多く自衛力として発揮しにくいところがある。 日本は、経済発展し国力が向上するにつれて、PKO(国連平和維持活動)、緊急援助活動、海賊対処、補給支援、 機雷除去等国際協力活動を求められ自衛隊を海外へ派遣し、平和貢献のため多様な行動に対応するようになった。 そのたびに、多くの法律を作ってきた。
    憲法は、時代の変化に対応できなくなっており、実際の社会の実情と隔たりが生じているが、改正出来ないジレンマとの間に、 護憲派と改憲派に分かれ対立するようになった。
    高校生以下の人が、憲法第9条を素直に読んだら、日本は自衛力も保持できるとは到底思えないと思う。 一般の多くの日本人は、自衛隊の存在を認めながら憲法との矛盾に戸惑いを感じているのが現実だろう。
    一国平和主義に陥り安穏としているのはなぜでしょう。
    それは、安保条約により世界一強国のアメリカによって日本の安全が守られ、東アジアにおける対ロシア、中国、 北朝鮮とのミリタリーバランスが保たれて抑止力が働いているからです。特に核の傘によって抑止されているのは大きい。
  2. 解釈改憲が防衛問題を分り難くしている
    日本国憲法は、米国の占領下でマ元帥が日本の非武装化を求めため、国家緊急事態対処に関する条項が欠如している。 又硬性憲法で改正が困難なため、政権は、憲法を解釈によって現実問題を対処してきた。
    従って、憲法を改正しないで、集団安全保障のように複雑な解釈になると、分からなくなるのは必然かもしれない。 個別的自衛権は分かるが、集団的自衛権は分からないという人が多い。 自衛権としては、個別も集団も同じ概念で国際社会では共通の認識です。 集団安全保障は相互に防衛する双務条約が通常であるが、日米安保は、米国は日本の領域内で危機に共同防衛し、 そのために日本は米国に基地を提供するという片務条約(日本は米国を守れない)になっている。 このところから条約と集団的自衛権の関係が分かり難くなっている。
    解釈改憲は、防衛問題の他、私学助成を禁止した憲法第89条も、解釈により現在私学校へ公金が助成されている。
  3. 憲法と国際法のどちらを優先するか
    憲法を優先するか、国際法を優先するかは、法律的には諸説あるようですが、 日本は、サンフランシスコの講和条約締結時、国連憲章を承認した。 第51条の個別的自衛権及び集団的自衛権は、国際法上の固有の権利であり、国内で問題になる案件でなく、 国際間の権利である。多くの国が自国の憲法より国際法を優位に扱っている。国家緊急事態では、国際法に従うものだと思う。
  4. 戦争忌避は人間として必然的な感情
    誰しも戦争忌避の感情を持っていると思う。安保法制を戦争法規というのは主に政治的な理由でしょうが、 その根底は戦争を避けたいという自然の感情から発生しているのでしょう。 この感情を持ち一歩進んで、どのようにして戦争を防止できるかという政策に反映していくことが必要だろう。
    二十年前有事法制の審議の時にも同じく戦争法規と言って反対運動が起こった。 戦争反対、平和、平和…とお経のように叫んでも国際社会では協力してくれないのが実情でしょう。
    国と国の関係は、「国益」で動き外交は交渉の手段にすぎない。 戦争は避けなければならないが、お互いが譲れない激しい衝突の時に戦争が起こる。 特に領土問題は、外交で解決することは難しい。 日本では、ロシアと北方四島、韓国と竹島、中国と尖閣諸島の領土は、外交上未解決な問題として長い間抱えている。
  5. 危機が迫った東アジア情勢
    憲法制定当時から大きく世界情勢は激変した。 現在は、中国の海洋進出、北朝鮮の核武装化、 朝鮮半島の不安定な休戦状態等東アジア情勢は「アジアの火薬庫」と言われる危機的事態にある。
    具体的にいうと、中国は、経済成長とともに軍事力特に海軍力を増強してきた。 南アジア海域においては、7ツの岩礁を埋め立て領土領海主権を主張し周辺国と紛争の種になっている。 日本とってもこの海域はベルシャ湾からの石油輸送航路で死活に関るほどの大きな影響を受ける。東アジア海域では、 航空自衛隊のスクランブル(緊急発進)は、冷戦時には、対ソ連機が多かったが、現在対中国機が圧倒的に多くなっている。 又勝手に航空識別圏を設定し、危険な状況になっている。尖閣諸島付近では中国の官船が頻繁に出没し常態化している。
    又日中中間線海域付近のガス田開発には、プラットホームを6基から12基まで急増し建設していることが判明した。 日本と共同開発することで協定したはずだが、中国は一方的に進めた。 プラットホームは軍事的に転用されたら、空域・海域の警戒監視が拡大し日米ともに防衛上大きな影響を与える。
    人民解放軍は、中国共産党の軍隊であり、政府のコントロールがどこまで効いているか疑問がある。
    このように国が違えば、価値観が異なり、軍事力のある国が現状を変更して強行しているのが実態です。 (ロシアのクリミア併合も然り)
  6. 戦争抑止の安全保障政策
    戦争をいかにして抑止するかという安全保障政策を考えなければならない。 日本は、敗戦後の占領時代から、70年間米国に安全を頼ってきたしこれからも米国に依存して行かなければ生きる道標はない。 特に核武装をしていない日本は、米国の核に依存するしかない。弱者が強者に寄り添うのは自然な生き方でしょう。 独立国としてなさけないが、力の弱い日本の情勢ではやむをえない。
    日米安保条約の片務制から生じる欠陥は、補完し空白のない安全保障政策を整備し、 敵性国に隙を与えない防衛体制を整えておくことが戦争を抑止する。 島嶼防衛等小競り合い程度の小さな紛争において、 中国のように漁民兵といわれる漁民とも官兵とも言えない所在不明な者が尖閣諸島に侵入するようなグレーゾーン事態には、 日本自ら対処しなければならないが今の法制では対処できないのです。米軍に頼ってばかりでいられない事態がありうるのです。
    今や一国だけで国家を防衛できる国は米国以外になく、各国は集団安全保障を政策として防衛しているのです。
  7. 集団的自衛権は憲法違反か
    集団的自衛権とは、自国と密接な関係にある国が他国から武力攻撃を受けた場合、共同しその防衛にあたる権利であり、 国連憲章第51条で固有の自衛権として認められている。 ところが、内閣法制局は、「集団的自衛権は、国際法上保有しているが、行使できない」という解釈をしてきた。 これがまた分からない。国連憲章を承認した我が国は、集団的自衛権の行使を違憲とすることはできないでしょう。
    日米安保条約は片務制とはいえ、共同防衛している米国に対し集団的自衛権を行使するのが国際的常識である。 政府は、防衛上の空白を埋めるため、従来の解釈を改め我が国の存立が脅かされる場合、 最小限の範囲内で集団的自衛権の行使を容認したのが今審議中の安保法制です。
  8. 最後に
    安保法制が分かり難いのは、国民の中で憲法第9条(戦争放棄)が定着し、戦争忌避の精神が支配し、 国の防衛に関心が希薄になったからだろう。
    また国家緊急事態対処条項がないため、憲法を改正しないで、解釈改憲で防衛政策を進めると多様な平和貢献活動と絡み複雑になり、 国民が安全保障を理解するには難しくなっている。 政府は、安保法制を分かりやすく説明する必要があると思うが、 防衛には秘密事項を公表できないこともあり(対米の関係もある)、国民を説得する難しさがある。
    この拙文もできるだけ簡明に分かりやすく書いたつもりだが、皆さんに真意が伝わっただろうか。
    現憲法は、占領下で作られたため、メイドインUSAといわれる所以である。
    時代の変遷によって、現実と乖離している事項が多く生起しており、第9条のほか、天皇制、国家緊急事態、 首相公選、二院制、道州制、環境権、プライベイト等々さまざまな条項について検討されなければならない。 なによりも、日本の伝統と文化を取り入れ、日本人の手で改正し本来の日本国憲法を策定してもらいたいと思う。
    現在 直面している危機的な極東アジアの安全保障環境を思うと、近い将来の我が国の安寧が心配でならない。
    「国滅びて、憲法が残る」と揶揄する人がいますが、そうならないよう祈りたい。
平成27年葉月
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